プロローグ
「お会計、2556円になります」
(うわぁ、結構いったなぁ)
俺は、財布の中をチラッと確認した。
財布には、3枚の野口さんだけがいる。
「3000円でお願いします」
「おつりが444円になります」
(げっ、不吉だな)
いや、まぁいいか。
こんなのは俺にとって良くあることだもんな。
俺は、おつりとレシートを受け取り、コンビニを後にした。
コンビニを出た後は、アパートへ向かって歩きはじめる。
あたりは薄暗く、一等星だけが美しく照らしている。
「はぁぁ」
「俺って何やってんだろ」
周りに人がいないことを良い事に、大きなため息を一つこぼす。
俺の目には、涙が薄らと浮かぶ。
薄暗い天を仰ぎながら、数時間前の出来事を鮮明に思い出す。
俺には、好きな人がいた。
会社で出会った女性である。
美女って訳ではないが、俺にとってはどストライクの女性だった。
会社でいつも一人でいる俺にも優しく声を掛けてくれて、優しく接してくれた。
これが、俺が勘違いしてしまった原因だ。
女性との接点がなかったから勘違いするのも仕方がいない。
と、思うしか他になかった。
それだけ、馬鹿な人間だ。
お分かりの通り、俺は振られた。
初めての告白と言うのは呆気なく、「君と付き合うのは生理的に無理」と言われ、終わった。
「何が!生理的に無理だ!」
「なら、話しかけてくんなよ!」
「勘違いするだろ!」
俺は叫ぶ。
しかし、夜という事もあって声は抑えめではあるが。
涙は頬をつたって顎先へと流れていく。立っているとこだけ少し雨が降っている様だった。
いつぶりだろう、こんなに泣いたのは。
大学生になってから、泣くことなんてなかったもんな。
(まぁいいや、家に帰ろう)
そう思って止めていた足を動かし始める。
動かし始めた頃には、星の輝く空へと変化していた。
♢
おぼつかない足で何とか歩き、住んでいるアパートに着いた。
腕時計を見ると時刻は7時を回っている。
先週から梅雨に入ったせいか、額には汗が滲んでいる。
流れ落ちる汗を裾で拭い、カバンの中からクマちゃんのキーホルダーの付いた鍵を取り出す。
「今日、長袖で行くのは間違いだったな」
なんて、言いながら鍵を開ける。
カチャっと軽快な音がし、ドアノブを掴む。
ドアの金具が錆びているせいか、開ける時にサビ同士の擦れる音がする。
俺は玄関の明かりをつけ、スニーカーを脱ぐ。
いつものカゴに鍵を置き、居室の扉を開ける。
真っ暗な部屋の中で、スイッチを手探りで探す。
いつも通りスイッチを見つけ、電気をつける。
そこで俺の視線の先に映ったのは、いつも見慣れている光景では当然無かった。
髪が長く、乱れている。
足が無く、体全体が透けている女性がいる。
「え…」
「嘘でしょ」
俺は、血の気が一瞬で引いた。
その直後、頭の中は白1色になる。
他の色なんてない綺麗な色である。
手や足が動かない、それに加え声も出ない。
つまり金縛りの様な状態に陥った。
手からはカバンが落ち、静寂の中に落下音だけが何度も反響して鳴り響く。
視界の先に、既に女性の姿はない。
俺の視界は、頭の中と同じ白1色である。
数秒後……。
いつしか、俺の意識は奈落へと沈んでいた。
同時に、俺の体も地面へと沈んでいったようだ。
俺が次に目を覚ますのは、翌日の朝であった。
まず目を覚ます前に、俺の鼻に匂いが迷い込んできた。
その匂いは、鼻で吸収され脳で分析される。
結果。
脳は、いつもの食パンが焼ける匂いと素早く判断した。
その結果に、俺の脳は混乱に陥った。
(待てよ、俺は一人暮らしのはずだよな)
(パンを焼いて、朝食を作ってくれる人はいないはず)
俺の脳はますます混乱に陥り、オーバーヒート寸前まできていた。
そんなとこで、俺の瞼が重たく開いた。
カーテンから零れる光が俺を照らしている。
俺は重い体を持ち上げ、匂いのするキッチンを目指した。
鼓動が、一歩進むたびに速くなっているのを全身で感じる。
(泥棒か?いや、パンを焼く泥棒なんていないよな)
(でも一応、はさみは持っていくか)
テーブルの上にたまたま置いてあった、ハサミを持って壁に張り付く。
そしてドアノブを掴もうとした時。
また違う匂いが迷い込んできた。
今度も脳が分析する。
結果。
目玉焼きの匂いだと判断した。
もしかして、食パンに目玉焼きってこの泥棒朝ごはん作ってんのか?
(まさか、そんなことはないよな)
しかし、朝ごはん作っていようが泥棒に変わりはない。
俺は、勇気を持ってドアを押した。
そして、俺の目の前にキッチンで料理をしている知らない女性が映った。
俺は、その女性に見覚えがとてもあった。
昨日すぐに気絶してあんまり顔は見れてはいなかったが、昨日の霊で間違いはないだろう。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「なんでいるんだよ」
俺の脳内は再び混乱に陥った。
これで、本日2回目の混乱であった。
女の霊は、こちらに気づくとふわりと宙を浮いて近くに来た。
そして、俺にニコリと笑いかける。
俺は混乱に陥っていたが、不意にもその笑顔が可愛いと思ってしまった。
見た目は幽霊だが、高校生くらいの顔立ちで、どっちかと言うと可愛い寄りの顔だった。
昨夜の乱れていた髪は綺麗に結ばれている。
そんな事を考えているうちに俺は、女の霊に見入ってしまった。
昨日好きな女性に振られて、空いていた心の隙間を満たしてくれる、そんな可愛らしい笑顔だった。
「私を見てももう気絶しないんだね」
女の霊は、俺に話しかけてきた。
その言葉は、俺を心配している様ではなくあの顔から見てからかっているようだ。
「2度目の気絶は御免だね」
「あら、そう?」
何故か少し残念そうであった。
女の霊は、しゅんとした態度を見せた。
理由は分からない。
俺の女の霊に対しての恐怖心は、既にどこかへ行ってしまった様子だ。
俺の精神はやっと、今に戻って来たようだ。
そこである異変に気づく。
俺の鼻に苦い匂いが漂ってくるのだ。
「なんか焦げ臭くね」
俺の一言で、女の霊は青ざめた顔をし、すぐに振り返る。
その動作で何が起こったのかがすぐに理解できた。
「火を消してなかったー!」
女の霊はコンロの方に走っていく。
いや、浮遊していくの方が正しいかもしれない。
女の霊は急いで右手をつまみにかけ、勢いよく回す。
「危なかったー」
「危なかったー」
俺と女の霊は同時に安堵の声を漏らす。
俺は立ち上がりコンロの方へ足を進める。
そして、フライパンの中を覗き込む。
「あちゃー、目玉焼き真っ黒やん」
フライパンの中には、炭が入っていた。
正確には、丸焦げの目玉焼きが。
炭からは、黒煙が立ち上がりキッチン周りを汚染していく。
俺は急いで換気扇のスイッチを押す。
換気扇は音を立てて周り黒煙を吸い上げていく。
数分もすれば匂いもまだマシになった。
「どうすんの、これ」
俺は女の霊に尋ねる。
女の霊はこちらを向き今にも泣きそうな顔になりうずくまっている。
「ゴメンなさぁい」
目には涙を浮かべ始めた。
俺は完全に泣かしてしまったようだ。
「えー、泣かないでよ」
「少しくらい焦げても大丈夫!」
俺が慰めの言葉を言っても泣き止まない。
(ここは、奥の手を出すしかない!)
俺はそう思い、まな板の上にある菜箸を掴みフライパンに手を伸ばす。
俺は、炭を掴みあげ勢いよく口に運ぶ。
1口噛むと、薄いせんべいを噛んだ時のような音が広がった。
味は……。
とてつもなく苦いと言うか、これは食いもんの味をしていない。
見た目通り炭を食っているみたいだった。
まぁ本物の炭を食べたことがないから想像なんだけど。
でも、ここで「食いもんの味をしてない」なんて言う事ができるほど神経は図太くない。
「お、美味しいなぁ〜」
言う時、俺の顔は引きずっていたと思う。
しかし、これが最大の演技である。
女の霊の目には、変わらず涙が浮かんだままだった。
「……バカ」
そう一言言ってこちらを向く。
女の霊は、涙を拭いながら優しく俺に微笑みかけた。
「ありがとう」
その笑顔で俺の中の何かが揺らいだ。
「えーっと、居室で自己紹介とかする?」
俺は、今の微笑みで完全に動揺してしまった。
じゃないと急にこんな事言わないだろ。
「えっ、うん、する」
女の霊は少し驚いている様子だった。
(そうだよな、驚くよな)
俺は、心の中で猛烈に反省する。
「モテない理由&友達が出来ないのはこういうとこだぞ」
と、自分に言い聞かせるように思った。
座り込んでいる女の霊を手招きして、先に居室へと入った。
2人は丸い机を挟んだ対角線上に座る。
そして、俺は下を向く。
何故かって、女の霊とはいえ女の子が自分の部屋にいるという事実に俺は、汗が止まらない。
これが、女性経験がない人のリアルだ。
高校生や大学では、これが陰キャのお手本ですと言わんばかりの生活をしていた。
そのせいでこのザマだ。
(少しでも、女性経験をしとくべきだった)
内心で、強く思う。
「あのー、大丈夫?」
「もしかしてだけど緊張してるの?」
女の霊は、ニヤリと悪い笑みを浮かべている。
その笑顔を見て、俺の体は少し飛び跳ねる。
図星を付いてくるなんて、少し気持ち悪い感じがする。
しかし、ここで「緊張してる」なんて言ったら童貞である事がバレてしまう。
それだけは、避けねば!
「俺だって彼女の1人や2人出来たことあるわ!」
なるべく童貞が悟られないよう演技をする。
しかし、また演技は失敗に終わる。
「あ、童貞なんだ」
「その歳で童貞って可哀想に」
俺には、演技の才能は微塵もないらしいという事が証明される。
女の霊は哀れみの目でじっと見つめる。
俺をそんな目で見ないでくれ。
悲しくなるだろ。
「じゃあお前はしたことあるのかよ!」
俺は、頭で考えるより反射的に聞いてしまった。
(しまった)
気づいた時には、時すでに遅し。
女の霊は、ドン引きしていた。
これ以上はないほど顔が引きづっていた。
「ごめん、変なこと聞いて」
俺は、素直に謝る。
これくらいしかできることがないという理由からだ。
「まぁ、許してあげる」
「セクハラで訴えたいとこだけど、私死んでるし」
許してくれたのはとても有難かった。
だが、それよりも気になる事がある。
「やっぱり死んでるんだな」
俺は女の霊の言った、「私死んでるし」が俺には重く感じる。
「うん、死んじゃったんだよね」
「そしたら幽霊になっちゃった」
女の霊は辛い気持ちを隠すように笑う。
それに対して苛立ちを覚える。
俺は、辛い気持ちを隠されるのが嫌いだ。
辛い気持ちは隠さず言って欲しいというのが本音だ。
しかし、初対面で隠さず言うのは無理か。
「ごめん、変な事を聞いたな」
「ううん、大丈夫。本当の事だから」
雀の鳴く音だけがこの空間に響き渡る。
とても物悲しくいつもの心地いい音とは違う。
数分後、女の霊の口が少し開く。
「突然現れてごめんなさい」
「えっ」
俺は、突然のことに唖然とする。
確かに女の霊が現れた時は、とても驚いた。
それに、怖かった。
「まぁなんだ、なんでここに現れたかは知らんが理由を聞く気は無い。」
「お前にも色々あったんだろう」
俺が言ってあげれるのはこのくらいだ。
これ以上は俺には無理があった。
女の霊は、「ありがとう」とだけ言って俯いた。
互いに喋らない空間が続くのは結構気まずい。
すかさず俺は、女の霊に尋ねる。
「お前は、これからどうするんだ」
結構アバウトな質問だと俺も思う。
しかし、こんな質問しか出てこない。
女の霊は、意図を理解しているようだが下を向き答えようとしない。
「何も考えてないんだな」
催促するつもりは無かったが、催促している様な言葉になってしまった。
やはり馬鹿だ。
俺が言ったせいで、女の霊は重く閉ざされていた口を開く。
「行くとこが無いんだよ」
その言葉には重い気持ちが込められていた。
俺には、到底理解できないような気持ちだ。
女の霊はまた口を開く。
「1年前に死んでから、色んなとこを転々として暮らしていたんだよ」
「その間ずっと1人……」
女の霊の一つ一つの言葉が重たい。
全てを受け止めてあげれる気はしない。
だが、一つだけ俺にも当てはまる事がある。
「1人は辛いよな」
俺は、高校時代に親と妹を亡くした。
原因は相手の不注意による交通事故だ。
亡くした時は、絶望と言う言葉では表せないくらいどん底に突き落とされた。
その時に、俺は人間に必要な感情を無くしてしまったようだ。
精神科医によると、親と妹を亡くしてしまったショックによるものだと言う。
そこから1年間俺は人間ではなかった。
まるで感情のない置物のように。
何をしても楽しくない笑えない、悔しくも泣きたくなる様な事も無かった。
そんな俺を変えてくれたのは、ある1人の少女だった。
今思えば、俺よりも1つ2つ下の俗に可愛いと呼ばれる少女だった。
その時の少女には本当に感謝している。
少女と出会っていなければ俺はこの世界には既に居ないだろう。
(また会いたいな、そして感謝の気持ちを伝えたい)
胸がどんどん熱くなっていくのがわかる。
「なんで泣いてるの?」
女の霊は、疑問そうに聞いてくる。
「さぁ、なんでなんだろ」
俺は、目頭が熱くなるのを感じ、涙が頬をつたる前に上を向く。
「まぁ俺にも色々あるんだよ」
「察しろ」
女の霊は、こくりと頷く。
そして、つぶやく。
「私、出ていくよ」
「勝手に家に入ってごめんね」
女の霊は、ふわりと浮き上がる。
そして、ドアの方に向きを変え進み始める。
(ここで行かせてもいいのか)
俺は自分の心に問いただす。
そして、女の霊がドアノブをすり抜けるタイミングで言う。
「待て、ここを出たらどこに行くんだ」
「行く宛てでもあるのか」
女の霊は、立ち止まる。
「行くとこなんて、ないよ」
体を震わせて作り笑顔を見せる。
やめろよ、その笑顔。
「なら、家に泊めてやるよ」
俺が女の霊にもう辛い思いをして欲しくない、そう感じた結果だ。
いや、俺が辛い想いをしたくないからというのが本音かもしれない。
俺は、心で自傷する。
「いいの?迷惑じゃない?」
俺は、自分が傷つきたくないという理由で止めていることを悔やむ。
「俺は、お前の為を思って言ってるんじゃない」
「自分の為に言ってるんだ」
女の霊は頭にクエスチョンマークを浮かべている。
「まぁ結論迷惑じゃないって事だ」
女の霊の顔には満面の笑顔が浮かんでいる。
出来るじゃん、その笑顔。
しかし俺は、これでよかったのだろうか。
いや、わからなくていいか。
「まぁなんだ、タダって言う訳にも行かないからな」
「まさか、体をよこせと」
手で豊満な胸を隠すように恥じらって言う。
「違うわ!童貞だからって幽霊に手を出さんわ!」
「……まぁ少し……気持ちはあるけど」
「ん、なんか言った?」
今の一言が聞かれなくて助かった。
聞かれたらまずかっただろう。
いや、まずかったではすまなかっだろうな。
「なんも言ってねーよ」
俺は全力で誤魔化す。
「お前には、働いてもらう」
「幽霊なんでアルバイト出来ないんだけど」
「違う、家事をやってくれ」
女の霊は腕を組み「任せろ」とでも言いそうな勢いだ。
「任せろ!」
まじか、あってたわ。
「まぁ頼んだぞ、幽霊だけど何故か物を触れるらしいしな」
「それじゃあ、座れ。自己紹介でもするぞ」
「はーい!」
女の霊は勢いよく返事をし、元の位置に座る。
読んでくださりありがとうございます!
1話も良ければお読みください。