たまごとハムのサンドイッチ
昼休みのチャイムが鳴ると同時に、俺は教室を飛び出した。
目的はただ一つ——焼きそばパン。
購買部の前にはすでに人でごった返していたが、そんなことで引き下がるわけにはいかない。
「今日こそ……勝つ!」
ライバルたちをかき分けて前方へと進む。焼きそばパンが置かれたトレイが見えた瞬間、俺の動きは一気に加速した。
「確保ォォォ!!」
甲殻類機動部隊の大佐のように片膝をついてポーズする。右手には焼きそばパンがしっかり握られていた。
勝利の焼きそばパンを手に、鼻歌混じりで購買部を後にする。
きょうはどこで昼にするか?
その時、教室で感じたあの爽やかな風を思い出す——うん屋上だな。
春の風に吹かれながら、ゆっくりとパンを食べる。そんな理想のひとときを夢見て、屋上の扉を押し開けると——
すぐ目の前にレジャーシートを広げる二人の姿が目に入る。
一人は、今朝俺の自転車のベルで驚かせてしまった、青みかがった髪のポニーテールの女子。
そしてもう一人は、制服姿の——沙羅だった。
沙羅は俺に気が付くと顔を上げて、ぱちくりと目を瞬かせる。
「……よっ」
片手を上げて俺に声を掛ける。
俺は軽く手を上げて挨拶すると、そのまま通り過ぎようとした。
それを見た沙羅は一瞬ムッとした表情を見せたあと、突然立ち上がりこっちへ来い!と両手で手招きをする。
俺は仕方なく沙羅たちの方へ歩いていった。
校舎の屋上に吹き抜ける春風は、まだ少し肌寒さを残しながらも陽の光が心地よかった。
白い雲が点在する空はまだ高く、遠くには東京湾の海が青く輝き、北を見れば薄く霞んだ東京スカイツリーが見える。さらに、西の彼方にうっすらと雪をかぶった富士山までもが見えた。
うん、絶景かな
この学校は、都会の端に位置している為なのか、空が広く感じ、風景が開けている。そのせいか、この屋上は知る人ぞ知る“静かな避難場所”として、生徒たちに密かに人気だった。
小さなレジャーシートを敷いたグループがいくつか、小さな輪になって弁当を広げている。
そんな中の一画に、俺と沙羅、そしてその友人が座っていた。
「岳人が ここ来るの珍しいんじゃない?」
「ああ、たまたまね。」
沙羅の隣に寄り添う様に、青みがかった黒髪のポニーテールの女子がいた。
制服のスカート丈は標準で、胸元には囲碁・将棋部のワッペンが縫い付けられている。
メガネの奥から鋭い視線を俺に向けるその少女——遠ヶ崎 由比が、俺を正面からとらえる。
「……遠ヶ崎由比です。皇先輩ですよね。噂はかねがね。」
目が笑っていない。むしろ、敵意すら感じる。
「皇岳人。こないだは、自転車のベルで驚かせて悪かったな」
俺は大人だから、謝るべきところは謝る。だからってすり寄ることはしない。
「……気にしてません」
由比は視線を外して、弁当のトマトを食べ始める。
しーん……。
さわやかな春の風が吹き抜ける。
どこかのグループからは笑い声が上がる中、この輪だけ異様な静けさに包まれていた。
沙羅が焦って笑いながら、お茶のペットボトルを弄んでいる。
「えっと……その、あれだよね。今日、天気いいよね!」
「……まぁ」
「スカイツリー、見えるね!」
「……見えるな」
会話は続かない。いや、沙羅の続けようとする努力だけが、空回りしている。
俺は心の中でぼやく。
……なんだかこの子、俺のこと嫌ってるよな。というか女子って、やっぱり苦手だわ
そんな思考に沈んでいたら、不意に——
「っ!? んぐっ」
口にいきなり何かが突っ込まれた。
「……っ!?」
あわてて噛んだそれは、柔らかいパンの感触。たまごとハムのサンドイッチだった。ほんのりマスタードの香りが鼻に抜けてくる。
「何すんだ!……ん?うまっ……」と言いかけた俺は、寸前で言葉を飲み込んだ。
「……まぁ、まぁまぁかな」
「はあ!? 今の顔、絶対美味しいって言おうとしてたでしょ!」
由比はいきなり立ち上がる。
「なぜ沙羅のサンドイッチを美味しい!と正直に褒められないのか、理解に苦しみます」
沙羅が慌てて由比の腕を引っ張る。
「ゆ、由比!やめて!」
「だって……」
「……いきなり口の中に入れた自分が悪いんだから、岳人だって驚いたんだよ!」
おそらく沙羅は、俺と由比の凍った空気を溶かそうとして、「サンドイッチを俺の口に突っ込む」という、おどけた行動に走ったんだろうな。
そう考察していると、沙羅はちょっとだけ視線を逸らし、もごもごとつぶやいた。
「……別に、岳人に食べてもらいたかったって訳じゃないんだから」
「そりゃ、そうだろ」
そして沙羅は続ける。
「でも、むっつりして食べたら、美味しくても美味しくないから……ね?」
沙羅の言葉に、由比が小さくうなずいた。
「それは、同意します」
俺は苦笑して立ち上がる。
「……じゃ、俺は向こうで食べるよ」
沙羅と由比が驚いた顔でこっちを見る。
俺がいたんじゃ、友達との美味しい食事もできないしな。気を利かせたつもりだった。
そう言い残して、少し離れた屋上の金属製の柵にもたれかかり、焼きそばパンを袋から取り出す。
ひとくちかじる。
「……うまっ!」
意識的に声が出た。
由比がピクッと肩を動かす。
「……あいつ」
沙羅は乾いた笑い声を上げた。
「はははは……岳人、変わってないな〜」
「え?昔からあんな感じだったの?」
「ううん。優しかったんだよ、昔は。今も、そんなに変わんないと思うよ」
「でも、一年も会ってなかったんでしょ?隣同士なのに」
「それは……その、色々あったんだよ!」
「ふーん……」
少し離れている俺のところには、そんな会話は耳に入らない。
俺は遠くの海を眺めていた。
(お?……あれは、南極観測船しらせかな)
空は高く、海は穏やか。
春の風に、少しだけ焦げたソースの匂いが混じっていた。