遠ヶ崎由比との距離
その日の昼休み。
「しまった!」
思わず声が漏れた。机の上で手を打ち、ガバッと立ち上がった俺に、近くのクラスメートたちがいっせいに注目する。
「……なになに、どうしたの?」
「テストの点数、今さら気づいたとか?」
「いや、違う……」
なんとか取り繕おうとしたが、視線が集中して逃げられない。つい、本音が口をついて出た。
「弁当……忘れた」
思わず口をついて出た本音に、クラスメートが少しザワつく。
「なんだ、そんな事かよ!」
「また焼きそばパンか?」
「皇って毎回購買頼みだよなー」
いや、違うんだ。最近は焼きそばパンすら食べてない。
それもこれも、沙羅が「それだけじゃ体に悪いよ!」と自宅で俺に説教してきたからだ。しかも、俺の母親の前で……
母親は沙羅の話を聞き、おれが毎日焼きそばパンしか食べていないことを知ると……
「岳人!あんた小遣いで幕の内弁当を買っているって言ってたじゃない!なんで毎日焼きそばパンなのよ!差額は何に使っているの!」
えーと……基本、駄菓子とジュースに化けてました。はい。
その日以降、昼食代として支給されていた毎日の五百円は没収。そして、怒る母親に沙羅が満面の笑顔で一言こう言い放った。
「おばさん、僕と一緒に岳人の食生活、改善しましょう!」
そんな沙羅にそそのかされた母親がやる気になって、翌日から野菜たっぷりの弁当を食べる日々が続いていた。……今日はそれを、玄関に置き忘れた。
「……仕方ないな。うん、仕方ない」
自分に言い訳しながら、財布を手に購買部へと向かう。
しかし、時すでに遅し。
「パンは売り切れでーす!」
購買部のおばちゃんの無情な声が響く。
「……絶望」
肩を落とし、トボトボと教室に戻る。
教室に戻った俺は浅ましい行動に出た。いや、生き残るためだ。仕方ない。
「なあ五郎丸、お前の弁当……少し、分けてくれないか?」
「ええっ!? 僕のですか!? いやいやいや、僕はですね、カロリー計算をきちんとしてるので、一粒もあげたくない主義でして!」
「いや、一粒ってなんだよ」
「それにですね、皇くんの手が僕の鮭をつまんだ瞬間、僕はたぶん人間として壊れる自信があります!」
「お前は何と戦ってるんだ……」
その横で、ギャルグループの女子たちが笑いながらこちらを見ていた。
視線を向けると――
「ダーメ、あげなーい♪」
「何も言ってないけど?」
「顔が“ください”って言ってたし〜」
くっそ……。
仕方なく自分のカバンをゴソゴソとあさる。何か、何かないか。
そして出てきたのは――一本の んまい棒。めんたいこ味。
「……こいつしか、いねぇのか」
とりあえず、屋上でこいつでも食うか…ちみちみ食べれば少しはましかもしれない。
そんなことを考えながら、んまい棒を手に教室を出る。
そして階段にさしかかった時だった。
「がくとー!」
声の方を見ると階段の踊り場に沙羅と遠ヶ崎由比が立っていた。沙羅は手を振り、遠ヶ崎はジト目で俺を見ている。
「がくとー!お昼、一緒に食べよう~!」
明るく俺を昼食に誘ってくる沙羅、俺の昼食はんまい棒なんだけどね。
すると遠ヶ崎が俺を見るなり、すっと目を細めた。メガネがキラリと光る。
「……その手に握りしめているものは、なんでしょう?」
「ん? ああ、これか」
俺は右手の中のんまい棒を、慌てて背中に隠した。
「た、たまたま……カバンの底に転がってただけで……」
由比が腕を組み、じろりと俺を見つめる。沙羅はきょとんとしている。
「ふぅん?カバンの底から出てきたんまい棒を、昼休みにひとりで持ち歩いてる先輩……」
「……お弁当……忘れましたね?」
「なっ……!」
俺はごまかすように笑いながら視線をそらす。
しかし、沙羅が確認をするように聞いてくる。
「がくと……今日、お弁当持ってきてないの?」
「……まあ、その……ちょっと、うっかり」
遠ヶ崎は呆れたようにため息をつく。
「朝はバタバタしてパンくわえて出てきたと言っていたし、どうせ玄関にでも置いてきたのでしょ?」
「お前はエスパーか何かかよ!」
俺のツッコミに、沙羅がくすっと笑う。
「もう、仕方ないなぁ。お弁当分けてあげるから、僕たちと一緒においで!」
「……まあ、私は別にかまいませんけど、無償の奉仕はしない主義ですよ?」
「なんだその言い方は……これでどうだ?」
少し考えた後、俺はんまい棒を遠ヶ崎に差し出す。
遠ヶ崎はキラーンとメガネを光らせて……
「いいでしょう!交渉成立です」
そんな調子で言い合いながら、俺たちは階段を上っていった。
――遠ヶ崎由比と出来たあの屋上での距離も、少しずつ、埋まっていっている気がした。




