幼なじみとの記憶
俺と妙義沙羅の付き合いは長い。というか、生まれる前から家は隣同士で、物心つく前からお互いの家を行き来していたらしい。親の話や、残された写真・動画を見る限り、多分間違いない。
一番古い記憶は、俺が幼稚園に入園するときだ。
それまでは、沙羅と毎日のように一緒に遊んでいた。
「ぼく、明日から幼稚園に行くんだ」
「ようちえん?」
「そうだよ~。沙羅ちゃんはまだ行かないの?」
その会話を、リビングの奥から母親たちが微笑ましく聞いていて、優しく声をかけてきた。
「沙羅はひとつ年下だからね〜。幼稚園は来年かな?」
すると沙羅はふるふると首を横に振って、涙をいっぱいにためた目で俺を見つめてきた。
「やだ!さらもいくの!がくとといっしょじゃなきゃやだぁ!」
――泣きながら俺にしがみついてきたあの時の沙羅の姿は、今でもはっきり覚えている。
そんな頃からの付き合いだ。
小学校に上がってからも、俺たちはほとんど毎日一緒だった。ランドセルを玄関に放り投げてゲームをしたり、庭で転がり回って遊んだり、河川敷に虫取りに出かけたり。
もちろん「女とばっか一緒にいるー!」と男子たちに冷やかされたこともある。
そんな時、沙羅は決まって「ちがうし!僕たちは幼なじみだから良いんだよ!」と怒鳴り返していた。耳まで真っ赤になっていたのは、隠せてなかったけどな。
俺も「そーそー」と適当に笑ってごまかしてたけど、妙に気恥ずかしい気持ちがあったのは事実だ。
小学校低学年の頃、区の剣道大会に出た時も、沙羅は応援に来てくれた。準決勝で敗れて落ち込んでいた俺に、なぜか沙羅の方が泣き出して――
「なんでさらが泣いてんだよ……」
と俺が言うと、鼻をすすりながら、
「だって……がくと、がんばってたのに……」
仕方なく、その時は俺が慰め役に回った。いや、本当は俺の方が慰めてほしかったんだけどな。
そんな小学校時代を経て、中学に上がった俺は、ある意味“目覚めた”。
アニメ、ゲーム、ミリタリー。光る瞳、カッコいいセリフ、撃ち合う戦車、降下する特殊部隊。すべてが輝いて見えて、俺は完全に沼にハマっていった。グッズは増える一方、ネット掲示板で語るのが日課。完全にオタク街道まっしぐらだった。
沙羅はというと、そんな俺に呆れることもなく、変わらず遊びに来てくれていた。オタクトークにも付き合ってくれて、「よくそんな難しいこと覚えられるね」と、ぽかんとしながらも笑ってくれてたっけ。
……学校では、「オタク」「キモい」と毎日のようにからかわれたけど、沙羅は変わらず俺の味方だった。
「好きなものを好きって言って、なにが悪いの?」
そんな風に真っ直ぐ俺を肯定してくれる存在が、どれだけありがたかったか。
でも、俺は他のオタクとつるむことはしなかった。自分が“オタク同士”に見られるのが、なんかイヤだった。
そんな中学2年のある日、俺は思った。
――変わらなきゃ。
憧れたのは「陽キャ」だった。明るくて、モテて、キラキラした連中。俺もああなりたい、と。
それで、俺はテニス部に入った。
……が、そこにいたのは、俺が想像していた“さわやかスポーツマン”ではなく、本物の陽キャたちだった。
ギラついた髪、ノリの良さ、グループLINE、週末の遊びの誘い。全部が俺の肌に合わなかった。
でも俺は、無理して笑って、話を合わせて、必死に空気を読んで頑張った。
その努力の甲斐あってか、中3のある日、後輩の中1女子から告白された。
人生初の「好きです」。心臓が跳ねるような衝撃だった。
恋人未満、友人以上みたいな関係が少し続いて、それはそれで俺には心地よかった。
──そして、卒業式の日。俺は正式に告白した。
けれど。
「なんか……やっぱり、ちょっと違った」
あっさり振られた。
今思えば、俺はただの“背伸びしたい相手”だったのだろう。
俺自身も、無理して演じてた。だから、続くはずがなかった。
あとで沙羅にその話をしたら、こいつ、もう腹を抱えて笑ってやがった。
「ぷっ……がくとが告られて、フラれるとか……なにそれ、マンガじゃん……!ははっ、くっ……やば、笑いすぎてお腹痛い……!」
肩を震わせながら涙目になって笑う沙羅。
あの顔、今でもハッキリ覚えてる。
──そんなことをぼんやり思い出しながら、俺は教室の窓から外を眺めていた。そして、ふとグラウンドを見下ろしたときだった……
1年生が体育の授業で100m走をしている。
風を切るジャージ姿。躍動感。はじける声。
おーおー、若いっていいもんだなぁ……って、おっさんか俺。
そんなことを思っていたその時、目に入った。
あれ? あれ……沙羅か?
スタートラインに立つ、小柄な少女。
小さい体ながら、周囲より明らかに違うオーラ。引き締まった脚、安定した構え、深く落ち着いた呼吸。
ピッ——。
スタート音が鳴った瞬間、沙羅は風のように飛び出した。
みるみるうちに周囲を引き離し、そのまま圧勝でゴール。
そして、振り返って笑いながらクラスメイトとハイタッチを交わす。
……まるで、映画のヒロインみたいだった。
その時——俺と目が合った。
「岳人~~!」
満面の笑みで手を振りながら、全力で名前を叫んでくる。
……おい! 声でけぇよ! やめろバカ!
当然、周囲のクラスメイトがざわつき始める。
「え?今の誰?」
「名前呼んでたってことは彼氏?」
「うわ、妙義って彼氏いたんだ〜!」
……うん、知ってた。この流れ、知ってた。
その直後、俺の後頭部にパシンと衝撃が走る。
「いってぇ!?」
振り返ると、腕組みして仁王立ちのゴリマッチョ体育教師が立っていた。
「皇〜? 今は何のお時間かな〜?」
「保健体育の時間です……」
暴力反対!パワハラ反対! ……と、心の中で抗議しながら、俺は背筋をピンと伸ばす。
──今日も日本は平和なようだ。