IBM ThinkCentre type8183-AFJ
Unix系OSへの憧れだけはあったが対応するハードを持っていなかった。
当時同棲していた彼女のパソコンがWindowsXPだったのでUbuntuを入れた。
圧縮ファイルをダウンロードして展開、インストールみたいな手順でフリーソフトを使うのがそれまでのやり方だったので、リポジトリに大概のソフトウェアが含まれていてパッケージで管理されている、コマンド一つでインストール出来るし嫌ならGUIでも出来るという環境は目新しかった。
それに無料だった。
GIMPは当時数万円もしたPhotoshopと同じ事が出来るしOficeも互換ソフトがあった。
FLACという可逆圧縮の高音質フォーマットがあるがMacOSでは再生環境を探すのにも苦労したし、当時は有料のアプリしか見つからなかった。
それが標準で使える。
これが自由な世界の風かと、目の前が開けた気がした。
便利さと引き換えに何でも出来る。
企業によって秘匿されたソースコードのせいで不具合があっても自分で直したり改良をする事が出来ないという不合理。それを解放すると言うのがGNUなりGPLなりの理念なので、この時の気持ちは正確な理解ではないが大きく離れてもいない。
Appleの見てくれはいいけど閉じられた世界、エコシステムと呼ぶそうだが要は儲ける仕組み。それは元々BSD系とは思えないくらい閉鎖的で嫌いだった。私は真冬以外家ではずっと裸族なくらい閉鎖的なのが嫌いでiPhoneだって買うたびにその日に脱獄している。
WindowsはXPが最終的に無法地帯的にフリーになっていた。古いマックユーザーの僻みでマイクロソフトに抵抗があるだけで、別に悪くないんじゃないのと思うけど意地で使わない。
彼女と別れてから凶野くんに勧められてXPがプリインストールされたIBMデスクトップPCで、レノボに買収されるぎりぎり前の奴を買った。IBM ThinkCentre type8183-AFJという黒くて角張った無骨な奴だ。デスクトップ型は初めてかつ唯一で、埃をかぶっているが今でも起動くらいはする。Ubuntuとのデュアルブートで結婚祝いの予定で買っていた大画面液晶テレビに16pin DVIケーブルで繋いで、元々CPUがCeleronで遅かったので同じソケット478のPentium4 Northwood 2.6GHzに載せ替えた。TDPが60W以上ある大喰らいだ。
Pentium4は1コア2スレッド、ハイパースレッディングという擬似的にデュアルコアを再現するテクノロジーが使われている、でも64bit OSに対応するのは次のPrescottから。
HDDも3.5インチは安かったので30GBから500GBに増やした。
引っ越してエアコンのない狭い部屋で一人暮らしをしていた頃は5.1chのアンプに繋いで、主に音楽を鳴らすのに使っていた。
結婚の話がダメになりそうな時に柴山さんに相談して気持ちが救われた。
この頃はパソコンよりもiPhoneで匿名掲示板を転載してまとめた投稿ものの不幸話ばかり読んでいた。ジャンクが好きと言うのはきっとがらくたに自己投影して壊れた自身を直して使えるようにしようとする無駄な足掻きなのだろう。