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夏詩の旅人

まだ見ぬ光(夏詩の旅人シリーズ第9弾)

作者: Tanaka-KOZO

 2004年、夏。

暦は8月に入ろうとしていた。


東京新宿にある音楽イベント会社、“Unseen Light”のオフィス。


「社長…」と男性の声。


「社長ッ!…」

自分の呼びかけに反応しないので、少し強く相手を呼んで見たが、それでも反応しない。


「社長~?…」

おかし~なぁ…?っと、今度は、ぼーっとしいる相手に、確認する様に言った。

それでも相手の反応がない。


「岬さんッ!」


不二子は自分を呼んでいる声に、ハッと気が付いた。


「あ!、ごめん何ッ?」

不二子が振り向くと、目の前に企画部の和田が書類を手に立っていた。


「どうしたんです社長?…」

和田が不二子へ怪訝そうに聞く。


「別になんでもないの…。ただちょっと考え事してて…」

ストレートなロングヘアーの前髪をかき上げながら、不二子が和田に言う。


「そうですか…。あの…、例の企画書。ここ置いときますね…」

和田はそう言うと、不二子のデスクに書類の束を置いて、自分のデスクへと戻って行った。


「ふぅ…」

ため息をつきながら不二子は、和田が置いた書類を手に取り、目を通した。


(これじゃダメだわ…。何かもっと…、こう、起爆剤みたいなものが欲しい…)

和田の企画書を自分のデスクにポンと置くと、不二子は窓から見えるビル街を眺めた。


 夕暮れ前の新宿オフィス街。

夏の強い陽射しが、ブラインドの隙間からオフィスの中へと差し込んでいた。






 岬不二子 34歳

大手音楽イベント事務所から27歳の若さで独立し、音楽イベント会社“Unseen Light”を立ち上げた。

独立前から定評のあった不二子の仕事は、業界内でも評価が高かった。


 彼女の仕事っぷりは社名の通り、“Unseen Light(まだ見ぬ光)”にスポットを当てた、大胆なマッチメイクにあった。


まだ誰も目を付けていない人材を、誰よりも早く発掘する彼女の嗅覚は、音楽業界の中において一目を置かれていた。


だが、彼女が立ち上げた“Unseen Light”は、今、大きなターニングポイントに差し掛かっていた。


 不二子が20代後半から立ち上げた、この会社。

当初は趣味の延長で、気ままに始めた会社であった。


 だが、思ったよりも順調に成長してきたこの会社が大きくなるにつれて、段々と現在の成長率だけでは、会社の運営がままならなくなって来たのだった。


今では多くの従業員を抱える様になった不二子の会社も、それが悩みのタネであった。


会社を背負う不二子は、どうにか会社の現状を打開せねば!と、一人悩んでいたところだった。


 そんな中、今、音楽業界で一番賑わしている大物音楽プロデューサー、秋山康二と絡む仕事が、突如不二子の会社へと舞い込んで来た。


 その仕事は伊豆の下田で、新たなFMラジオ局が開局するという内容の仕事であった。

それのオープニングイベントの企画を、秋山から直接不二子の会社へ、白羽の矢が立ったのであった。


“このチャンスをモノに出来れば、私の会社も更に飛躍する事ができる!”


不二子は8月に開局する、そのFM放送局での仕事を、何としても成功させたいと思っていた。






 夜23時。

仕事を終えた不二子はオフィスを後にすると、JR中央線に乗り家路へと向かっていた。


吊革につかまった不二子は、車窓に映る夜の街並みを眺めながら、7年前に自分が独立起業した判断が、果たして正しかったのかと、自問自答していた。


27歳の時、不二子は大手音楽イベント事務所で、一緒に働いていた男性と婚約を交わしていた。


 彼と付き合い始めて3年。

不二子が事務所を辞めて、独立起業するという話を恋人に話した。


すると、相手の男性は猛反対した。

男性は不二子に、家庭に入ってもらいたかったのだ。


“俺を取るか、仕事を取るか決めてくれ!”

恋人の男性は不二子にそう迫った。


 不二子は、それがきっかけで恋人と別れる決心をした。

彼女は自分の夢だった、独立起業の道を選んだのであった。


 そんな過去を思い出しつつ、不二子はi-PodのスイッチをFMに切り替えた。

偶然チューニングした番組は、音楽番組であった。


 その番組のゲストで呼ばれていた出演者の、屈託のないしゃべり方…。

電話出演でしゃべっているその男性。

どこかで聞き覚えのある声だと、不二子は思った。


しばらくして、そのゲスト出演者の曲が、ラジオから流れて来た。


「えッ!…、この曲は…ッ!?」

不二子は聴き覚えのある、その曲に驚いた。


(あの時の彼だわ…。なによ…、まだ音楽続けてたんだぁ…!?)

嬉しさと喜びが交じり合った気持ちの不二子。


その歌を聴きながら、不二子は6年前の夏を思い出すのであった。







 1998年8月。

不二子が独立起業してから、1年が経った夏であった。

当時の彼女はまだ28歳だった。


「今日はよろしくお願いします」

ポロシャツ姿に、ポニーテールのまとめ髪をした不二子は、明日湘南の鵠沼で行われる音楽イベントで、一緒に仕事をする男性に挨拶をした。


独立してからまだ2年目の不二子は、業界のルールもよく分からない、ルーキーといったところだった。


「そんなかしこまらないでくれよ!、気楽に行こうぜ!」


そう言った自分と同い年くらいのその男性は、不二子の会社と一緒にイベントのタイアップをするサーフィン雑誌の社員であった。


男性は背が高く、ネイビーブレザーの下にヘリーハンセンのポロシャツを着た、感じの良い人だった。


彼はイベントの段取りをテキパキとこなし、まだ業界の事がよく分からない不二子に、色々とアドバイスをしてくれた。


「よし!、大体片付いたな」と、その男性。


午前中にイベントの準備が終わった不二子は、ブレザーの男性と一緒にミーティングを兼ねてランチを共にする事となった。


 2人は海岸にある、ちょっと気取った海の家で食事をする事にした。


メニューを見る不二子。

どれにしようか、なかなか決められない。


「ここはロコモコが美味いんだ」

明るく笑顔で彼が言った。


「君はこの店初めてだろう?、だったらロコモコを食うべきだ」

彼は決して押しつけがましくなく、ごく自然に私の食べるメニューを決めてくれた」


オーダーしてから間もなく、まん丸ハンバーグに目玉焼きが乗ったロコモコが出て来た。

ハンバーグには濃厚なデミソースが、たっぷりとかかっていた。


「ホント!、おいし~い♪」


「だろ?」

出て来たロコモコを美味しそうに食べる私に、彼は得意げにそう言って笑った。


彼と食事をして話をするうちに、彼の事が少しだけ知る事が出来た。


 彼は私より、少しだけ年上の32歳だった。

業界バリバリのビジネスマンかと思ってたら、実はまったくそういうタイプではなかった。


「俺、このイベント期間中、車中泊してるんだよ!」


「え~!本当に!?」


「結構悪くないぜ、そういうのも」

「この近くには銭湯もあるし、コインランドリーだってあるしな…」


今まで会った事のないタイプの彼が、私にはとても新鮮に感じた。


「食事も3日ぐらい経つと、コンビニ弁当とか飽きちゃうんだ」

「だから砂浜で自炊してるよ」


「砂浜で自炊…?」


「そう、俺はいつも車の中にテントやら、コンロやら、スキレット(フライパン)やら、缶詰とかを持って来てるんだ」


「君、缶詰とかよく食べる?」と彼。


「いや…私はあまり…」


「缶詰って便利だぜ」


「今夜、仕事終わったら一緒に缶詰食べよう!」

そう言って彼は、私にディナー?のお誘いをしてくれた。






 夕暮れの鵠沼海岸。

彼は折り畳みチェアーを2つ出して、焚火を始めた。


「まずは前菜だ…」

彼はそう言うと、近くのコンビニで買った絹ごし豆腐と天かすを取り出した。


ステンレスの皿それぞれに、2つに切った豆腐を乗せる彼。

その豆腐の上に天かすを振りかけてから、最後に麺汁を彼はかけた。


「これをグシャグシャに箸でかき回して食べるんだ」

彼がそう言う。


言われた通りにやる私。


「では、乾杯!」

彼がそう言うと、私たちはバドワイザーの缶を、お互いにかち合わせた。


「ほんとだ!、おいしい~♪」と私。


「ただの冷やっこも、こうするだけで随分食べ応えが出てくるだろぉ?」

美味しいと言った私に、彼は嬉しそうに言う。


「さて…、次はいよいよメインディッシュだ」


彼はそう言うと缶詰を取り出した。

それはスーパーでよく見かける、お馴染みのコンビーフの缶詰であった。


彼は、焚火の炎で温めたスキレットへ、豪快にコンビーフを投入した。


そのコンビーフをお好み焼きみたいなカタチに整えると、今度はそれの真ん中へ穴をあけた。


「本当は生卵をこの穴へ落としたいところなんだけど、夏の生卵は危ないから、今夜はコンビニで買ったこの温泉半熟玉子でやってみる」


彼はそう言うと、中央の穴に半熟卵を落とした。


ジュー…ッ


スキレットから煙が舞い上がる。


彼はそれを急いでかき交ぜながら炒める。


「できたッ!」

彼が言う。


「さぁ、どうぞ…」

「コンビーフユッケだ」

彼はそう言うと私の皿へ、その料理を取り分けてくれた。


「わぁッ!美味しい~♪」

初めて食べる味だった。


最初誘われた時は、缶詰ってどうなの?って正直思ってたけど、ちょっとしたアレンジでこんなに美味しいものになるものなんだと、私は感動した。


 恋人と別れてしまい、独立起業した仕事では日々追われる毎日であった私にとって、目の前にいるこの男性との、ささやかなディナーは自分にとって最高のサプライズとなった。






 空が暗くなった海岸。

暗がりの向こうから、さざ波の音が聴こえる。


「明日は、私にとって初めてマトモな仕事なの…」

私が彼にポツリと言う。


「マトモ…?」と彼。


「ええ…。独立してからいつも赤字の仕事ばっかりで…、ホントにこんなんでやっていけるのかなぁ…って、不安ばかりの毎日だったわ…」


「明日は初めて黒字の仕事になるんだ…?」


「ええ…」

缶ビールを手に、炎を見つめて言う私は続けて話す。


「たとえ今は一人でも、いつかは社員を雇える様な会社にして行きたいと思ってるの…」


「できるさ…」


「え?」


「君なら出来ると言ったのさ…」


「ふふ…、なんでそんな事がわかるの?」


「今日、一緒に仕事して分かったが、君は仕事に対してとても誠実だった」

「それと君には、仕事に対しての覚悟が感じられた…。ひしひしとね…」


私は、焚火に照らされる彼の横顔を見ながら黙って聞いていた。

そして、彼が焚火に小枝をくべながらポツリと言った。


「だが同時に顔からは、悲壮感も漂っていた…」


「悲壮感…?」と私。


「ああ…、あんな表情をしてたら幸運も逃げてしまうぜ」

「だから今夜ここに君を誘ったんだ…」


私は、そんな細かいところまで見てくれていた彼に、感謝の念を思った。


「たとえ今は君しかいない小さな会社でも、誠実に、前向きにやっていれば、いずれ花が咲くさ…」

「だからくじけないで、頑張って欲しい…」


彼は暗闇の海を見つめながら、私にそう言ってくれた。


砂浜には静かな波音がいつまでも続いていた。






 翌日、鵠沼海岸での音楽イベントが始まった。


予算の関係でメジャーなアーティストは呼べなかったが、地元湘南に所縁のあるミュージシャンを中心にイベントは行われた。


朝10時から開始されたイベントも午後16時となり、いよいよラストスパートに入った。


ところが、ここでアクシデントが発生した。

トリを飾るミュージシャンが、こちらへ向かう途中で交通事故に巻き込まれてしまったのだった。


セミファイナルのバンド演奏は終了したばかりだった。

トリのミュージシャンが会場へ着くまでは、どう急いでも、あと1時間はかかってしまう。


せっかくここまで順調に進んで来たのに…。

不二子は、今日の仕事に会社の未来を賭けていただけに、落胆した思いが隠せなかった。


不二子へ怒り出すスポンサー。

頭をペコペコ下げる彼女。

だがこれだけは、どうしようもならなかった。


その時、不二子がスポンサーに下げていた頭を上げると、一人のミュージシャンがステージへ上がって行く姿が見えた。


それは昨日の彼だった!

驚く不二子。


どうやら彼は、トリが到着するまでの繋ぎとして、ステージで自分が歌うと観客に言っている様だった。

軽くギターのチューニングを済ますと、昨日の彼はギター1本で弾き語りを歌い始めた。


「ええッ!?…、ええ~~~~ッ!」

状況が理解できない不二子が言う。


(なによ…、彼ってミュージシャンだったの?)

不二子の想像を超えた彼の歌声に、彼女は驚きを隠せなかった。


(そんな…、自分はミュージシャンだなんて…、昨日彼は私に、一言も言ってくれなかったじゃないの…!?)


大いに盛り上がるステージ。

不二子は、ただ茫然とステージを見守っていた。






「ありがとう…、本当に助かったわ」

イベント終了後に不二子が、ステージで歌ってくれた彼に言った。


「びっくりしたわ…、まさかあなたが歌えるなんて…」

「でも、どうして言ってくれなかったの?、ミュージシャンだって事」


「俺はプロじゃないから…、言う必要もない…」

「でも、いつかはプロとしてやっていくつもりだ」


彼がはっきりとした口調で私に言った。


「私も頑張る!、だからあなたも歌を続けて!」


「そしたらいつか一緒に仕事が出来たらいいな…」

彼はそう言うとニコッと笑った。


 彼の後ろには夕暮れの太陽が照らされていた。

私は眩しくて、彼の顔を直視できないでいた。


私たちは再会を誓って、握手して別れた。




 中央線車内の吊革につかまりながら、不二子はあの彼との記憶を思い出していた。


そうだッ!

彼よ!、彼しかいないわッ!


不二子は次の駅で列車を降りると、駅のホームから先ほどのFM局へ問い合せの電話をかけた。


「えっ!伊豆ッ?」

東京のFM放送に電話出演していた彼は、偶然にも不二子がオープニングイベントに関わる事となった場所と同じ伊豆にいたのであった!


個人情報の関係で、彼の連絡先を聞くことが出来なかった不二子だったが、彼の所属するオフィスの連絡先を聞く事が出来た。


「ふふ…、またあなたと逢えそうね…」

スマホを切った不二子は、一人含み笑いをして言った。






 伊豆稲取の海岸。

僕は先ほど、この場所からラジオ出演をしていた。


砂浜にテントを張って僕は焚火をしていた。

テントを張ったのは、真夏の夜だと車中泊は暑いからだ。


今夜の晩飯はコンビーフユッケだ。

スキレットの中のコンビーフを炒めていると、メールの着信音がした。


「なんだよ…、これからメシだっていうのに…」

僕はメールをシカトして、コンビーフユッケをステンレス皿に盛りつけた。


夜の砂浜からは、静かな波音だけが繰り返し聴こえていた。




fin


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