プロローグ
「人生の本舞台は常に未来にあり」
これは憲政の神として知られた尾崎行雄の言葉です。老境に至ってなお衆議院議員をつとめつづけた尾崎は、この言葉を老骨に言い聞かせ、来たるべき人生の本舞台に備え、日々の研鑽に明け暮れました。しかしながら、尾崎の晩年にはそれらしい本舞台はやってこず、なすべきこともないままにその生涯を閉じます。
一方、人生の最終盤に思わぬ大任を突如として背負わされた同時代人がいます。鈴木貫太郎です。海軍出身の鈴木貫太郎は、政治経験が皆無だったにもかかわらず、いきなり周囲から懇請されて内閣総理大臣となりました。その任務は大東亜戦争を終わらせることでした。政治経験がまったくなく、人脈も持たない鈴木総理は、組閣すらすべて他人任せにするしかないのが実情でした。しかも、国内世論は、戦争完遂を主張する本土決戦論に満ちていました。
鈴木貫太郎総理は、ときに強気の主戦論的発言をなし、あるいは耳が遠くて聞こえないふりをし、はたまた居眠ったふりをし、帝国議会の答弁では無様なダメ答弁をさえしてて周囲を韜晦しつつ、終戦を目指します。ボンヤリしているようでいて、しっかりと政治の要諦を把握し、最後の最後には御聖断にすがって終戦を達成することに成功します。
この間、鈴木貫太郎が見せたのは、長い人生経験に裏打ちされた真の腹芸と玄黙と阿吽の呼吸であり、小手先の政治工作とは別次元の老獪な政治でした。鈴木貫太郎の終戦工作成功がなかったら、日本は完膚なきまでに連合軍に蹂躙され、破壊されつくし、戦後復興する力さえ失っていたでしょう。