静かな道場、揺れる心
6月の初夏の日差しが差し込む昼休み。
桜が丘高校の剣道場は木造の古びた造りながらも、どこか落ち着く静けさに満ちていた。
木の床は磨かれ艶を帯び、正午の光が斜めに差し込んでいる。道場の窓は全て開け放たれており、外からは鳥の声とともに、柔らかな風がふわりと舞い込み、朝練後に吊された剣道部員の道着が揺れていた。
そんな中、ガクト――皇岳人が一人、静かに道場へと一礼を行い足を踏み入れた。そして、制服のまま中央の床へと腰を下ろす。
カバンから、母親の作った野菜たっぷりの弁当と、購買で買ったばかりの焼きそばパンと牛乳を取り出す。蓋を開ければ、彩り鮮やかなナスとピーマンの炒め物、鶏の照り焼き、そしてほくほくのじゃがいも。箸を動かしながら、口の中に次々と総菜を放り込む。そして、ガクトの思考はある一点へと向かう。
——沙羅と、服部のデート。
「……俺は、沙羅が好き……だ」
誰にも聞こえないよう、ぽつりと呟く。
それは、もう幼なじみとしての想いだけじゃない。
一人の女の子として。彼女と一緒にいたい、触れてみたい、抱きしめてみたい。そんな想いを、ずっと胸の奥に抱えていた。
けれど、それを言葉にしたことは一度もない。
唯一、行動で示したのは、あの夜だけだった。
——親水公園の月の夜。ゾウの滑り台のある小さな丘。
沙羅と転がり落ちて、偶然重なったあの瞬間。
「分かった。じゃあ、お前は俺のものな!!」
「……は?」
「お前のものは俺のもの! 俺のものは俺のもの――」
「ジャイガンじゃん!!!」
「でも、俺はお前のものだ。」
あの時、ふざけながらも本気だった。
沙羅を下から支えていた左手に力を込めて、そっと抱き寄せた。キスをしようとした——が、生徒会の連中がやってきて、すべては未遂に終わった。
「……気の迷いじゃなかった。でも、勢いはあったな」
焼きそばパンをかじり、牛乳で喉を潤す。
沙羅には、まだ何も伝えていない。
だから、彼女が誰とデートをしようが、誰かと付き合おうが、文句なんて言える立場じゃない。
「沙羅が幸せなら……それが俺じゃなくても……いいのか?」
その瞬間、沙羅のあの鮮やかな笑顔が脳裏に浮かび、はっとなる。
——本当に、それでいいのか?
思い出すのは、沙羅との何気ない日々ばかりだった。
中学二年の夏。放課後のグラウンド。
陸上部の練習終わり、沙羅はタンクトップ姿で水を飲んでいた。
ふと視線が胸元に流れてしまい——
「……ちょっと、どこ見てんのさ!」
ジト目で睨まれた。
ぷくっと膨らませた頬が、いまだに忘れられない。
気まずい沈黙と、夏の焼けた土の匂い。全部が、記憶の中に鮮明に残っている。
小学校六年の卒業式。
沙羅の親友が引っ越してしまうことになり、彼女はずっと元気がなかった。
何かできないかと悩んで、俺なりに選んだプレゼントが——銀色のイルカの髪飾りだった。
最初は照れていたけど、沙羅はちゃんと受け取ってくれた。
それ以来、彼女の持ち物にはイルカのモチーフが増えた。
「今つけてるのは違うけど……あれ、気に入ってたよな」
思い出しながら、ふっと笑う。
道場の奥で、風鈴がカランと揺れたような気がした。
その瞬間——
ガラガラッ。
引き戸が大きな音を立てて開く。
ガクトが顔を上げると、そこには——
剣道部の後輩、服部真蔵の姿があった。




