けじめ
5月、校舎の窓から射し込む陽射しは、初夏を思わせる強さだった。
剣道部の道場も、空気がむっと重い。
俺は、竹刀を脇に抱えながら、部長の霧山竜司の前に立っていた。
霧山は、相変わらずごつい腕を組み、鋭い目で俺を見据えている。
「——というわけで、しばらく生徒会と剣道部、掛け持ちになります」
俺がそう伝えると、霧山は一度、深く息を吐いた。
「……そうか」
重々しい声。それだけで少し胃が痛くなる。
「春季大会、あんな結果になったばかりだ。正直、全員、焦ってる」
霧山の言葉に、胸が痛む。
春の大会、俺はチームの柱として期待されながら、結果を出せなかった。
俺自身、何より悔しかった。
「でもな」
霧山は竹刀を俺に見せるように持ち、にやりと笑った。
「夏がある」
夏——インターハイ。
「お前が調子よくないのは分かってる。だが、なるべく顔を出してほしい。お前が道場にいるだけで、みんな引き締まるからな」
霧山の言葉に、喉の奥が熱くなった。
後輩たちが、目標に向かって必死に食らいついているのは、俺にも分かっていた。
「……はい」
短く答えると、霧山は少し顔を緩めた。
「ところでよ」
話が終わるかと思った矢先、霧山がずいっと顔を寄せてきた。
「レイの……二十六億円って、本当なのか?」
小声で尋ねられて、俺は苦笑いする。
「本当みたいですよ」
そう答えた瞬間——
「マジか!!」
「道場、立て直せんじゃね!?」
「エアコンとか完備!?やべえ!!」
俺たちの話に聞き耳を立てていた部員たちがざわめき出した。
「うちにも予算くれよ〜!」
「全室個別ロッカーにしてくれ!」
「風呂とかつけようぜ!!」
言いたい放題の後輩たち。
でも、そんな無邪気な声に、自然と道場に笑いが広がった。
その中で、一年の服部が、ぴょこっと手を挙げた。
「先輩が完全復帰するまでに、ちゃんと渡り合えるように鍛えておきますね!」
きらきらした目で、真剣にそう言う。
「……おう」
思わず笑いそうになるのをこらえながら、俺は力強く答えた。
「期待してるぞ!」
そして、道場に向かって、深く頭を下げる。
心の中で、もう一度だけ、剣道への想いを固く握りしめた。
「じゃ、行ってきます」
カバンを肩にかけ、校舎へ向かう。
外に出ると、グラウンドでは陸上部が練習をしていた。
トラックを駆け抜ける姿の中に、見覚えのある小柄な影がある。
——沙羅。
すれ違いざまに、ふと目が合った。
けれど、沙羅はすぐに視線を逸らしてしまった。
すこし胸が痛む。
その様子を見ていた一人の女子生徒が、すたすたと近寄ってきた。
「ちょいとそこ行く少年!」
——朝比奈先輩。
陸上部のエースであり、俺の恩人でもある姐御肌の人だ。
「沙羅ちゃんとなにかあったのかい?」
ぐいっと腕を引っ張られ、俺はたじろぐ。
「ちょっと……いや、まあ、色々と……」
濁すと、朝比奈先輩はにやにや笑った。
「ふぅん。青春してんねぇ」
「やめてください本当に」
俺が黙り込むと、朝比奈先輩は急に真面目な顔になった。
「生徒会、協力するんだって?」
「はい……まあ、自分で決めたんで」
「そっか」
朝比奈先輩は、ふっと笑う。
「雪乃は悪い奴じゃない。だけど、“いびつ”なやつだよ」
そう言ったときの顔は、どこか遠いものを見ているようだった。
「——自分に厳しい分、他人にも無意識に厳しいとこあるからさ。たぶん、迷惑かける」
それでも、と言葉を続ける。
「悪い子じゃない。いい奴だよ、ほんと。……面倒くさいけどな!」
最後に笑って、ぽんと俺の肩を叩く。
生徒会長と朝比奈先輩。
きっと、二人には二人なりの信頼があるんだろう。
「ありがとうございます」
深く頭を下げると、朝比奈先輩は「がんばんな!」と拳を突き出してきた。
拳を軽く合わせて、俺は校舎へと向かう。
生徒会室は、1階の隅にある。
白いドアの前に立ち、深呼吸を一つ。
ノックをして、ドアを開けた。
中では、生徒会長の小早川雪乃が、無表情で大量の書類をさばいていた。
雪乃は、顔を上げると、静かに言った。
「来たか、皇岳人くん」
——さあ、俺の新しい戦場が、ここにある。
心を決めて、俺は生徒会室に足を踏み入れた。




