ドラゴン、【Enigma】、或いは人間
どうも皆様はじめまして。bishopという名前にて今回初投稿させていただきます。拙い文章ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
記録ーーーーー西暦2025年
ロシアの発掘家が中国の四川省、龍門山脈は九頂山にて、“龍とおぼしき生物”の全身の化石を発掘する。
記録ーーーーー西暦2040年
ロシア及び中国、日本の研究チームの研究の結果、15年前に発掘された“龍(仮称)”の化石が恐竜等の既知の生物ではないことが判明。
記録ーーーーー西暦2043年
“龍(仮称)”の毛髪、及び鱗の化石が発掘。これまた既知の生物のものではなく、“新種の生物”であることが確定した。
記録ーーーーー西暦2049年
ロシア政府が“龍(仮称)”を確かに過去に存在した“生物”と確認。名称を【龍種】とする。
記録ーーーーー西暦2060年
研究チームがiPS細胞を用いた培養実験を行い、【龍種】の細胞の培養に成功。当初、軍事兵器として開発される予定だったため、この時点では【龍種】の存在は秘匿される。
記録ーーーーー西暦2065年
ロシア政府が【龍種】の存在を正式に公表。培養済みの5体の【龍種】の写真を公開。
記録ーーーーー西暦2090年
国連に糾弾されたロシア政府が【龍種】の軍事的開発を中止。他国、民間の研究所に技術を公開する。各国の研究所は【龍種】の工業用、交通手段、愛玩用としての開発を開始。
記録ーーーーー西暦2099年
【龍種】の体内から計23種類の新元素を確認。羽の無い【地龍種】、及び小型で牙と元素精製機構を持たない【愛玩龍種】の開発。
【龍種】の再生・復活は、工業に革新をもたらし、生物の可能性を爆発的に広げ、人類は嘗ての人類とは一線を画す進歩を遂げた。
二十二世紀、その記念すべき一日目、西暦2100年1月1日、【ドラゴン】の一般発売の開始。
或いは、この“悪魔的な出会い”は、あってはならないものだったのかもしれない。
────────Clones────────
File1:『西暦2195年』
ピーッ......ピーッ......
ピピピピッ......ピピピピッ......ピピ............
枕元でけたたましく鳴るスマホのアラームを止め、起きたくないと悲鳴を上げる身体を無理矢理動かす。アパートの一室、三人分の家具に囲まれ、“たった一人”。今日も憂鬱で吐き気を催す一日が始まる。
鏑木戒
16歳。6年前、とある事故で両親を亡くし、親戚に引き取られた。が、当の親戚は資金援助のみで戒には干渉してこない。故に天涯孤独。地元の高校に通っていて、そこでは平常を繕っているものの、学校以外では塞ぎこんでいる。
「チッ...............朝か.....................」
テレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを押す。
『11月20日、今日のウェイクアップニュースはぁ~、こちら。連日報道されている千葉県に出没している【Enigma】について............』
俺はテレビの電源を乱暴に切り、リモコンを壁に投げつける。ガチャッと音がして、リモコンの中の切れかけの単3が二本、宙を舞う。
「朝っぱらのニュースでさえ【Enigma】の話題かよ......ッ!」
奥歯がギリッと音を立てる。【Enigma】という単語を聞く度にこの癖が出てしまう。俺はチッと舌打ちをしてから食卓に向き直る。紅茶をすすろうとして持ち上げたカップの中身が波を立て、そこに写った俺の顔は泣きそうに見えた。
何故俺が【Enigma】という単語を嫌うのか。それを語るにはまず6年前の事件について語らなくてはならない。
西暦2189年 8/15 AM10:55───────────────
『旭区龍害事件』
神奈川県横浜市旭区に【Enigma】化したドラゴンが出現。市民など延べ1600人超が犠牲となる未曾有の【Enigma】災害として、当時新聞の一面に掲載された。
【Enigma】──────────────
ドラゴンの研究が進められているのと同時期に発生した現象。黒いアメーバのような見た目で、一見生物のように見えるが生物の定義を満たさないため現象とカテゴライズされる。その“特性”から危険度は非常に高く、殲滅はドラゴンにしか不可能。未だ謎は多い。
一目見ただけではこの事件の悲惨さと俺がここまで塞ぎこむ理由がわからないだろう。この事件の肝は【Enigma】の“特性”にある。
【Enigma】は生物の中枢に寄生し、その寄主の体内で増える。しかも【Enigma】の構成物質は未だ解明されておらず、ドラゴンの吐息に含まれる『ドラゴニウム』のみが現状【Enigma】を消滅させることができる。そうして数を増やして135年経った今ではWEO(世界対【Enigma】機関)は【Enigma】に対する危険度を最大の5に設定し、世界単位で対策、駆除を行っている。
─────俺の両親は、優しい人達だった。6年前のあの日も、俺が横浜のジオラマ展を観に行きたいとねだったら、盆休みだからと連れていってくれた。ジオラマのことなんか大して覚えていない。その後起こったことの方が鮮明に記憶に焼き付いているから。
ズシンと、地響きがしたんだ。その時俺と両親は会場から出て帰ろうとしていた。地響きがした方を振り替えると、巨大な、5mはある灰色のドラゴンがいた。多分そいつの降り立った揺れだったんだな。その時皆おかしいと思ったはずだ。灰色のドラゴンはペット用に開発された翼と牙、元素構成機構を持たないドラゴンだ。それがあんなに巨大化していたんだから。ドラゴンは尻尾を振るとビルに叩きつけて根本からビルを倒壊させた。己すら下敷きにして崩したビルは轟音を立てた。この時にもう600人近く亡くなったらしい。何が起きたんだと、人々はパニックになった。泣きじゃくる俺を連れて、両親も逃げようとした。だけど、ドラゴンはビルの残骸から這い出て咆哮を上げた。血だらけで、へし折れた翼をばたつかせて飛ぼうとしたけど、飛べなかったんだろう。諦めるようにドラゴンは、逃げ惑う人々───俺達に向けて口を開くと、ボフッと瘴気を吹き掛けた。それ自体は痛くも痒くもなくて、人々は咳き込む程度だったんだけど、ドラゴンは体力を使い果たしたのか、力なく倒れた。
程なくして、警察と消防と自衛隊の【Enigma】処理班が到着し、事件は収束───────────したかに思えた。
突然、近くにいた男の人が苦しみだしたんだ。喉元と頭を押さえ、苦痛に喘いでうずくまった。そして次から次へと同じ症状を訴える人が出た。怪我人の対処に追われていた救急隊は人手が足りておらず混乱していた。やがて男の人は動かなくなった────と思ったら途端に起き上がった。その顔は、肌は、眼球は、黒いドロドロに侵食されて。その一瞬でその場にいた全員が悟っただろう。
さっきの瘴気は【Enigma】だ。
女の人の叫び声を皮切りに、弾けるようにパニックが広がった。一斉に周りの人から距離を取ろうとして揉み合い、遂には乱闘になった。警察官がまだ【Enigma】に侵食されていない人を保護─────というか捕まえながら【Enigma】になった人達を牽制していた。俺はおろおろとしながら父さんの手を取った。でもそこにあったのはいつもの柔らかい温もりではなく、ねばついたタールのような黒い液体で。後退りして母さんにぶつかると、またタールが絡み付くような感覚を感じて。
俺の両親は、【Enigma】になってしまった。
俺は訳も分からず叫んで、思わず両親と距離を取ってしまった。それが俺の運の尽きだったんだろうな。俺は捕まえられた。最初は【Enigma】に捕まったんだと思って抵抗したけど、それは自衛隊員だった。自衛隊員は俺を後ろの警察官に引き継ぎながら両親に銃を向けた。止めてくれと叫んだ気がするけど、それでも自衛隊員は両親を撃った。でも【Enigma】はいくら武装しても殺すことはできない。そう、ドラゴン以外では。
空を巨大な影が覆った。皆────正気の人は皆、空を見上げて呆気にとられた。それは真っ赤に白熱した巨体に、見合わぬ華麗な動きで浮かぶ、ドラゴンだった。人々は安堵と歓喜から悲鳴に近い歓声を上げた。ドラゴンが地面に降り立つと、ドロリとコンクリートが溶け、熱波で俺は尻もちをついた。ドラゴンはちょうど【Enigma】に感染した人達が一直線に集まっているところにいて、その先には横たわる【Enigma】ドラゴンもいた。そしてドラゴンは大きく息を吸い込み、同時に俺は叫んだ。
やめてくれ!お願いだ!僕から父さんと母さんを奪わないでくれ!
そんな叫びも虚しく、ドラゴンは青白くなるまで加熱した吐息を【Enigma】達に吐きつけた。
この出来事は後に『旭区龍害事件』と名付けられ、自衛隊の対処は適切だったかどうかでしばらく世の中は揉めた。自衛隊の保有するドラゴンによる【Enigma】化した人達の一斉駆除。その中には確実に感染していない一般人も含まれていた。【Enigma】化した人達を含めて1000人以上の人々を瞬き一つにも満たない刹那に蒸発させる、恐怖の生物。おぼろげにしか覚えていないけど、当時はドラゴン排斥運動なんかも起きていた。じきになくなっていったけど、今でも年に一回ニュースで取り上げられる。俺には慰謝料として大金が入ってきたけれど、全部伯父に掠め取られた。伯父の家に引き取られるはずが、叔父家族が俺を拒否したせいでそこから一人暮らしの始まりだ。中学の家庭訪問なんかは顔出したがそれっきり何も。
俺は一人だ。今日も、これからも。
「はぁ.........朝が来ちまった............」
横浜市立辰尾高等学校
今年で創立50年の節目を迎える由緒正しき高校。かつて国際的な【龍種】の研究が行われていた頃、獲得した特許でボロ儲けした市が創立したドラゴン飼ってるボンボン共のための高校の間違いでもある。俺は国からの慰謝料を持て余した伯父の見栄の為にここに入れられた。別に絵に描いたような腐ったボンボン共で溢れているという訳ではない。気の良いボンボン共が沢山居る所だ。まぁ親が大企業の社長みたいな奴らが多い。ただし、俺みたいななんの変哲もない家の奴なんかいないから、俺は浮いているがな。ここの特徴は何と言っても「ドラゴンを飼っている家庭に優しい環境」だろう。ペットのドラゴンを預かる施設が隣接している等々。現在、ドラゴンは一般的に発売されていて、翼と牙、元素構成機構を持たない灰色の龍、通称【愛玩龍種】として100万円~110万円で売られている。俺は別に欲しくはないが、世間的には飼っているとステータスらしい。見た目が愛くるしいが、突き詰めれば俺の両親を焼き払ったドラゴンだ。学校は俺の家からは徒歩20分くらいの場所にあるから通学に便利ではある。正門を潜り、下駄箱で靴を履き替えて教室に向かう。俺は外では普通を装っているから友達がいないわけじゃない。
「戒~、おはよう~。」
俺に声をかけてきたこいつは友人筆頭の樫宮秀斗(かしみや しゅうと)。名簿が俺の一つ前で、気の良いボンボン筆頭でもある。小学校からの友達で、高校では学費の格差から別れると思っていたやつだが、何の巡り合わせかこうしてまた同じクラスになった。こいつとその両親には良くしてもらったな。
「おはよう。」
「なー見たかよ今朝のニュース!?」
「見てねぇ。」
リモコンぶん投げたからな。
「緑区に野良のドラゴンが出たらしいんだとよ!灰色っぽかったらしいから、まぁ脱走したドラゴンじゃね?」
「ほー、物騒だな。」
ここ最近物騒な騒ぎが多いな。今朝も千葉県のニュースをやってたし。
「てなわけで今日は一緒に帰ろうぜ。」
「いいけどあんまり寄り道すんなよ。」
まぁ、学校に居る間は退屈しのぎにはなる......のかな。
学校は終わり、放課後(俺は部活無所属)。秀斗に連れられ、商店街に来た。
「いやー、部活休みじゃないと戒と一緒に帰れないからなー。」
ちなみにこいつの家は俺の家から程近い所にある。
「お前、休みのたびにこんなに食ってたら太るぞ。」
俺と秀斗の手には串焼きとクレープ、団子が二本握られていた。
「いいんだよその分動くから。」
甘党を絵に描いたような秀斗は団子を平らげる。俺もクレープの最後の一口を口に放り込み、二本の団子も片付ける。
「戒は戒でよく食うな。」
「一人じゃクレープ屋なんて入れねぇならな。」
スター〇ックスといいTU〇LY'Sといいあんなところに一人で入るほど俺の頭はやられていない。まぁ野郎二人でクレープってのも相当リスキーではあるが。
「ごちそうさん。いつも悪いな、奢ってもらって。」
「いいっていいって、戒は嬉しそうにしてる時の顔が一番いいな。」
「そうか?」
「だから............あんま思い詰めんなよ。」
全部お見通しってか............
「あいよ。」
ガサガサッ............
路地裏の方で音がした。何かが積まれたゴミ袋の中でもがいている。
「俺見てくるわ。」
「えぇ............止めとけよ、何かわかんねぇぞ?」
それでも俺は路地裏の方へ歩いて行く。秀斗は【Enigma】である可能性を示唆したかったんだろうけど、俺は【Enigma】なら尚更発見しないといけない気がした。積まれたゴミ袋がもぞもぞと蠢いている。俺は覚悟を決め、ガサッと勢いよくゴミ袋を取り払った。そこにいたのは............!
「キュゥゥゥ............!?」
小型で灰色のドラゴンだった。
ドラゴンは全身に灰色.........というより鉛色の固そうな鱗を張り付け、庇護欲を掻き立てる愛くるしい瞳でこちらを見つめてくる。
「なんだお前。」
「おーい戒ー!?大丈夫かー!?なんもねぇかー!?」
「心配してんなら距離取んな。こっち来い。」
その言葉がわかったのか、ドラゴンが逃げようとする。俺はドラゴンより前に飛び出て立ち塞がる。
「逃がすかよ野良。テメェは保健所行きだ。」
「うお!?野良のドラゴン!?」
秀斗が追いかけて来てドラゴンの退路を断つ形となった。ドラゴンはたじたじおろおろと迷ってるようだ。
「えー、ニュースに出てたドラゴンかな.........どうすんのこれ?」
「捕まえて保健所だな。」
「いや、かわいそうすぎるだろ。捕まえるのはいいけど、とりあえず預かっとこうぜ?飼い主がいたらどうすんだよ。」
「うーん.........それもそうか.........」
じゃあお前が連れて帰るんだな、と言おうとして秀斗を見ると、ニヤニヤとこちらを見ていた。
「なんだよ。」
「うちにはゼウスが居るからなー、二匹は面倒見れないなー。」
「いや、うちはドラゴンなんて飼えな.........」
「ドラゴン嫌い克服&独り暮らしからの解放の為に!さぁドラゴンを飼おう!」
「はぁ!?何で.........」
「よろしくな!一応飼い主探してる間はエサとか持ってくるからさ。じゃ、そういうことで!」
そう言うと秀斗は満面の笑みでドラゴンを抱え上げ、俺に手渡した。
前言撤回、こいつは意地の悪い金持ちだ。
家までドラゴンを抱えて帰るのは地獄だった。ドラゴンを抱えて歩くこと自体はなんら珍しくはない。俺の精神の問題だ。ドラゴンアレルギーなんじゃないかと思うが、残念ながら俺にそんなアレルギーは無い。ちなみに俺の家は保土ヶ谷にある団地のアパートだ。ガチャリと家のドアを開け、ドラゴンを降ろす。ドラゴンはスンスンと鼻を鳴らして警戒したように床を嗅ぎ回っている。ドラゴンって鼻が利くんだっけ?少なくとも人間の二億倍くらいはあった気がする。まぁそんなことはどうでもいい。このドラゴン、見た目からして【愛玩龍種】だろうしなぁ。あれ、羽があるのは【龍皇】だっけ?まぁいいか。エサは雑食だから野菜でも.........
「あ、コラ!そんなとこかじるんじゃねぇ!」
少し考え事をして目を離していた隙に、ドラゴンは俺の携帯の充電器を咥えていた。俺はドラゴンの体を持ち上げて引っ張る。
「離せ!俺の充電器オシャカにするつもりか!あと普通に危ねぇ!」
噛み癖じゃ済まされないため無理矢理引き離す。ドラゴンは何やら物足りなさそうにこちらをあの愛くるしい瞳で見詰めてくる。
「うぐ......そんな目で見ても何も出ねぇぞ!充電器は飯じゃねぇんだ!」
とはいえこいつも腹は減ってるだろう。ドラゴンに飯を作るのは非常に不服だが、餓死させて保健所から指導を喰らうのはごめんだ。
「ったく、しゃあねぇなぁ.........」
俺は独り暮らし六年目なので自炊はそこそこ得意だ。俺の分の飯は残り物でいいから、こいつの飯は......秀斗ってゼウスに何やってんだ?ドラゴン用のペットフードはうちに無いし.........
「昔野良犬に作った飯でいいか。」
そう呟いて俺は冷蔵庫に余っていたキャベツを茹でて、米を温めて、なんやかんやしておじやみたいなモノにした。ドラゴンも動物だから添加物は入れない方がいいだろう。それにこいつらにどの程度の味覚があるのかわからないしな。凝った味にはしなくていい。深めの器に盛ってドラゴンの前に出す。
「ほれ、腹減ってんだろ。食え。」
ドラゴンはスンスンとおじや(?)の匂いを嗅いで、一口食った。問題ないと判断したのかパクパクと食べ始める。ふと我に返って時計をみると、八時半。まだ自分の飯を食って無いことに気がついた。
「何やってんだろ、俺.........」
ため息一つ、俺はキッチンにとぼとぼと歩いて行く。その日の夕飯はマジで残り物と相なった。
勉強を終え、十時半。リビングを片付け、電気を消し、寝室に向かう。
(そういえばあのドラゴンどこ行った?)
なんて考えながら寝室のドアを開けると、あのドラゴンが俺のベッドの上で丸くなっていた。
「猫か。どけ、俺が寝るんだよ。」
声をかけてみるが伝わるわけもなく、ドラゴンはすやすやと寝ている。仕方ないので俺は強引に布団に入る。すると振り落とされたドラゴンが目を覚ました。
「俺は寝るんだ。お前も寝ろ。」
そう言って俺は掛布団を一枚ドラゴンに被せる。が、ドラゴンは俺のベッドによじ登って来て、布団の中に入ってくる。
「なんだよ.........」
ドラゴン俺の横で寝息を立て始めた。
「はぁ.........」
今日何度目のため息だろうか。今日だけで俺のSAN値がごっそり削られた気がする。だが、何故だろう。不思議と、以前のようなドラゴンへの嫌悪感は感じなかった。
ピーッ.........ピーッ.........
ピピピピッ.........ピピピピッ.........ピピッ.........
枕元でけたたましく鳴るスマホのアラームを止め、起きたくないと悲鳴を上げる身体を無理矢理動かす。アパートの一室、三人分の家具に囲まれ、“一人と一匹”。今日も一日が始まる。
「おはよう戒!どうだったよ昨日は!?」
「Go〇gleアシスタントに聞いてみたら軽い鬱だってよ。」
「何があった............!?」
「ドラゴンが布団に入ってきやがった。」
「何それかわいッ!?ゼウスでもここ最近はやんないぞそんなサービス!?」
なんで秀斗がこんなに興奮しているか全くわからないな。
「で、当のドラゴンちゃんはどうした?一緒じゃないのか?」
「留守番だ。さすがに連れては来れない。」
「いやうちの学校ドラゴン舎あるじゃん。公務員さんが面倒みてくれんだぞ?」
「あれ登録しなきゃ使えねぇじゃん。面倒だし、あいつは俺のペットじゃない。」
「おいおい、“あいつ”はねぇんじゃねぇの?昨日保健所に顔出したけど、迷子のドラゴンはいねぇらしいし、名前くらい付けてあげろよ。」
「............。」
俺は押し黙る。論破されたのは確かだが、秀斗の俺とは真逆なドラゴン愛好家っぷりには辟易する。
俺はやはり、ドラゴンなど愛せない。
6限を終え、帰宅部の俺がいそいそと帰り支度をしていると、クラスメイトの女子のひそひそと話す声が聞こえてきた。
「鏑木君、なんかいつも以上に虚ろじゃない.........?」
「何かあったのかな.........?」
俺がいつも以上に虚ろ?お前らは俺の何を知ってる?余計なお世話だ。
俺は飛び出すように教室を出た。
アパートまで帰る道のりが、今日はやけに遠く感じた。ノブを捻り、家に入る。
「ただいま.........」
ん?今俺は誰に向かって喋った......?
乱雑にスクールバッグを放り投げ、ネクタイをほどく。リビングの電気をつけると、いつも通りの生気の無い淀んだ空気が俺を出迎えた。
「おいドラゴン、イタズラとかしてねぇよな?」
姿は見えないが、リビングか寝室に居るはずだ。俺はドラゴンに呼び掛けるが、鳴き声や音は聞こえて来ない。机の下を見て見るも、ドラゴンの姿はなかった。
(手間かけさせやがって.........)
俺は寝室に向かい、電気をつけて布団をめくる。が、そこにも居ない。
「はぁ............?」
キッチン、バスルーム、鍵をかけているベランダ、ドラゴンが入りえない所まで探したが、ドラゴンは一向に姿を現さない。
「ったく、どこ行ったんだ.........!?」
後はアイツが行ける所なんか......と振り返り、ふと玄関のドアが目に写る。
刹那、冷や汗が頬を伝った。何故なら.........
俺は入る時に、鍵を開けていない。
「ん?戒?珍しいな、電話かけてくるなんて.........」
『そんな悠長に話してる場合じゃねぇ!ドラゴンが逃げた!』
「はぁ!?何してんだよ戒!」
『俺のせいじゃねぇよ!家には鍵をかけといた。薄々勘づいちゃいたが、あいつは、【愛玩龍種】じゃなくて【龍皇】だったんだ!』
ペット用として改良された【愛玩龍種】とは違い、翼による飛行能力と喉元に元素構成機構を持つのが【龍皇】。サイズが大小の2パターンに可変することが出来て、23の龍生元素を操る戦闘用のドラゴンだ。【愛玩龍種】の中から稀に生まれる。秀斗んところのゼウスなんかもそうだ。
『どうやってやったかは知らねぇがとにかく鍵を開けて脱走したんだ!警察には言った!お前も探せ!』
「お、おう!」
秀斗との通話を切り、俺はアパートを飛び出した。
(あのドラゴン、怪我してるのか弱ってるのかはわからねぇがとにかく飛べない。路地裏に居たのがその証拠。つーことはアホほど遠くには行ってない............)
俺の対応は端から見たら過剰だろう。だが犬や猫の脱走と、ドラゴン.........それも【龍皇】の脱走とではわけが違う。ましてや能力も把握しきれていない。そんなものが町に放たれ、万が一【Enigma】に感染でもしたら6年前の惨劇を繰り返すことになる。
(させねぇ.........絶対にあのドラゴンを見つける.........!)
まず俺が向かったのは商店街。昨日あのドラゴンと会った場所だ。もしかしたらあのドラゴンは意味があってこの商店街の路地裏に居たのかもしれないと思って来てみたのだが、片っ端から探してみるもドラゴンの姿は見当たらない。
「チッ.........じゃあ............」
空き地に走った。建設予定地の看板が立っているだけの閑静な空き地。絵にかいたような土管の中を見ても、あいつはいない。
工事現場に走った。作業員の人に聞いても、ドラゴンを見たという情報は得られない。
近所中を走った。走って走って走り回ったが、駄目だ。見つからない。途方に暮れた。息が切れ、とぼとぼと俺はある場所へと向かう。そこは区の外れにある公園。俺が小さい頃、両親によく連れてきてもらった思い出の場所。もうすっかり日も暮れて、子供の姿がなくなった公園に踏み入れ、砂場の横のブランコに腰かける。少し、揺らしながら俯く。
父さん、母さん、ごめんな。俺、またやらかしちまった。駄目だな、俺。親不孝者で.........
そっと、手が当てられる。小さい小さい手が、ちょうどくるぶしの辺りに。俺は思わず口角を緩めてしまった。
「はっ.........笑わせんなよ............。」
あいつだった。どこをいくら探しても見つからなかったあいつがどこからか姿を現し、俺に寄り添っている。
「キュゥゥ」
「俺を、慰めようってか?」
ドラゴンはこちらを見上げ、視線で返事を返す。
「誰のせいでこんな時間まで探し回ったと思ってるんだよ............」
俺は呆れ半分、安堵半分でドラゴンを抱き上げ、膝に乗せる。無意識だった。
俺は、もう............
背後でガサガサと、茂みを揺らす音がした。ドラゴンがビクッと反応してそちらを振り向き、じたばたと暴れだす。
「キュウゥゥゥゥゥ!!」
「どうしたんだ急に。猫かなんかだろ.........」
俺はその言葉を言い終えることができなかった。茂みの中から音の主が姿を現したからだ。それはどす黒くて。ドロドロとしている様はまるで、腹の奥底に眠る憎悪のようで。鼻をつく刺激臭を放つそれは、他に言い表しようが無い。
「【Enigma】ッ............!!」
原型を留めない黒いヘドロの塊。それがゆっくりと茂みを飲み込んで全体を露にする。
(この辺には【Enigma】の出没情報なんてなかったぞ!?ニュースになってる千葉ならともかく.........)
そこまで考えてハッとする。俺はよくニュースを見てない。だが、あのニュースの続き、「連日千葉県に出没している」の続きが、「木更津」だったら。もしかしたら......
(【Enigma】がアクアブリッジを通って千葉から神奈川に来たってことか!?そんなことあるのか!?)
木更津から川崎に繋がる海上道路、あそこを通れば来ること自体は可能だ。だからこそ【Enigma】に対する警戒は万全のはずで............
【Enigma】が茂みから完全に体を出した。いや、【Enigma】の場合、ドロドロで実態は無いので寄主の体を指すが、これは犬か猫あたりだろうか。全長2m、高さ1mくらいの比較的小型の【Enigma】だ。寄主の体より大きく、そして変容するのは【Enigma】の特徴。寄主の体内で増殖し、やがて寄主を食い潰すと別の寄主を求めて分裂する。そうして増えたであろう、肥大化したヘドロを引きずりながらこちらにズルズルと這ってくる。俺はドラゴンを抱えて後退りする。
(どうする!?逃げるのは簡単だ。分裂間近の【Enigma】は鈍くさいからすぐ撒ける。けどそうした場合、この【Enigma】を見失うかもしれない。それだけは駄目だ!こいつは分裂間近、すぐにでもドラゴンが処理しなければ分裂して被害は尋常じゃないほど拡大する!どうする!?どうすれば............)
俺は携帯を取り出し、警察に通報する。公園の住所を教えてみたものの、この【Enigma】が警察の【Enigma】処理班が来るまでこいつがここでじっとしているとは考えられない。焦って大量に思考し、腕のホールドが緩んだのか、ドラゴンが俺の腕から飛び出す。
「あっ!?待て!!」
俺は【Enigma】に向かうドラゴンを追いかける形で飛び出した。【Enigma】は向かってきたドラゴンを取り込もうとドロドロを伸ばしている。
(間に合わねぇ............ッ!!)
俺は焦った。何故かはこの時まだ解らなかった。俺は足に力を込めて跳び、ドラゴンと【Enigma】の間に滑り込んだ。
「もう......っ、俺の前で死ぬなァァァァ!!」
俺は腹の底から声を押し出した。俺のこの行動で、このドラゴンが助かるとも限らない。ともすれば、このドラゴンが死ぬのを確信していて、独りにならないための無意識下の自殺行為なのかもしれない。ともかく、俺自身にも説明のつかない思考と行動。まず言えることは.........
俺は間違いなく死ぬ。
「≪Over Custom≫.........対象の脈拍、体温、筋肉の弛緩より、『恐怖』を検知。」
無機質な声が頭に響く。こう、動画の音声読み上げソフトのような。時間が遅く感じるような極限の集中で、目だけを声のした方へ向けると、ドラゴンが淡い光を放っていた。
「≪Over Custom≫.........内包データより最有効機構をUnlock。もう、心配しないで。」
ドラゴンはそのまま光を強くしていき、光が止むと3m程の巨大なドラゴンになっていた。小さい時とは違い、鈍い鉛色の肢体に青白い回路のような線が無数に走る、美しいドラゴンだ。
「Over Blast」
ドラゴンから音がして、閃光のブレスが放たれる。閃光は俺を透過し、俺に襲い掛かろうとしていた【Enigma】のみを吹き飛ばした。ドラゴンは虚しく空を切る俺のスライディングを横目に、ジュウゥ......と音を立てている瀕死の【Enigma】に向き直る。
「Over Blast.........」
ドラゴンは直線上に俺が居なくなったことでセーブするのをやめたのか、青白い閃光の奔流をありったけ、【Enigma】に吐きつける。【Enigma】に声帯は無いが、溶けゆく【Enigma】の断末魔が聞こえた気がした。
程なくして、警察の【Enigma】処理班が到着した。ドラゴンは縮んで、また【愛玩龍種】程度の大きさに戻っていたが、もう【龍皇】と確定したので、警察にそれを踏まえて話をした。緊急事態だし、自衛のため、しかも被害の縮小に勤めたから、なんなら誉めてほしいくらいだが、結局警察にはクソほど説教された。あ、プラス保健所からも説教を食らった。飼い主としての自覚がどうだのとか、鍵かけろとか、なんだとか。そして保健所の職員がぽろっと溢したのだが、このドラゴン、出生届が出されていないとのこと。現在行方不明のドラゴンがいないことと、ドラゴンを飼っている各家庭に確認したところ、全てのドラゴンが在宅していることから、こいつは野良だということがわかった。
「というわけで、君、その子引き取ります?断るようなら私たちが預かります。」
保健所の職員がこう話してきた。何故だろうか、俺はなんの迷いも無く即答した。
「俺が引き取ります。」
保健所の職員はそうですか、と俺に後日手続きに来るようにと付け加えて俺を解放した。警察からは簡単な事情聴取をされた。脱走に気付いたのが5時、一連の騒動を終えて今家に帰ってきたのが8時半。俺は抱えたドラゴンを降ろしながらぼやく。
「まったく、お前のせいでとんだ大騒ぎになっちまったよ。」
「キュウゥ?」
「この姿だとしゃべんねぇのな、お前。」
そういえば、秀斗にこいつの名前を考えろって言われてたんだった。
「そうだな.........『スティ』、とか?」
こいつの【龍皇】の時の、美しい鉛色の肢体から連想した名前だ。安直すぎるか?
「≪Over custom≫............以降の生命維持に言語能力が必要と判断............声帯機構をUNLOCK............」
「ん?」
「............スティ.........それが、名前............」
こいつ、今しゃべったか?まぁ秀斗んとこのゼウスは小さい時もしゃべるし.........
「.........は............?」
俺は電気をつけてから硬直する。そこに居たのは先ほどまでの小さくて愛くるしいドラゴンではなく、翡翠色の髪に紫色のメッシュ、そして銀の瞳を持つ、見た目12歳くらいの少女だったのだから。
「スティの名前はスティ。あなたの名前は?」
飼い始めたドラゴンが人化しました。
いかがでしたでしょうか?これからも続きを投稿していく所存ですので、ご愛読していただけたらこちらとしてはこの上ない喜びです。どうかこれからも『Clones』をよろしくお願いします。