文字で生きる
「私が主役のお話を書いてよ。」
小説家志望の私に届いた初めての依頼はこのようなものだった。
「名前は変えても構わない。世界観等もお任せするよ。ただ、主人公は私をモチーフにして書いて欲しい。」
なぜこのような依頼を貰ったのか。話は数時間ほど前に遡る。
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私は賞に応募するための小説の題材を決めあぐねていた。
まだ名が売れてない私は、こういった機会で数をこなして行かなければいけない。クオリティの探求も確かに大事かもしれないが、それに時間を費やしすぎてしまえば名無しのまま『高校生の文才』と売り込むチャンスを逃してしまう。
だからこそ今回の賞には絶対に応募したいのだが……現状、題材が決まらないのだ。
とはいえ、全く思いつかない訳では無い。例えば鮫と女子高生とか、異世界転生のゾンビものとか、思いつくもの自体はある。けれど、どれも既出の作品の類似品になってしまうのだ。
それでは賞なんて取れやしない。そう強く思いながら、私はひたすら自分が所属する文芸部で案を出していった。
「小説の題材決め?」
ふと、声をかけられた。
その声の主は何となく察しがつく。顔を見てみれば、やはり想像通り先輩だった。
と、言うのも文芸部は部長である先輩と私を除いては殆ど居ない。うちの学校がどこかしらの部活に入らないと行けない校則がある為、一応在籍人数自体はそこそこ多いが……殆どが校則だけ守る幽霊部員達なのだ。
「はい。そうです。……どうしてもしっくりくる物がなくて。」
先輩と私は普段から話す仲……という訳では無い。ただ同じ部室内で黙々と小説を書き、読むだけの関係だ。
しかしそうだとしても、殆ど関わりがない部長にすらすがりたくなる程に追い詰められていたのだ。
「んー、確認。今回はどんなジャンルで書きたいとかあるの?」
「そうですね……。まだしっかりと確約できてないんですけど、シリアスなストーリーにしたいです。それでいて読者の心を乱せるような苦しい話にしたいです。なので、ギャグや恋愛は避けたいです。後は……。」
私の長ったらしい要望に対して、真剣に先輩は聞いてくれた。そして聴き終わった先輩は、ふむ、と息を吐き目線を上にやる。何か考えてくれているのだろう。私は、その先輩の目線を追うように顔を見た。夜遅くまで本でも読んでいたのだろうか。酷い隈が目立った。
あ、そうだ。と先輩は声を上げた。そして私と目を合わせてこう言ったのだ。
「私が主役のお話を書いてよ。悩んでるならさ。」
はぁ、そう声を漏らした。
「ストーリーを決める方法はいくつかある。あんたは普段やりたい事、描写したいざっくりした所から決めてるんだろう?なら、今回はキャラクターから決めてみてよ。実在する人なら考えやすいだろう?」
なるほど。確かに先輩の言うことはごもっともかもしれない。けれど、自分をモチーフにした作品ならば、自分自身で書けば良いじゃないか。
そう内心で思ったつもりだったのだが、それが口から漏れてしまっていたようで。それを聞いた先輩がくつくつと笑っていた。
「私が書いてしまったら私小説になってしまう。そうじゃなくてさ、人が書いた世界で生きている私を見てみたいんだ。」
「そういうもんなんです?」
訝しむ私に対して、あぁ。とだけ先輩は言った。
「……分かりました。もし他に案が思い浮かばなければそうします。」
正直気乗りはしなかった。
それでも相手は仮にも先輩……それもこの文芸部の部長だ。1年も経てば卒業してしまうとは言え、軽率に嫌われてはここに居辛くなってしまう。
だからこそ、そんなヘンテコな依頼に対して何も考えずにNOとは言えず、こんな曖昧な返答をしてしまった。
「ありがとう。あぁ、それと、名前は好きに変えても構わない。世界観もおまかせするよ。」
昨今はコンプラだのなんだの煩いからね。と苦笑している先輩の言葉には何も返事をしなかった。
その時、帰るようにうながすチャイムが聞こえた。時計を見れば、もう部活動の時間は終わってしまっていた。
私はさっさと荷物をまとめる。無論、即座に帰ろうとしなくても特段悪いことが起きることは無い。
それでも、部活動の時間を全て使って案を考え、先輩の依頼まで突っ込んだ脳味噌はオーバーヒートしかけており、外の生温い空気を取り込みたくなっていた。
「先輩。さようなら。」
「気をつけてね。最近どんどん暑くなって来ているから、帰り道に倒れないようにね。」
そんな、いつも通りの会話を交わしながら、私は部室の先輩に背を向けた。
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さて、このような依頼を貰った経緯は分かっていただけただろうか。
私は結局、帰って少し考えても良い案が思い浮かばなかった為、この依頼を遂行する事にしたのだ。
しかし……先程も述べた通り、私は先輩のことが詳しい訳では無い。そんな中で、そのままキャラクターに落とし込むのは無理があった。
だから、先輩のことをまとめていこうと思う。
まずは先輩の性格等を深堀していく。
先輩の性格は……少なくとも外交的では無いと思う。根拠は、先輩が部室に友達らしい人と来たところは見たことが無い。それどころか、友人がいるという話すら聞いたことが無い事だろう。
もっとも、部室外の先輩の事は殆ど知らないから、そう見えるだけかもしれないが。
しかし、コミュニケーション能力が欠けているということもなさそうだ。何故かといえば、私と話している時に言葉に詰まることはほとんど無いように感じたからだ。
いや、むしろ饒舌な方だろう。確かに今回の依頼のように、突拍子もなく冗談のような事を言う日もあるが、それですら的を得た発言のように感じさせるような人だ。
そんな言葉を紡げる人だから、恐らく頭も良いのだろう。それは勉学の得手不得手の話ではなく、様々な事柄を深く考える事が出来るという意味で、だ。
少なくとも、過去に意見の言い合いで先輩に勝った試しは無い。口もさることながら、頭もよく回る証拠だろう。
私はそんな事を紙にまとめていく。
思えば、先輩は先輩自身のことをあまり語らない。多感な高校生の時期なのだから、学業の愚痴や趣味等の話を聞くことはあってもおかしくないはずだが、先輩の口からそんな話が出てくる事はなかった。
強いていえば私同様に小説が好きで、時折自身でも書いているという事だけは知っている。
そんなことを書きまとめていけば、前に書き終えた原稿を見せてもらったことを思い出した。
その時の作品、どんなものだっただろうか。
これは私にも言えることだろうが、人の書いた作品には、その人の人生観や思想がぐちゃぐちゃに練り込まれている。だから思い出せれば先輩の事を詳しく理解できるかもしれないと。
結論から言えば、内容自体は酷くシンプルな日常物で、詳しく思い出せない程パッとしない物だった。
あぁ、それでもハッキリと思い出せるものがあった。
先輩の描写する風景はとても美しい物だったということだ。
先輩はビー玉越しにこの世界を眺めているのでは無いか、見た当時はそう信じてしまう程に先輩の文字の世界は輝いていた。
「先輩から見る世界はとても綺麗なものだ。」
そう殴り書きをしたところでふぅ、と一息つく。性格や性質はこんなもので良いだろう。
次はそのまとめ書きを参考に、基本情報を作り上げる。
とりあえずは外見を決めていく。
先輩の見た目はカラスみたいな黒い髪、それと同じくらい暗い瞳が特徴的だろうか。今日はそこに深い隈が追加されていた。
その薄幸そうな見た目にも関わらず、話す時に不敵に微笑むその姿は、性格同様よく言えばミステリアスな雰囲気を纏った女性、悪く言えば魔女のような不気味な人だと思わせる。
けれど、そういった所が彼女を彼女たらしめる部分だろう。だからこそ、そんな姿もしっかりと描写出来たらなと思う。
続いて名前。名前に関しては先輩から変えてもいいとは言われたが、なるべくならあまり手を加えたくないのは事実だ。
幸いにも、先輩は苗字名前共にそこそこ珍しい。漢字と読みを少し変えるだけでも、無味なキャラクターになることは無いだろう。
次に設定等を練っていこう。そう考えた時にふと、1つの問題点に気がついた。
「結局世界観……決めてなかった。」
思わず声に出してしまう。そもそも、そこが決まっていなければキャラクターを作ることは難しい。
キャラクターはその世界で生きているというのに、その世界のことを一切理解していないというのは、記憶喪失でなければ辻褄が合わなくなるほどの穴だ。それを創造主である作者が知らないというのは欠陥にも程がある。
それに、他に登場する人物は?骨組みとなるプロットは?……考えることはまだまだ沢山ある。私は頭を掻きむしりながら、一つ一つ問題を潰していくことにした。
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あれから数週間程経過した。
まだ荒いところはあるかもしれないが、一応原稿が完成したのだ。
先輩が主役の作品である以上、これは最初に先輩に見せたい。そう考えた私は、その原稿の束が入った紙袋を手に提げて足早に部室へ向かう。
部室の扉を開ければ、そこにはいつも通り先輩だけが座っていた。
「やぁ。どうだい?筆は進んだかい?」
先輩は読んでいた本から顔を上げ、私を見るなりそう言った。
私は先輩の前に紙袋を置くと、その中身を先輩に見せた。そして一言「出来ました。」とだけ伝えた。
「……へぇ。」
先輩はそう感嘆の声を漏らした。そして、1つずつ原稿をめくっていく。
私は、そんな先輩の様子をまじまじと見ていた。やはりどんなに自信作であろうと、自分が書いた作品を読まれる瞬間は緊張するものだ。
そしてついに先輩が最後の原稿まで見終わる。感想が気になって仕方がなかった私は、思わず先輩に「どうでした?」と聞いていた。
先輩は少し間を置いてから口を開いた。そして一言こう呟いたのだ。
「良い作品だね。」
私は思わず胸を撫で下ろす。
「それなら良かったです。変な所とかはありませんでした?」
「無い無い。むしろここまで私を取り入れてくれて嬉しいよ。世界観が破綻してるとかもないし。面白い作品で私は好きだよ。」
思わず顔がほころぶ。やはり、自分の趣味や興味のある事には熱が入るものだ。短い言葉とはいえ、それを褒められて喜ばない事はありえないだろう。
けれど、この作品を褒める先輩の表情は読めない物で、先輩がこの作品に対してどのように思っているのかはよく分からなかった。
「あぁ、そうだ。」
私が顔を見ている事に気がついたのか気がついていないのか、先輩はそう声を上げる。
そして、何かを取り出したかと思いきや私に差し出してきたのだ。
「依頼料を渡してなかったね。」
差し出された物は飴だった。それも、高級な贈答用の物だろう。洒落たガラス瓶にカラフルな飴が詰め込まれている。
「いや、それはいいんですけど。えっと、何故……?」
私は先輩の意図が読めず困惑する。大前提、依頼料なんて取るつもり無かったし、賞を目指しているとはいえ、たかが素人が書いた物だ。貰うにしても、明らかに価格が釣り合っていない。
それに、何故このタイミングで渡して来たのかも分からない。その答えを求め、私は先輩の顔を見ながら質問する。
「未来の売れっ子作家に渡したくなったからかな。」
にっ、とからかうようにしながらそんな冗談事を言った。何かはぐらかしているようにも感じたが、それに突っかかる気は起きなかった。
「あんたが依頼料という言い方が気に入らないなら、私が先週の日曜に遠出した際のお土産という事にしてもいいよ。」
そう言いながら先輩は、小瓶を私にグイグイと押し付けるように近づけてくる。そこまでされては受け取るしかないだろう。
「……じゃあそれで。」
私は根負けしたようにそう答えると、飴の入った瓶を受け取り、鞄にしまいこんだ。
その後は先程の原稿に再度目を通し、余った時間で小説を読む。時折先輩と感想を言い合う。そんないつも通りの部活を行った。
そしていつも通り「さようなら」と互いに言い合い、帰路に着く事になった。
帰り道、ふと最近先輩と話す頻度が増えたな、なんて思いながら。
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書いた原稿を提出し、数日が経った日。この日から先輩は部活に来なくなった。
特に前日に何かを言われた訳でも無く、その時は風邪でも引いたのだろう。数日休めばまた部室に来るはずだと考えていた。
しかし、1週間、2週間経っても先輩は来ず、部室には私以外の生徒が来ることはなかった。
流石に何かあったのではないかと思った私は、顧問に声をかけにいった。
「あの、先輩……部長はどうしたんですか?」
顧問は、驚いたような顔で、そして、かなり言いづらそうにしながら「先週も、その前にも言っただろう。」と呟く。
その後に続いた言葉に耳を疑った。嘘だとしか思えない言葉だった。聞いたあとも、その言葉が信用出来なかった。
「現実が受け止められない気持ちはわかる。けれど、キマチは、文芸部の部長は……」
死んだ。近隣からは少し離れた海で。
その言葉を聞いた時、私はただ呆然としてその場に立ち尽くす事しか出来なかった。友達という訳では無い。ただの先輩と後輩、そんな関係なはずなのに、冷たい杭で脳を穿たれるような気持ちになった。
「きっとお前は責任を感じているだろう。けれど……これは……彼女が……。」
顧問が何か言っていた気がするが、それは聞こえなかった。いや、正確には聞きたくなかった。この前まで平然と話していた先輩が死んだなんて、信じたくなかったからだ。何故なら先々週には普通通り話していた。その前には原稿を見せて、飴を貰った。変なところはなかったはずだ。
嘘、違和感はあった。最初の頃には無かったはずの隈が現れたし、不自然なまでに私とよく会話するようになった。けれど、それでも私は、信じたくはない。旅にでも出ていってしまったと、信じたかった。
しかし、私が信じようが信じまいが、あれから先輩が部室に来ることは無かった。
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あれから季節が2回程変わった頃。
私の書いた小説は入賞し、世界観やキャラクター等を沢山褒められながら単行本として販売されるようになった
そして、あれよあれよという間に小説はヒットし、『高校生の文才』として一時期の話題の種になった。本当に、一瞬の間に色々なことが起きたと感じる。
もちろん嬉しかった。私はそうなる事を目標に筆を動かしてきたから。涙を流し、自身の夢への道がハッキリと開けた事へ深く感謝をした。
それなのに、心のどこかは酷く空虚で冷たい空気が吹き抜けるのを感じていた。
先輩は長い旅から戻る事は無く、数ヶ月経ってやっと先輩がこの世に居ないと実感出来てしまったのだ。そのはずなのに。
先輩が世間で当たり前のように話題に上がるようになった。正確には先輩では無い。先輩を模したキャラクターだが。
世間一般では、先輩は海で息絶えることなんて無く、世界を美しく見つめながら旅の仲間と共に生きているのだ。
先輩は生きている。キャラクターの名前が出る度に実感しかけた心にそう囁く自分がいる。
けれど事実は死んでしまっている。哲学か何かのパラドックスのようだ、なんて考えて潰れそうになった。
ふと、私はその思考から逃げるように前に先輩から貰った小瓶を見る。沢山入っていた飴も少なくなっており、透明な瓶が向こう側を映している部分が増えてきた。
私はその中から飴をひとつ取り出し、口に含む。
大粒の飴は口の中で散々遊ばせても中々溶けていかず、甘い果実の味をべったりと残していくばかりだ。
ふと、味に思いを馳せながら先輩の事を考えていた。
先輩は何を思って依頼料に飴を選択したのだろう。あの時『先週の日曜に遠出した際のお土産』と言っていたが……何処のお土産だったのだろう。
もしかしたら死に場所を探していた時に、見つけた店で買ったものだったりするのだろうか。それとも……。
分からない。先輩というキャラクターを作っていた時同様、私には普段の先輩から想像することしか出来ない。
もしも先輩が生きていたら、私はその答えを聞く事が出来ただろうか。
そんな心持ちで飴を舐めても、不安感で頭がいっぱいになる。それを誤魔化すように飴を噛み砕いた。
破片を飲み下してもなお口腔に残り続ける甘さが、なんだか先輩が文字という媒介で、人の心に存在を強く残してみたかったんだ、と言っているような気がした。
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時間の流れは早いもので、あれから数年が経過した。
私は、あの賞をきっかけに小説家として活動し、順調に名を残して行った。そしてありがたいことに、あの作品の映画化の話を持ちかけて頂けた。
そんな中、私はテレビ番組でインタビューを受けることになった。
「あの作品に対して込められた想いをお聞かせください!」
そう言われた私はこう答えた。
「あの物語はフィクションです。けれど、主人公の元になった人物がいました。あの人はもうここには居ませんが、私の書いた文字の中で生き続けています。文字で生きているのです。」
そんな作品をどうかお楽しみください。なんて、陳腐な言葉を最後に並べ、私はカメラに向かって頭を下げた。