沈黙の夕日
この光景は以前、見たことがある。
沙羅は走っていた。怒りと焦りで服部を問い詰めた後、次に頭に浮かんだのは――ガクトの姿だった。
どこに行ったの? 怪我したまま、どこかで倒れてたら? そう思うとじっとしていられなかった。
気がつけば、校舎をぐるりと一周していた。昇降口、保健室、裏庭……見つからない。
そして、ふと足を止め、見上げた。
校舎の非常階段、3階の踊り場。
そこに、見覚えのある後ろ姿が二つあった。
——ガクトと、雪乃先輩。
夕陽に照らされ、金色に染まった空の中で、ふたりは話していた。
「……それでね、私ったら、また購買のパン争奪戦に参戦してしまったのよ!」
「お前、絶対購買で問題児扱いされてるぞ」
「うるさいわね。生徒会長の特権よ」
楽しそうだった。
声が笑っていた。
沙羅は階段の下から見上げたまま、動けなかった。
ガクトは笑っていた。
その笑顔は、沙羅の知っている“いつものガクト”ではなかった。
もっと柔らかくて、あたたかくて……。
「……なんで?」
小さく呟いた。
さっき剣道部の道場で服部が怒鳴った言葉が、頭の中でよみがえる。
『心が死んでるんじゃないすか!?』
——違う。そんなわけない。
今ここで、あんなにも自然に笑ってるじゃないか。
……じゃあ、なんで?
私の前では、あんな顔をしないの?
気づけば、拳を握りしめていた。
ガクトと雪乃。ふたりの世界。
胸の奥が、ちくりと痛む。いや、痛むというより、何かが、刺さるような。ざわつく。
言葉にならない気持ち。
答えの出ない疑問。
沙羅は、自分の心の奥にあるその“正体”に気づくのが怖かった。
ただ、ひたすら立ち尽くす。
すると、上から声がした。
「おう! 沙羅も上がってこいよ!」
ガクトだった。
いつもの調子で手を振ってくる。
「俺、今、道場には顔出しづらいんだよな……ちょっと逃げてる。あはは」
軽い笑い声。
でも、沙羅の耳には入ってこなかった。
その瞬間、視線がふたりに交差した。
ガクトは、沙羅の存在に気づいて嬉しそうだった。
だけど、沙羅は。
「……」
足をゆっくりと引いた。
「……じゃあ、またね」
そう呟くと、踵を返して階段を離れた。
「え……なんだ、あいつ?」
ガクトの声が遠く聞こえた。
沙羅の背中は、夕陽に照らされて長く伸びていた。
風が吹いて、頬に張りついた前髪が揺れた。
胸の奥は、相変わらずザワザワしていた。
自分の中で芽生えた“この気持ち”を、沙羅はまだ分からないでいた。




