寄付者の屋敷
土曜日の昼下がり。岳人、雪乃、そして沙羅の三人は、街外れにある家へと向かっていた。空は澄み渡り、初夏の陽射しが優しく降り注ぐ。風は生ぬるくも、時折吹く涼しいそよ風が並木道の葉を揺らし、木陰に心地よい影を落としていた。
「ふふっ、沙羅さんも来るなんて意外でしたわ」
雪乃が隣を歩く沙羅に微笑みかける。
「幼なじみなんだから、こういう時は当然でしょ!」
そっぽを向きながらも沙羅の足取りはどこか軽やかだった。岳人はそんな二人のやり取りに苦笑する。最近、雪乃と沙羅の関係にはわずかな変化があった。きっかけは、購買で偶然手に取ったジャスミンティーだった。
「私、このお茶好きなんです」
「えっ……私も……」
その時から、ぎこちなかった距離が少しだけ近づいたのだ。
目的地は、あの26億円の遺産を桜が丘高校に寄付したという、謎の人物・秋山の家だった。校長・嵯峨野の取り計らいで、訪問の許可を得ることができたのだ。
「……すげえ」
三人は目の前に現れた建物を見て思わず息を呑んだ。
高い塀に囲まれ、広い芝生の庭の奥にそびえるのは、重厚な石造りの洋館。時代がかった造りではあるが、しっかりと手入れされ、威厳すら漂わせている。
「さすがに26億円を寄付できる人のお宅は、レベルが違うわね……」
「いや、これはもう屋敷ってレベルじゃねえか……」
門をくぐると、整えられたバラの花が咲き誇り、柔らかな香りを風に乗せていた。
玄関前に立つと、タイミングを見計らったように扉が開き、黒服の男性が静かに現れる。
「お待ちしておりました。当家の執事を務めております山岡と申します。どうぞ中へ」
「うわ、本物の執事……!」
小声で沙羅に話しかける岳人。
「僕だって初めて見るよ……」
雪乃はフフッと笑って肩をすくめた。
屋敷の中は外の暑さを忘れるほどひんやりとしていた。高い天井からはガス灯風のシャンデリアが柔らかく輝き、磨かれた木の床が品のある輝きを放っている。
「それにしても、この屋敷、まるで時間が止まってるみたいね……」
雪乃の呟きに、執事の山岡さんが静かに応える。
「亡き旦那様のご意志で、使用人の給金は百歳まで支払われております。ですから、皆がこの屋敷を今も守っているのです」
沙羅は壁に掛けられた肖像画を覗き込みながら驚きを漏らす。
「なるほど……だから誰も離れないのか」
使用人たちの忠誠心が、この屋敷に息づいていることに、三人は静かに感銘を受けていた。
執事に導かれて通されたリビングは、まさに「重厚」と呼ぶにふさわしい部屋だった。天井から吊るされた本物のガス灯が、揺らめく光を投げかけている。
「この照明、本当にガス灯なのかしら……」
「分からん……」
沙羅は目を輝かせてアンティークの家具や絨毯を観察する。
「これって、明治時代の物かな?」
「そうかもしれませんね。建物も都の文化財に指定されてると聞きましたし」
雪乃の言葉に、岳人が腕を組んで頷いた。
「これだけの家と資産を持ってる人が、うちに26億も寄付したってんだから……どんな人だったんだろうな」
その時、沙羅がキャビネットの上に置かれた古い写真に目を留めた。
「……これ、なんだろ?」
白黒写真の中には、白い軍服を着た若い男性と、隣に立つ和服の女性。
「軍服……襟の階級章は……旧海軍の少尉、かな?」
岳人がじっと写真を見つめながら呟く。
「すごい……ガクトって、そういうの本当に詳しいのね」
「ふふ、頼りになりますわね」
二人に褒められ、岳人は照れ臭そうに鼻をかいた。
すると、静かにドアが開き、執事の山岡さんが戻ってきた。
「それは、旦那様と奥様のお写真です」
驚きの声を漏らす三人。その背後から、新たな足音が近づく。
スーツを着た初老の男性が執事の隣に立ち、落ち着いた声で名乗った。
「初めまして。私は秋山家の顧問弁護士、五十嵐と申します」
三人は立ち上がり、軽く頭を下げる。
「君たちは、桜が丘高校からお越しですね?」
岳人が一歩前に出て答える。
「はい。生徒会です。今日は、寄付のことをもっと知りたくて伺いました」
五十嵐弁護士はゆっくりと頷く。
「そうですか……では、秋山さんに関するお話を、少しだけお聞かせしましょう」
長い時を静かに湛えたこの洋館の中で、26億円の真実が、ゆっくりとその幕を開けようとしていた――




