復活
「皇選手が先制!しかし、服部選手の気合はまだ十分!試合はまだまだこれからです!」
狩谷の実況が、夏の空を切り裂くように響いた。
『うん、どっちが勝ってもおかしくないねこれは。すごいよ、ガクトくんもハットリくんも!』
解説席の朝比奈先輩がマイクを握りしめながら声を上げた。
リング上、俺と服部は向かいあい構えたまま、微動だにしない。蝉の鳴き声が一瞬遠のいたように感じるほど、時間が静止したような錯覚すら覚える。
服部の肩がわずかに上下する。息を整えている。俺も額をタオルで拭いたくなるが、今この瞬間に気を抜いたら、終わる――そう感じさせるだけの“気”が、服部の全身から放たれていた。
(こいつ……)
前よりも一歩、いや二歩は踏み込んでいる。4月のあの日、俺に憧れのまなざしを向けていた“新入生”は、もうここにはいない。目の前の服部は、立派な“挑戦者”だった。
それでも――
(こいつと戦うのが……楽しい)
その感覚を、俺は忘れていた。
ここ最近、どうしても“剣”が重かった。打突の瞬間に迷いが生まれ、踏み込みが遅れる。今ならば理由が分かる――俺自身が、戦うことそのものを楽しめなくなっていたからだ。
だが今は――違う。
「……はぁっ!」
服部が踏み込んだ。中段から鋭い胴打ち。俺は刀を構えて受ける。その衝撃が、俺の腕を通して心臓まで響く。
(そうだ……この感覚)
今、俺は戦っている。
強いやつと、全力で、まっすぐにぶつかり合っている。
「もっと……!」
刀を振るいながら、気づけば口が動いていた。
「もっと来いよ、服部!」
気迫が、自然に漏れた。放送席の狩谷が驚いたように実況する。
「おっとっと、皇選手の挑発です!これは“圧”がすごい!服部選手は、若干押されているか――!?」
『いや、これ……ガクトくん“覚醒”しているんだよ!ほら!去年の全国大会の時のガクトくんだよ!』
朝比奈先輩の言葉に、観客席がどよめく。
「ガクト…」
沙羅は息をのんだ。
服部千奈は、拳を握りしめたまま、歯を食いしばっていた。
「お兄ちゃん……がんばって……!」
しかし、服部はひるまない。押されていても、その瞳から力は消えていなかった。
「先輩!ウォォォォ!!」
気合一閃!叫びとともに、服部は真っ直ぐ正眼に構える。そして俺の攻撃を待つ。
――“後の先”。
相手の攻撃にわざと乗じ、その隙を叩く。剣道における“後の先”の理。これが服部が残していた“最後の一手”。
(乗ってやる!)
俺は構えながら服部を中心に反時計回りすり足で回る。服部の切っ先はぴったりと俺に向けられたまま俺の攻撃を待つ。完全なカウンター狙い。
俺は何度かのフェイントの後、服部の面を取りに踏み込む。
その時、ほんの少しだけ、3センチほど不用意に前へ出たように見せかける。
服部はそこに全力で俺の小手を取りに来た。罠と分かっていて、その俺の仕掛けた罠を超えるスピードでの踏み込み!俺の右手に、あいつの刀が触れかけた、その一瞬――
俺は刀を引き、半身を捻りながら、右足をわずかに外へ跳ねる。
ウレタン刀が風を切って空を裂いたとき、俺の身体はすでに一歩外へ抜けていた。
「な――!?」
服部の目が見開かれる。
(読んでたのに!)
次の瞬間、俺の身体は自然と動いていた。
左足を軸に回転。体幹をひねり、強引に左足を踏み込む。そして振り抜いた面打ちが――
服部の額へ、見事にヒットした。
鋭く、強く、真っ直ぐに。
「面あり!……あ、違う。一本!」
教頭・大山田の判定の声が、夏空に響く。
「勝負あり!」
静まり返っていた観客席が、一気に爆発した。
「うおおおおおっ!」
「ガクトォォ!!」
「かっけぇぇぇ!!」
実況席の狩谷が絶叫する。
「き、決まったァァァァァァ!!! 皇ガクト、優勝ですッ!! 最後は“後の先”のさらに上をいく、“カウンター返し”だぁぁ!!」
朝比奈先輩も思わず立ち上がり、頭上で拍手を鳴らして叫ぶ。
『やっばい……震えた……今の、絶対全国でも通じるレベルだよ!』
リングの中央、服部は棒立ちのまま、刀を握った手をゆっくり下ろした。
何が起きたのか――分からない、といった顔だった。
「……はは……負けた…のか…」
小さく笑いながら、服部は俺に向かって深く一礼をした。
俺も刀を下ろし、同じく頭を下げる。
服部の目には悔しさと、誇らしさがにじんでいた。
リングを降りようとした俺に、沙羅が駆け寄ってきて飛びついた。
「……ガクト、すごかった……!」
その声に、俺は笑って応える。
「……ああ、俺も……ようやく、楽しいと思えた」
長く続いたスランプ。その霧が、やっと晴れた気がした。




