それぞれの揺れる心
翌日。
非常階段で雪乃から「次期生徒会長になりなさい」と告げられたその翌日、岳人は剣道部の道場にいた。
今日はインターハイ予選に向けた校内練習試合。団体戦メンバーの選考を兼ねた大事な実戦だ。
道場内は熱気に満ちていた。誰もが真剣な目をしていた。もちろん、岳人も――そのはずだった。
しかし。
「……岳人先輩に……勝った……!」
1年の服部真蔵が、竹刀を握りしめたまま、呆然と呟いた。
その目は驚きと歓喜と、ほんの少しの戸惑いで揺れていた。
「お、おれ……! つ、ついに……!」
去年の岳人は都大会を突破し、全国インターハイで三回戦まで進んだ実力者。その相手に、何度挑んでも歯が立たなかった自分が――今、初めて勝ったのだ。
嬉しかった。
それなのに。
「ど、どうしたんすか、先輩! 負けたのに、ぜ、ぜんぜん悔しくなさそうじゃないすか!」
思わず、煽るように言ってしまった。
「おい服部! 公式戦ならその発言は反則負けだぞ!」
部長の霧山が即座に声を荒げる。
だが岳人は、苦笑すら浮かべず、涼しい顔で肩をすくめただけだった。
「いや、別に。終わったことだし」
その一言に、服部の胸がモヤモヤとしたものでいっぱいになった。
あれほど倒したかった相手だった。
だから、もっとこう……拳を震わせて、歯を食いしばって、悔しがってくれよ。
「……そ、そんな……っ! じゃあ、も、もう一回勝負してください!」
「なんで?」
「俺が勝ったら……沙羅さんを解放しろ!!」
道場が凍りついた。
岳人は一瞬ぽかんとしてから、軽く首をかしげる。
「いや、おれ沙羅を監禁してないし……」
「ち、ちが……そ、そういうことじゃなくて!」
顔が真っ赤になる。服部は焦った。
「沙羅さんはっ……優しいんすよ! おれ、クラスの自己紹介のとき、どもって、笑われて……そしたら、彼女が助けてくれたんす! そっ、そ、それから……!」
言葉が詰まった。喉が詰まる。
この想いを、どうしていいかわからない。
だからこそ、岳人の無関心が許せなかった。
「そ、そんな冷静で……心が死んでるんじゃないすか!?」
岳人は黙っていた。
それが、余計に堪えた。
カッとなった。
気づいた時には、拳が動いていた。
「おい服部!」
「やめろ!」
周囲の制止も間に合わず、服部の拳が岳人の頬を捉えた。
「……っ」
弾き飛ばされる岳人。床に転がり、少しの間静かに転がったまま。
「皇!」
霧山が服部を羽交い締めにし、他の部員たちも駆け寄る。
しかし岳人は、頬を軽くさすりながら立ち上がると、ふーっと深いため息をついた。
「……殴られたところが痛いんで、早退します~」
手をひらひらと振りながら、スタスタと道場を出ていく。
誰も止められなかった。
残された服部は、ただ拳を握りしめて呟いた。
「……くそっ……! 俺、勝ったのに……なんで、こんな気持ちになるんだ……」
その時。
「服部くんっ!!!」
道場の入り口から怒号が響いた。
そこに立っていたのは、髪をまとめ、体操着姿の少女。
妙義沙羅。
眉間にしわを寄せて、怒りに震えながら、服部を睨みつけていた。
「お、おお……沙羅、さん……」
服部の顔が青ざめる。
沙羅は無言で、拳を握りしめた。
岳人が去った道場に、新たな火種が灯っていた。




