第3話
「はいはい、おしゃべりはそれくらいにしてエリン。日が暮れないうちに、これをおばばさまに届けてくれないかしら」
エリンの母親がこれまた籠を持って出てきた。
こちらでは子供も立派な労働力、いつまでもおしゃべりしているわけにはいかない。
働くざるもの食うべからず。
「ええ!おばばさまのとこ!?」
「おばばさま?」
思わず、小鳥は首を傾げる。
こちらに来て数カ月、『おばばさま』という単語ははじめて聞いた。
「あ、トリィは知らないのか。おばばさまっていうのは『いざないの森』に住む魔法使いだよ。村の人に薬草とかを分けてくれるのよ」
エリンは説明する。
「魔法使い!そんなのいるの!?」
『なんてファンタジーな響き』と、小鳥は思わず食いついた。
「いるに決まってるじゃない」
エリンはなぜそんなことを聞くのかという顔だ。
「じゃあ、杖を振って魔法を使ったり、空を飛んだりするの!?」
エリンは小鳥のおでこに手をあてた。
「熱はないみたいね」
「私、変なこと言った?」
「トリィ。魔法使いというのは『世の中の理を知り、導く者』よ」
困った顔をしていったのはエリンの母親グレンダ。
「よのなかのことわりをしり、みちびくもの」
「そう、私たちが知らないようなことも知っていていろいろ教えてくれたり、村人が病気になった時薬草をくれたり……それで尊敬の念をもって村人は彼女を『おばばさま』って言うのよ」
「見かけは不気味だけど」
エリンは小鳥に呟いたが、グレンダにもしっかり聞こえたらしい。
「エリン!そんなこと言って今あんたがここにいるのは、おばばさまのおかげなんだよ!」
「はーい、ごめんなさい」
グレンダは優しいが怒るときはしっかり怒るよき母親だ。
ちっとも反省してなさそうなエリンを小鳥は横目にみながら、なんだかうらやましくなる。
小鳥の母親も怒ったら怖い人だった。
「お母さんは一緒に行かないの?」
「ああ、今お父さんとグレンたちは街に作物を売りに行ってるじゃない。私も行ったら家にアディ一人になっちゃうでしょ」
アディとはアンゲルさんちの末娘。
エリンを筆頭に男の子3人に最後に赤ん坊のアディだ。
「えー」
エリンは不服の言葉をあげる。
『いざないの森』とはコッペンハルム村の北東に広がる森で、小鳥がさ迷った森でもある。
奥まで入って戻ってきた者はいないことから、村人さえ深入りしない迷いの森である。
エリンはそんなところに一人で行くのは嫌なのだろう。
「そうだ!トリィも一緒に行こう!魔法使いみたことないんでしょ!」
「え?」
「悪いねえ。トリィ、私からも頼むよ」
そうグレンダからも頼まれてしまっては小鳥は頷くしかなかった。
エリンは細い身体に似合わぬ力で善は急げと小鳥を引っ張り半ば引きずるように家を出た。
「気をつけるんだよ。森の奥には入っていけないよ」
「は~い、いってきます!」
グレンダに見送られながら、マシューに保護されて以来はじめていざないの森へ向かった。
森へ行く道すがら小鳥はエリンに『魔法使い』について尋ねる。
「魔法使いって具体的にどんなことするの?」
「そうだなあ。病気になった時に薬草をくれたり、怪我をみてくれたり……」
「それって医者や薬師と同じじゃない?」
「えー!違うよ!お医者はお医者でしょ!薬師は薬師!」
だからどう違うのか、と小鳥はツッコミを入れたいところだ。
「だってお医者や薬師は天候を読んだり、祭りの時期を教えてくれたりしないでしょ」
「祭りの時期?」
「そーいえば、トリィが来てからそろそろはじめての収穫祭だね!」
一体、魔法使いとは何なのか具体的わからなぬまま嬉々として収穫祭についてしゃべりはじめてしまったエリン。
小鳥とエリンはまだ数カ月しかない付き合いだが、エリンがこうなってしまった以上、話は彼女の独壇場だ。
小鳥は手をひかれながらあきらめて話を聞くことにした。
いざないの森の緑は濃い。
森の中は昼間も広がった枝葉が天を覆い薄暗く、地面には木の葉がつもり腐葉土の匂いがする。
苔がいたるところに生え、じめじめしている。
どの木も小鳥が5人は手を繋いで囲めそうな巨木ばかりだ。
静かな森を前にして、さすがのエリンも黙った。
小鳥はさ迷った時の記憶を思い出し恐怖心が現れるかもと密かに思っていたが、あまりそういった感じは受けない。
むしろ厳かに迎えいるかのようだと思う。
――――――こういう感じどこかで……
「いつ見ても不気味~」
エリンの言葉に小鳥の思考が中断される。
「そうかな」
「そうだよ。ほら、さっさと行って済ませよう」
小鳥は巻き添えでそもそもエリンのお使いなのだが、そんなこと構わず引っ張っていく。
だからエリンの細うでのどこにあるのだろう、と心底不思議に思いながら小鳥は引きずられていった。
森に少し入ったところにおばばさまの家はあった。
枝の天井がぽっかり空いてそこだけスポットライトに当たったように光を浴びているかのようだ。
家というより、半径3メートルほどの円形のテントで、小鳥が元の世界にいるときにテレビで見たモンゴルの遊牧民族の暮らしているゲルに似ている。
「おばばさま。いらっしゃいますか~……」
いつもの元気はどこへやらエリンは恐る恐るといった具合にテントの入口をめくった。
エリンが中に入り手をひかれ続いて小鳥も中に入る。
中は小鳥が想像したより明るく広い。
5~6人は楽に寝られそうだ。
天井には薬草らしき束がつられていて独特の香りが立ち込めている。
中央には囲炉裏がありその真上の天幕はぽっかり空いている。煙があそこから出て行くのだろう。
「アンゲルの家の上の娘かえ」
しわがれた声が聞こえ、小鳥はびくりとする。
黒い塊が動いた、と思ったらそれはローブをかぶった老婆だった。
隅で何やらすりこぎですり潰す作業をしていたらしい。
しわしわの顔にかぎ鼻、絵本に出てくる悪い魔女のような風体だ。
小鳥は、一人でエリンが嫌がる気持ちが少しわかったような気がした。
「この前、熱さましの薬のお礼に参りました」
すっとエリンが食べ物の入った籠を差し出す。
「いつも悪いねえ」
ヒッヒッヒッ、と笑い声まで魔女である。
「それでは、失礼します」
エリンと小鳥は長いは無用とばかりに踵を返そうとすると制止の言葉がかかる。
「ちょいとお待ち。もう一人の女子」
「わたしですか」
「ぬし、村のものではないな」
「はい、今マシューさんとマリーさんのところでお世話になっている者です」
「まあ、そこにお座り」
しわが多いふしばった手で、おばばさまは囲炉裏を挟んで向かい側を指差す。
「あの、おばばさま?」
エリンは不安げに問うとおばばさまはエリンに視線を向けて外を指さす。
「お前さんはもう帰ってよいぞ。グレンダに礼を言っておいておくれ」
「そ、そうですか。じゃあ!」
今にも出ていきそうなエリンの腕を小鳥は慌てて掴む。
二人はこそこそとおばばさまに聞こえないように話す。
「ちょっと置いてく気!?」
「大丈夫。取って食われたりしないから」
「そういう問題じゃなく、もともとエリンの頼まれ事でしょ!?」
「あ、いっけな~い☆家に早く帰って夕飯の準備手伝わなきゃ」
エリンはそういうや否や素早く小鳥の手から自らの手を外し小声で「じゃ幸運を祈る!」とビシッと親指を立てて逃げ去る。
「薄情者~!!!!!!」
小鳥は心の中で叫んだがその声はエリンに届くわけもなく、腹をくくりおばばさまに向き合った。