第1章 はじまり 第1話
異世界にトリップしてしまう話は、ファンタジーの王道である。
私だってその手の話は読んだことあるし、結構好きだった。
大体、その手のストーリーの主人公は特別な力を持った世界を救う勇者や巫女。見目麗しい王女や王子、勇猛果敢な戦士が出てきて冒険をするうちに恋なんて芽生えちゃったりするもんである。
――――――だけど、しかし今の私の状況はどうだろう。
現在、絶賛異世界トリップ中の野山小鳥はふと思った。
手には聖剣ではなく農作業用の単なる鍬
甲冑やローブではなく木綿生地のエプロンドレス
そして作業に邪魔にならないように髪はまとめ三角巾をかぶっている。
立派な農家スタイル!!
「よっこいせ!」
色気のかけらもない掛け声をかけて小鳥は鍬を振りかぶった。
あたりはのどかな田園風景、太陽の光が暖かく降り注ぎ、少し暑いくらいだ。
近くの森からは鳥の声が聴こてくる。
農家スタイルで畑を耕す小鳥。
肥沃な黒々とした土に思わず微笑む。
「トリィー、昼御飯だよ~」
畑の向こう側で手を振る丸いシルエット、小鳥と似た格好をした中年の女性が手を振っている。
「はーい!!」
小鳥も手を振り返す。
小鳥は戻る準備をしながら再度思った。
――――――私なじみすぎじゃね?
小鳥がこの世界にトリップしたのは、かれこれ数カ月前。
正確な日数はわからない。
なにせはじめは混乱したし、言葉だってわからなかった。
はじめにいた場所は現在いる農家の近くの森であった。
小鳥はその森の木で実を食べ飢えをしのぎ、夜にはオオカミらしき野生生物におびえ、散々森をさ迷ったあげく、行き倒れているところを森に狩りに来ていたマシューおじさんに救われた。
マシューおじさんとは先ほど小鳥に声をかけたマリーおばさんの旦那さん。
のっぽでやせているマシューおじさんに、ふくよかで丸々としたマリーおばさん、二人ともいつもにこにこした気のいい夫婦で、農業を営んで暮らしていた。
二人には子供はなく、それもあってか突然現れた小鳥にも大変よくしてくれたのである。
小鳥がマシューおじさんたちの家にきてはじめて食べた食事の久しぶりの暖かいスープは泣くほどうれしかったものだった。
小鳥とマシューおじさんたちははじめ、言葉も通じず会話もままならかったが、小鳥は農業を手伝いながら少しずつ言葉を覚えていった。
ようやく会話ができるほどになった時にわかったことだが、どうやら小鳥は戦争孤児だと思われたらしい。
マシューおじさんとマリーおばさんの赤レンガの家の北にはフォール山脈が連なり、その向こうのアドレス王国には魔女が現れ、政治を操り圧政をしいている。
圧政に耐えかねた国民たちが立ち上がり革命を起こし国は内紛状態になっているらしい。
これらのことは、小鳥が少しずつ単語を覚えて夫婦に教えてもらったことである。
フォール山脈という自然の地形による壁は向こうの国の動乱もこちらまでは及ばない。
彼らの住むコッペンハルム村のあるアルファード皇国は施政は穏やかで大国ではあるが他国に戦争などしかけず長らく平和が続いているということだった。
しかし、異世界トリップものでは世界を救い元の世界に戻る、というのが常道である。
小鳥は『魔女』という異世界らしい単語にいろいろ言葉を聞いてみたところ……
「勇者?なんだいそれ。聞いたことないねえ、魔女っていうのはあんたのほうが知ってるんじゃないかい?」
それからマリーおばさんは痛ましそうな表情をして目を潤ませた。
「ああ、そうか。ごめんよ。ショックなことばかりで記憶がおかしくなっちまったんだね」
とふくよかな身体にこれでもかという力で抱きしめられた。
小鳥の顔面はマリーおばさんの胸に押しつけられて息が出ない。しかし声も出せない。
花畑と川が見えたところを離された。
離されるのがあと10秒遅かったら小鳥は向こう側に渡っていたかもしれない。
言ったところで信じてもらえそうにないので小鳥はそう言ったことを聞くのをやめた。
どうやら、生活していると元の世界と変わらず火はマッチのようなもので点けるし、杖を振って不思議なことが起こったりしない。
どうやって帰ればいいのかと頭の片隅で考えつつ、農家の生活にちゃくちゃくとなじみつつある小鳥であった。