07
「公爵令嬢の機嫌を損ねて帰らされたみたいですね」
翌日、クラリスが満面の笑みを浮かべてレイの食事の用意をしていた。レイは特別なイベントがなければ家族と食事を共にするということはなく、いつもこの与えられた自室で三食を済ませていた。
そして今日も例外ではなく、専属メイドのクラリスが食事を持ってき並べている。
「レイ様は醜い御令嬢ともまともに婚約できない、本物の出来損ないなのですね」
「どうやらそのようだな。私は本当にダメな男だ」
クラリスは落ち込んでいる様子のレイを見ると嬉しそうに頷く。
「彼女になんて声をかけてあげればいいか分からなかったんだ。私の言葉は全て同情になってしまう」
「まぁ所詮、『何を』言うかより、『誰が』言うかですからね。レイ様の言葉なんて、誰も聞いてないですよ」
鼻唄を歌いながら、辛辣な言葉をレイに投げかける。自分の方が優位に立っているという全能感が、クラリスの心を満たしていた。
クラリスは他人の悪評を述べている時、自分は優れた存在だと感じる癖があった。
都合の良いことに自分が仕えているレイは家族から見放されていて、いくら悪口を言っても怒られなかったので、その捌け口としてレイは機能していたのだ。しかし目を覚ましてからのレイは様子がいつもとは違っていて、あまつさえ悪口を言ったら言い返してきた。
ところが今日になってみるとレイは、目が覚めてからのことが嘘のように力強さが消え、背中は曲がり、頻繁にため息をついていた。クラリスはそれを見て、いつもの日常が帰ってきたと密かに安堵した。
レイは昨日と比べ少し豪奢になった食事を平らげると、大きなため息をつく。長い前世では遂に経験できなかった「人を好きになる」という感覚に戸惑うと同時に、婚約が破談になりそうな事にひどく落ち込んでいる。
そんなレイを尻目に空になった食器を片付けたクラリスは上機嫌で、これまで面倒くさくて避けていた掃除を始めた。隅の埃を雑巾で拭い、窓を開けて部屋の換気する。青々とした空から暖かい光が差し込み、緑色の香りが窓の隙間から部屋に入ってくる。
「そんなに落ち込むなら、手紙の一つでも送ってみればいいじゃないですか?」
「ふむ、手紙か……」
レイはクラリスに手紙を書くための便箋を買ってくるよう願うと、後日、渋々と紫色を基調とした便箋を用意してきた。
「いらないこと言わなきゃよかったです。街まで買いに行くの本当にめんどくさかったんですよ」
「すまんな、クラリス。しかし其方は便箋を選ぶセンスがあるな」
「適当に見つけたものを選んだだけですけどね」
クラリスはぶっきらぼうに答える。「出すなら早く書いてくださいね」と言い捨てて部屋を出ていった。
レイは手紙をしたためるためにペンを持つ。しかしいつまで経っても筆は進まない。ペンをインクに付け、紙に触れる直前で止まり、またペンをインクへ戻して、というのを何度も何度も繰り返した。
「国家を太平に導くための法律書ならいくらでも書けるんだが、恋文は書けんな……」
レイはミルドへ恋文を書くことを諦め、まずウェイリー公爵へミルド嬢ともう一度会って話がしたいと手紙を書くことにした。
それは淡々とした文章で、非常に業務連絡的な書き方であった。レイは極端に感情を文に載せるのが苦手だったのだ。