非常階段の駆け引き
6月の終わり、梅雨の合間の晴れ間。
放課後の校舎、風が心地よく吹き抜ける非常階段の踊り場に、ガクト――皇岳人は腰をかけていた。
「ほら、これ見て。今日また購買戦争で勝ち取ったクロワッサン」
横で誇らしげにパンを掲げるのは、生徒会長・小早川雪乃。髪をひとまとめにした彼女は、校舎の陰でひとときのサボり時間を楽しんでいた。
「絶対購買でブラックリスト入ってるぞ、お前」
「それがどうしたの。私は生徒会長よ」
いつもの軽口。ガクトは自然に笑っていた。
だが、その笑いが消えるのに、時間はかからなかった。
「……おまたせ」
ひょっこりと、沙羅が顔を出したのだ。
「沙羅? どうしたんだ、こんなところで」
沙羅は、ふふっと意味深に笑った。
「んー……なんか、教室にいるのも暑くってさ〜」
妙にテンションが軽い。その裏に、ガクトには読めない空気が潜んでいた。
「……あ、そうだ。ねえガクト、私さ、明日デートなんだ〜」
唐突な宣言だった。
「……は?」
「うん、服部くんと映画行くの。千奈ちゃんがセッティングしてくれてさ〜、ポップコーンは彼が出すんだって」
無邪気な顔でそう言いながら、沙羅はガクトの反応を盗み見る。
ガクトの目が一瞬、見開かれた。
「……マジか。それ」
「ふふ、どうかなぁ〜? まあ、断る理由もないし……ね?」
ガクトは黙った。
隣で聞いていた雪乃が、楽しそうに目を細める。
「ふーん……青春ね。いいわ、なんかいい。映画、私もついていこうかしら」
「やめてください、雪乃先輩」
沙羅はピシャリと突っ込んだ。
「えー? ダメ? 面白そうなのに〜」
雪乃がニヤニヤ笑いを浮かべるその横で、ガクトは何も言わなかった。ただ、手元の焼きそばパンをもそもそいじっていた。
……よし。効いてる。
沙羅は胸の奥で拳を握った。
ちゃんとガクトに、伝わってる。
このざわざわした気持ちの正体を、君も、少しはわかってほしい。
「じゃ、明日の映画、楽しんできまーす!」
そう言って手を振り、沙羅は階段を軽やかに降りていった。
そして、デート当日。
駅前のロータリー。日曜の昼、人の流れが忙しく行き交う中で、ガクトは目立たぬ場所に立っていた。
「……俺、なにしてんだ?」
呟いて、自分で苦笑した。
別に沙羅が誰と出かけようと関係ない。そう思っていた。
なのに、朝から何も手につかず、気づけばこの場所にいた。
あいつが来るなら、このあたりだろう。そう思って、ただなんとなく歩いた結果がこれだった。
「……まるで、待ち合わせしてるみたいだな」
そのときだった。
「お兄ちゃん、来てるよ」
突然背後から聞こえた声に振り返ると、そこには白いワンピースの少女――服部千奈が立っていた。
「うおっ、びっくりした……お前、服部……千奈か?」
「お久しぶりです、皇先輩。中学校以来ですね。今日はお兄ちゃんと沙羅さんのデートなんですよ」
千奈はスマホをちらつかせながら笑う。
「沙羅さんもお兄ちゃんも、もうすぐ来ますよ。……でもね、先に聞いておきたかったんです」
「……なにを?」
「皇先輩は、沙羅さんのこと、どう思っているんですか?」
ガクトは言葉を詰まらせた。
自分の中では決まっている。でも、まだ言葉には出したことがない。
「……俺はただ、アイツが笑ってれば、それで……」
「ずるいですよ、それ」
千奈がぴしゃりと言った。
「それ、すごく優しくて、すごくズルい。……そのままだと、誰かに持っていかれますよ?」
「……」
そう言った千奈の目が、駅前の階段に向いた。
「来ましたね」
その視線の先に、沙羅がいた。
白いブラウスにデニムのスカート。髪を軽く巻いて、いつもより少しだけおしゃれをしていた。




