はじめての日
異性との同居生活。
これだけ見ればドキドキするワ‐ドだ。
しかし、実際の俺の生活は家政婦としてだ。
あまりドキドキ要素はない。
それになにより相手がいかに美女といえどポンコツなのだから。
「沙織さん、起きてますか」
オシャレな木製扉をこんこんとノックするが返事はない。
部屋の中に気配を感じるが、大きないびきが聞こえる。
ノックだけで起きてくれるならばよかったが、起きてくる気配はない。
昨晩彼女が言っていた通りだ。
「まず朝一番の仕事に私を起こしてもらいたいんです。
恥ずかしい話ですが、私は朝に弱くてですね、放っておけば一日寝てますし、聞く話によると寝相も悪いらしいので……異性である翔太君にお願いするのも恥ずかしいですが、背に腹は変えられません」
一応沙織さんには俺が男であること、寝姿を見られると恥ずかしいと思う羞恥心があるとわかった。
そのうえで俺に頼まねばならないほど、朝は起きれないらしい。
つくづくだらしない人だなぁ、と思うがこうして職に就けたのだから文句は言うまい。
むしろだらしないおかげだと思っておこう。
「沙織さん、入りま……うわぁ」
入室の許可は昨晩のうちに得ているので、一応声だけかけるも、入るなりその惨状に思わず言葉を失った。
ベッドからは手足が放り出され、長い髪は扇状にベッドに広がり、水玉模様のパジャマからは白くて柔らかそうなお腹が丸出し。掛け布団に至っては行方不明だ。
「う、うーん、もぉ食べれませんよ、ド、ドリアンさぁん……」
意味がわからない寝言だ。
ドリアなの? ドリアンなの?
改めてみるとひどい寝姿だった。
「これが百年の恋も冷めるってやつかな……よく見たらよだれ垂れてるし」
確かにこれは恥ずかしい。
だらしない寝顔を見下ろすと、暴力的な胸の下、むきだしのお腹に目が留まる。
ぽっこりとわずかに隆起したお腹。小さな女の子のお腹を思わせる。
そんなふくらみの中、縦長のくぼみ‐‐へそへと目が吸い込まれた。
ごくり、と気が付けば生唾を飲んでいた。
普段目にしない異性のお腹、なぜかへそに意識を持っていかれ、指を入れてみたい、という悪戯心が芽生えた。
(……いかんいかん。 これじゃあまるで変態じゃないか。 どんなフェティシズムだよ)
自らに芽生えた、あるいは初めて自覚しただけ前々から潜んでいたかもしれない自分の変態性に蓋をし、呑気な寝顔を晒す雇い主へと声をかける。
「沙織さん、沙織さん。 起きてください。 言われた通り、朝の九時ですよ」
「もぉ食べらんないよぉ……」
ありふれた寝言と幸せそうな寝顔にいらっとくる。
「沙織さん、沙織さん」
声をかけ続けて肩をゆする。
「らめぇ……」
何がだよ。
「沙織さんってば、起きてください」
頬を軽くたたく。
「でもぉ……むにゃむにゃ」
悩まし気ながらも艶かしい声。でも寝言だ。
「沙織さん、起きてください」
いい加減イライラしてきたので幸せそうな彼女の鼻を摘まむ。
すると大きないびきが止まり、静寂が訪れる。
一体何秒で彼女が起きるのか楽しみになってきた。
散々寝言を呟いていた口は締まり、鼻は摘まんでいる。
息苦しさでいつ目を覚ますのかとちょっとワクワクしている俺をよそに、沙織さんは一向に目を覚まさない。
一分経ったかどうかの頃には顔を赤くしたり青くしたりで信号のような。むしろ命の危険信号。
「……いや、起きへんのかいっ」
つい衝動的に関西弁になり思いっきり頭を叩いてしまった。
「‐‐ふごっ、あいたぁっ」
がばりと勢いよく状態を起こし、頭を抑える沙織さん。
「おはようございます、沙織さん」
「え、おはようございま…あれ、貴方、あぁ、翔太さん? どうしてここに…?」
「寝ぼけてないでほら、早く顔を洗ってきてください。 朝ごはんできてますよ」
「え、え、え? えぇっと、なんですかその恰好」
「あぁ、すみません、エプロンお借りしてます、ほらほら早く早く」
立ち上がった沙織さんの背を無理やり押し出す。
触れると華奢な肩だなぁ、なんて思いながら。
「冷蔵庫の物を好きに使っていい、との事でしたので使わせてもらいました。
和食と洋食、どちらがお好きなのかわからなかったので、とりあえず和食で。
白飯、豆腐とわかめの味噌汁、卵焼き、ほうれんそうのおひたし、とシンプルに。
何か苦手な食べ物とかありました? もし、嫌いな食べ物などあればできるだけ避けますけど」
食卓に着いて未だに寝ぼけているのか、食卓を眺めながら呆けている沙織さんとの間をもたすために早口でまくし立てる。
久々に長くしゃべったため、息を整えるためにふぅ、とため息をつくと沙織さんが我を取り戻し、
「あ、い、いえ、特に苦手な食材は今は…和食の方が好みなので嬉しいですけど。
これ、全部翔太さんがお一人で?」
「まぁ、はい。
幸い今ならネットでレシピとか見れますし、難しい料理は避けたので。
レシピに一通り従ったのでよっぽど不味い、ということはないと思いますけど、おいしい保証もないです。
でも本当にまだスマホのネットが繋がってよかったです。止められてるかと思ってましたから」
沙織さんが祈りを捧げるように手を組みながらほぁ~と謎の声をあげながら目をきらきらと輝かせて見上げてくる。
見栄えはよくできたと思うので、料理の出来に感心してくれてるのだと思いたい。
料理を口に入れたとき、この顔が曇らないことだけが願いだ。
「あ、あのあのっ、い、いただいても…って、翔太さんの分は?
先にいただいちゃいました?」
今度は箸を握りしめてソワソワしている。犬をほうふつとさせる姿だ。
「まさか。雇い主さんより先に頂けませんよ。
どこかで家政婦さんはご主人のあとでいただく、みたいな話を聞いたのであとで頂きます」
「あ…」
そう告げると、今度はシュンと落胆した。
本当に喜怒哀楽が激しく、わかりやすい人だなぁと好感を持てる。
「お待たせしちゃってたんですね、すみません。
あとできればお願いなんですけど、私たちは確かに雇い主、家政婦という雇用関係ですけど、できればその、同居人みたいに振舞ってると嬉しいです。
それとその、できれば一緒にご飯食べてもらえませんか…?」
わざとなのか、あざとい上目遣いで沙織さんがお願いしてくる。
これが天然だろうと計算であろうと断れる男はそうそういないんじゃないか、と。
少なくとも自分には断れなかった。
「俺としては断る理由がないので喜んで。
じゃあ俺の分もよそうので、お先にどうぞ」
「いえっ、待ってますっ」
ぱぁっと笑顔を浮かべて立ち上がる沙織さん。おかしいぞ、見えない尻尾がパタパタと揺れている。
自分の分をよそい、対面の椅子に腰かける。
座ったあとにわざわざ対面に座らなくてもよかったなと悔いるも、今更席をずらすのも変だし、これ以上沙織さんに待てを強いるのも心苦しい。
「お待たせしました、それじゃあ…」
「「いただきます」」
打ち合わせなく、二人の声が重なる。
俺は照れ臭くなって沙織さんを見つめるが、沙織さんは気にした様子もなく、嬉しそうに味噌汁に口を付け、一口すすってすぐに顔を上げる。
「凄いですっ、翔太さんっ。 味噌汁、おいしいっ」
よかった。どうやら気に入ってもらえたようだ。
「それはよかったです」
沙織さんに先に毒見をさせたみたいで心苦しいが、一口。
「うん、だしも味噌もしっかり効いてる、味噌汁は初めて作りましたが、上出来ですかね」
「ほぁ~、初めてでこれって…。私なんてレトルトの味噌汁でさえ薄かったり濃かったりするのに…」
どんよりと沈む沙織さん。
昨日はお茶ですら失敗していた。
ここまでくると才能どうこうよりもはや呪いじゃないかと思う。
「まぁまぁ。 今度から俺が作りますし、沙織さんさえよければ料理も教えますから。
とりあえず今は食べましょう」
「ほんとですかっ、ぜひお願いしますっ。
ところで、ずっと気になってたんですけど、その恰好…」
沙織さんが気まずそうに俺の格好を指摘する。
改めて自分の姿を見下ろす。
あまり意識しないようにしていたが、やはり変だったらしい。
「さすがに男が純白のフリル付きのエプロンドレスを付けるのもどうかとは思いましたけど、これしかなくて。
さすがにこれは少女趣味すぎません? 前任者の方のですか?」
「少女趣味…うぅ、それは私のです…」
「これ、沙織さんのだったんですか。
すみません、勝手に使っちゃって」
「あ、いえいえ、使ってもらうのは結構なんですけど。
エプロンよりも、その…」
沙織さんは顔を紅くし、モジモジとしている。
なんというかイケナイ気分だ。
「なんでエプロンの下、シャツとパンツだけなんですか!?」
問題はエプロンではなかったらしい。