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取り戻した日々

 あの騒動からしばらく経ち、沙羅の傷も完全に癒えた頃、朝の空気はすっかり春めいていた。

 川沿いの道をそよぐ風は少し暖かく、朝の光に照らされてハナミズキやツツジの花が道沿いに咲き、通学路を色鮮やかに彩っていた。

一方で電柱の上ではムクドリがにぎやかにさえずり、郵便屋のバイクの音が遠くから聞こえる。そしてカラスの声も混じるのが、いかにも都内の朝という感じだ。


 そんな賑やかな朝。


 「行ってくるー……」


 玄関を開けながら、俺――すめらぎ 岳人がくとは眠そうな声で一応の挨拶をする。

 するとすぐに、家の中から母親の怒鳴り声が飛んできた。


 「岳人!ご飯!ほら、朝ごはん食べていきなさいってば!」


 ドタドタと足音がして、母親が手にしたトーストを俺めがけて――文字通り、投げた。


 「おわっ!」


 咄嗟に口でパクッと受け止める。


 「食べ物を粗末にすんなよ、ったく……!」


 「おお~ナイスキャッチ!」

 玄関前で俺を待っていた沙羅が、拍手と共にサムズアップを大げさなアクションで繰り出した。そして俺の母親に向かって挨拶をする。


 「おばさん、おはようございます!」


 「沙羅ちゃん!あらあら、いつもありがとねぇ~。この子、運動しか取り柄ないんだから、ほんと世話焼けちゃうわ〜」


 「あはは、それが岳人の良いところですから!」


 二人で楽しそうに笑い合うのを見て、俺は小さく舌打ちした。


 「おい、行くぞ!」


 「はーい、パンくわえたままじゃみっともないよ~?」


 そう言われ、俺はパンを一気に口の中に押し込む。


 「モグモグ……オレデ エィンデゥロ?(これでいいんだろ?)」


 「岳人……きたないよ……」


 あきれながらも楽しそうにそういう沙羅。

 いつものやりとり。だけど、これがとても心地よい。


 俺は自転車を押しながら歩き出す。沙羅はその横に並ぶように歩いてくる。


 「ねぇ岳人、あと5分はやく起きられないの?岳人が起きないと、あたしも困るんだもん。毎朝ちゃんと起きるって約束したでしょ?」


 肩までの黒髪が揺れて、小さなイルカの髪飾りが朝日にきらめいた。

 頬をふくらませながら、でもどこか楽しそうに俺を小突いてくるその姿は、まさに“昔の沙羅”そのものだった。




 ここ最近、俺たちはまた自然に話すようになった。

 朝もこうして一緒に登校するのが日課になりつつある。ほんの数日前まではぎこちない空気が流れていたのが嘘みたいだ。


 そして、今日も登校路にもうひとり。


 「……おはようございます、沙羅。……そして、皇先輩」


 横道からすっと現れたのは、沙羅の親友――遠ヶとおがさき 由比ゆい

 青みがかった黒髪のポニーテールに、鋭く光るメガネ。教科書が入った厚めのカバンを抱えながら軽くお辞儀をしてくる。


 ただし――


 「今日も寝坊ですか、皇先輩。相変わらず“女の子に世話を焼かれないと何もできない系男子”なんですね?」


 「お前、朝っぱらから毒舌キマってんな……」


 「挨拶です。私なりの」


 冷静に言い放つその口元はわずかに笑っているようにも見えるけれど、絶妙にムカつく。


 ただ、ここ最近はこの3人で登校することも珍しくなくなっていた。

 昼に一緒にご飯を食べたり、何気ない話を交わしたり――


 遠ヶ崎の毒舌は相変わらずだけど、沙羅と俺の関係を“幼なじみ”として、なんとなく認めてくれているのが分かる。


 「沙羅、あんまり無理しないでくださいね。皇先輩のお世話で疲れるなんて……それこそ本末転倒ですから」


 「えー、でも大丈夫だよ!むしろ、元気出てるかも!」


 沙羅はそう言って、満面の笑みを浮かべた。

 その笑顔に、ちょっとだけ胸が温かくなる。


 家族みたいに、自然に隣にいた頃の俺たちに――時が巻き戻ったかのようだった。


 春の陽射しの下、俺は並んで歩く彼女たちの後ろから自転車を押していく。

 沙羅と遠ヶ崎のローファーの音がコツコツとアスファルトを叩き、自転車の車輪からカラカラという音が響く。そして時折吹いた風が彼女たちの髪を揺らす。周りには、登校中の生徒たちの姿も見える。


 ああ、なんか良いなこういうの……そう考えていると二人の話題が俺の事になり、遠ヶ崎が俺に話しかけてくる。


「皇先輩はなんでいつもギリギリに出てくるんです?」


「俺的にはこれが普通だしなぁ……」


「きょうだって遅刻ギリギリでパンくわえて出てきたんでしょう?典型的な“ザ・ダメ男子”ですし。女子の朝の努力を見習ってください」


 「……おま……言うに事欠いて、朝の努力?」


 「私は毎朝5時に起きて、スキンケアとストレッチと今日の天気予報チェックを欠かしません。あなたは?」


 「……いつもはちゃんと朝飯は食べているぞ!きょうはたまたまだ!悪いか!?」


 「それ、誇れることじゃありませんから。そんな生活は国家的恥です。ハズカシジャパンです」


 「誰が恥だ!」


 「皇先輩が、ですけど?」


 毒舌の連打に、俺の眉間が自然と寄っていく。


 「……お前、最近ちょっと丸くなったと思ったけど、やっぱムカつくわ」


 「それは“毒を抜いたら死ぬタイプ”のキャラなので」


 「自覚あるのかよ……」


 と、そこで沙羅が小さく吹き出した。


 「ふふ……なんか、いいね。こういうの」


 「こういうのって……なんだよ?」


 「ううん、なんでもない。行こ?」


 にこっと笑って、沙羅は俺と由比の間に割って入るように歩き出した。


都内の朝は騒がしいけど、どこかやさしい。

3人で歩く登校路。すれ違う同級生の笑い声。

遠くに見える校舎の屋上が、春の陽にぼんやりとにじんでいた。

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