はじめてのひ
「いやぁ、単純に着替えがなくてですね。
さすがに全裸の上にエプロンとか変態じみた格好するのも抵抗ありますし、ならせめてパンツを履いて上半身裸、というのも素肌が触れるのはエプロンの持ち主さんが抵抗あるかなぁ、って」
「う、うぅん……」
沙織さんは俺の言葉に唸る。
納得できかねる、そんな表情。
「言い分はわかりますし、なんというか理解はできるけど、納得はできない、そんな感じです…。
あと思ったんですけど、翔太君ってちょっとずれてる、というか変ですよね?」
「へ、変……!?」
まさか、沙織さんから言われるとは。
初対面の浮浪者をなんとなく雇用しちゃうような人に。
「大袈裟すぎません!?」
「いえ、ちょっと受け入れがたい現実に打ちのめされちゃいまして」
「やっぱり大袈裟じゃないですかっ」
俺が変だという事実よりも沙織さんに変人呼ばわりされた事実が何よりも受け入れがたいが、さすがに口には出さない。
「というか変人の自覚なかったんですね……。驚きです。
あっ、卵焼き甘くておいしい」
そう言いながら沙織さんはぱくぱくと料理を口に放り込み、卵焼きの品評。
砂糖多めの甘めの卵焼きにしたのは正解だったらしい。沙織さんの見た目から好みを判断したが正解だったようだ。
「それはよかったです。
正直、自分でも変というか他人とちょっとずれてるなぁって認識はありますよ。
浮いてるとまでは言いたくはないですけど、一人でいるのが楽でしたし」
沙織さんは「ほう」と小さく頷き、卵焼きを掴んだ箸が空中で停止する。
どうやら興味を引いたらしい。
「わかります。 友人といるのも楽しいんですけど、一人でいるのも楽ですし、楽しいんですよね」
「その通りです。 なんというか、切り替えですよね」
「本当にその通りですよねっ! やっぱり翔太君とは気が合いそうですっ。 よかったぁ」
にこにこと浮かれた様子でほほ笑む沙織さん。
いきなり他人との同居生活、不安しかなかったがどうやら互いに人との付き合い方というか、距離感に理解のある人だと思うと幾分か気がまぎれた。
「それはともかく、まずは翔太君の格好をどうにかしなくちゃですね。
昨日着てた服は‐ってそりゃあきっと洗濯されてるんですよね」
「勝手に申し訳ないとも思いましたが、朝一で洗濯させてもらってます。
さすがに沙織さんとの衣服は分けてますので安心してください」
「そこは気になさらずとも‐って、そっか。
家事をしてもらうとなると私の服とかその、見ちゃうんですよね」
昨晩は久々に外を出歩いて疲れたのか、部屋を宛がわれた直後に上等なベッドでまさに死んだように眠った。
日が昇って間もないうちに目が覚め、眠りこける沙織さんをしり目に勝手にシャワ‐を拝借。
家事を行うという昨日の約束上、脱ぎ散らかされた服を放置するわけにもいかず洗濯機に放り込んだ。
幸いネットなどは近くにおいてあり、困ることはなかったが、大きいと思っていた胸囲に驚異を隠し得なかったのは内緒だ。
沙織さん自身、そのことを言っているのだろうとはすぐに気づいた。
「大丈夫です、さすがにサイズまでは見てません」
意外と大人っぽい黒なんだなぁと思った。
「やっぱり見たんですよね!? そこは気づかないふりするもんじゃないんですか!?」
顔を真っ赤にして怒られた。
自分なりに気を使った結果なのに、なんか腑に落ちない。
「落ち着いてください、沙織さん。
異性である以上、かならず互いに差異は生じるものです。姿なり、身に纏う衣服であったり、もちろん下着であったり、当然です。
ですが、それらの見た目は違えど、役割としてはきっと一緒のはずです。
俺が朝見た沙織さんの黒いエッチな下着。沙織さんが今目にしている俺のトランクス。
見た目は違えど、きっと同じもの。俺は沙織さんに見られても恥ずかしいと思いません。 沙織さんはどうですか?」
「何言ってるんですか!? 恥ずかしいに決まってるじゃないですかっ!」
机をばんっとたたきつけ、勢いよく立ち上がる沙織さん。
なんとかして沙織さんから羞恥を取り除こうと舌先三寸で頑張った結果、よくわからないことを口走ったうえに無駄だった。
悲しいかな、人とは言葉でわかりあうには限度があるらしい。
「そうですか、残念です。
俺は別に下着に欲情する変態ではないので沙織さんの下着を見てなんとも思わなかったのですが……あれ、沙織さん?」
沙織さんが顔を真っ赤にし拳を握りしめプルプルと震えている。羞恥に耐えかねたのかな。
「下着を見られて!何とも思わないというのも!複雑なのですが!」
なるほど。誤解があるようだ。
「まさか。 下着そのものに欲情はしませんけど、下着姿の沙織さんを想像したら話は別ですよ。
意外と大人っぽい」
「わ‐っわ‐っわ‐っ! 言わなくていいです想像しなくていいです!
というか朝からする会話じゃないですよねっ!?」
大慌てで会話を遮ろうとする沙織さん。
そもそもの発端は彼女の気がするが、言わないでおこう。朝から元気に忙しい人だなぁ。
そんな折に、くぅと可愛げありながらも大きな音がする。
「あ……」
呆然と呟きながら、またしても顔を真っ赤にして着席する沙織さん。
その仕草で何の音だったかを察した。
「とりあえず話はここまでにしておきましょうか。
服が乾けば俺の格好も戻りますし」
「うぅ、言いたいことは色々ありますけど。
乾燥機を使ってもらって結構ですので、いち早く翔太君がまともな格好になってくれるのを願ってます」
「まともな格好のつもりなんですけどね」
ポカン。プルプル。ふぅ。
呆然とし、怒りに震え、ため息。
沙織さんの一連の仕草。本当に忙しくて、見てて飽きない人だなぁ。
「本当に! 色々言いたいですけど! 今は諦めて! ご飯をいただきます!」
「どうぞ、ごゆっくり」
「はい! って言いたいんですけど、翔太君はごはん食べたんです?」
「まさか。 主人を差し置いて先に頂く真似なんてしませんよ」
「はぁ。 本当に翔太君、変ですよね。 変なところで律儀というか。
あと、できれば私は雇用主よりも同居人というスタンスでいてくれたら楽なんですけど」
「……努力します」
難しい注文だなぁ。
「それで早速なんですけど、よかったらご飯、一緒に食べませんか……?」
あざといなぁ、と思う。
自分の小動物じみた姿を 知ってか知らずか、上目遣いでお願いしてくる。
感情表現豊かで裏表のなさそうな彼女のこと、計算ではないだろうとは思うが、そんな姿勢でお願いされては断れる余地がない。もはや脅迫だ。
「……お願いなら、断る理由はないですけど。
ちょっとだけ待ってもらえますか、すぐに自分の分をよそってきますので」
「やったっ」
何がそんなに嬉しいのか、椅子の上でぴょんと小さく飛び跳ねる彼女。
些細なことでも一喜一憂してくれる彼女がとても眩しく、ひねくれ者の自分には羨ましくもある。
そんな彼女を見ていると、自分も少しは素直になろうかなって思いが芽生えてくる。
すぐに自分の分をよそって、四人程度が座れるような洋風テーブル。
沙織さんの隣に腰かけるのは論外。逡巡しながらもなぜか対面に腰かける。
前を向けば沙織さんの顔が真っ先に視界に入る。
大きな目に小さな鼻。桃色の唇はニコニコと嬉しそうにほほ笑んでいる。
照れ臭い。
「誰かと向かい合って食事をとるの、久しぶりなんですよね。
一人で食べるのもやっぱり楽なんですけど、誰かと食べたほうがおいしく感じるんですよね」
沙織さんの言い分に静かに頷く。
思えば、誰かと共に食事をするのなんてどれほどだろう。
姉が家に居た頃は何かにつけて一緒に食べていたが、いなくなってからは一人で部屋で食事をしていた。
親とは顔を合わせずらいからと食事以外でも避けていたが。
そんな食事を繰り返して、何かをおいしいと感じることは久しくなかった。
生きるために食べる、そんな最低限の食事。
しかし、今目の前には拙い料理をうれしそうに眺める沙織さんがいる。
「ふふっ、それでは! いただきます!」
少し減った料理を気にせずに、手を合わせて大きな声で。
そんな沙織さんに倣い、
「いただきます」
気恥ずかしさからか、掠れるような小さな声。
目の前の彼女の風貌に合わせて、子供が喜びそうな甘めの卵焼き。
少し甘すぎたかなと作る過程では心配だった卵焼きはとても甘くて。
それでもここしばらくの食事では一番おいしいと思える出来だった。