06
翌日、ブラッド家一行を連れた馬車がデズモンド公爵家の門をくぐった。デズモンド家はさすが公爵家といったところで、ブラッド家の邸宅よりも一回り大きい城構えとなっていた。
レイたちは応接室に通される。レイとベイティが隣に並び、間に机を挟んだ向かい側には、白髪をきっちりと七三分けした小柄なウェイリー公爵と、拳一個分の大きいコブが不自然に顔中に広がって顔面がデコボコの公爵令嬢ミルドが座っていた。
「今日はよくきてくださった、ベイティ殿、レイくん。歓迎するよ。こちらが娘のミルドだ」
ウェイリー公爵は爽やかな笑顔がよく似合っていて、それでいて人の上に立つ者の暖かさを兼ね備えている、といった印象をレイに与えた。
隣に座っていたミルドは立ち上がって「よろしくお願いします」と、両手でスカートの裾を軽く持ち上げる。透明感のある凛とした声と、一連の流れるような動作にレイは思わず、ほぉ、と声を漏らす。
「ウェイリー殿、ミルド嬢。こちらこそお招きいただき感謝いたします」
ベイティはそう言って一礼すると、レイとミルドが二人きりで話す場を設けたいと持ち出した。親同士がいない方が二人の距離が縮められるとウェイリーも賛同して「折角だから、デズモンド家自慢の庭園を案内してあげなさい」と部屋の外に二人を放り出した。
「放り出されてしまいましたね」
ミルドは口元に手を添えケタケタと笑う。容姿自体は顔中に広がるコブのせいでひどく歪な印象を与えるものの、動作のひとつひとつは非常によく洗礼されていて、公爵家の令嬢にふさわしい優雅さを出していた。
「すみません、ミルド嬢。父の無茶ぶりに付き合っていただいて」
「面白いお父様ですね」
二人は庭園に着くまで、話が止まることはなかった。まるで旧知の中のように、お互いがお互いを引き出し合う。レイは、前世の社交界の経験から、ミルドは天性の会話上手ゆえ。二人はユートピアのような極上のひと時を過ごした。そして、次第にレイは彼女に魅力に惹かれていることに気付いた。
しばらく歩くと、デズモンド家自慢の庭園に着く。そこで興奮気味のレイとは対照的に、ミルドは顔を下に背けた。
「素晴らしい庭ですね、ミルド嬢。色彩感覚のバランスがとても優れている。どの花も庭園の全体の一部として正確に機能していて、観る人を飽きさせない」
「……ええと、……レイ様。今回の婚約は破棄にしていただいても構いません。親同士が勝手に決めたことですので」
ミルドは弱々しく微笑む。ミルドは自分の容姿の醜さを改めて呪った。
――――レイ=ブラッドという人間は、自分には勿体無いくらいの素晴らしい男性だ。少し話しただけでもわかるほど知性と上品さを持っていて、さらに彼はおそらく自分の容姿のことも気にしていないだろう。だからこそ、自分と一緒になってしまってはいけない。彼はもっと、幸せになるべき人間なのだから。
「私に何か至らないところがありましたか?」
レイは困惑した表情でミルドに問いかける。
先ほどまでの堂々とした表情とは打って変わって今は自信なさげにミルドの目の奥を見つめていた。レイはアルフレッドの皇帝時代、人心掌握には長けていたが、芯からの「恋愛」はしたことがなかった。
ミルド嬢とは出会ってわずかだが、彼女の魅力に惹かれていると感じている。だからこそミルドの申し出には狼狽えてしまった。恋愛未経験のゆえ、自分は何か間違えたことをしてしまったのだろうか。そんな考えがレイの頭をよぎる。
「何か気分を害してしまったのなら謝ります。それともやはり、身分の違いを気にされているのでしょうか」
「とんでもございません! 私は身分など一切気にしていませんし、レイ様は私に勿体無いくらいの素晴らしいお人です! しかし……だからこそなのです! レイ様は幸せになるべきお人なのです! 私のような……こんな醜い者と一緒になってしまっては……ダメなのです…… 」
ミルドは震えながら下唇を噛み締める。その様子を見ていたレイは、なんて愛おしい人なのだろうと身に秘したる母性が溢れ出すのを感じた。
ーーーーこの人は自分を犠牲にしてまで他人の幸せを願える人だ。自分はこの人に何をしてあげられるのだろう。なんて声をかけてあげられるのだろう。外面が醜いというだけで周りからは蔑まれ、痛めつけられ。そんな生活が今の今まで続いていて、そしてこれからも続いていく。人間にとって一番辛いことは終わりの見えない苦痛が続くことだというが、彼女はその苦痛から逃れることも出来ず、ただただ受け入れて、そしてその苦痛を周りに巻き込まないよう誰とも一緒になることも拒絶して生きているのだ。
レイは自分の意識とは裏腹に目が潤んだことに驚く。スキル一つで蔑まれ続けてきた元の身体の過去と一致して、自然と涙腺が反応したのだ。
「レイ様?」
ミルドが心配げにレイの顔を覗き込む。顔を歪なものにさせているコブの一つ一つが愛らしく見えてきて、縁談を自分まで持ち込んでくれてありがとうと、感謝の念までレイは抱いた。
「私は、頼りないですか?」
「い、いえ。本当にそういうわけでは」
「私はあなたと家族になりたいと思っています」
「レイ様は私には勿体無いお人なのです! 私と一緒になってはダメなのです! どうしてわかってくれないのですか! 」
「私は」
「もういいです! 同情されるほど、惨めなことはありません。もう帰ってください。父上には私からうまく話しておきますので」
二人気まずい空気のまま元の部屋へ戻るとすぐさまミルドはウェイリー公爵に体調がすぐれないと申し出た。結局、その場はお開きとなり、婚約の話は有耶無耶になって終わった。
レイはウェイリー公爵に、日を改めて逢いに行く旨を伝え、馬車に乗り込んだ。外は太陽が下がり始め、帰りの馬車は一段と冷え込んでいた。