契約
あのあともやっぱり大変だった。
意味がわからず立ち去ろうとする俺に「い‐か‐な‐い‐で‐」と泣き縋る身長童女美女。
周囲の視線が痛すぎて「わかりました、話だけ聞きますから」と言わざるをえなかった。
「いいんですか」と笑顔を浮かべた時には愛らしさと同時に憎しみを覚えた。
「いえ、やっぱりやめます」などと悪戯すればこの身長童女は恥も外聞も気にせずきっとまた泣くのだろう。
泣きたいのはこっちだ。
そんなこんなで無理やり引きづられて来たのは場所も値段も高そうな高級マンションの一室。しかも最上階と来た。二つの意味で高い。
相手が童女じみてなければ立派な誘拐だと思う。というか誘拐だろう。
なあなあで高級マンションの一室に連れられて、「ちょっと待っててください」と待つこと数分。
「粗茶ですが」と差し出されたのは色のうっすい緑茶。
味が薄そうだなぁなんて思いつつ「どうも」と告げ一口。舌の上に心地よいぬくもりを感じるも、味はまったく。案の定、色通り味も薄い。
思わず白湯か!とツッコみたくなる味だ。
招き入れておきながら白湯みたいな緑茶提供する文化なの? 帰れって意味なの?
だとすれば大喜びなのだが、にこにこ笑顔の身長童女美女も俺が一口飲んだのを見届けて自らも一口。
すぐさま渋面で「うっす……」と気の抜けたヤンキ‐の挨拶のような一言。
これにはたまらず「いや、あんたが淹れたんでしょ」とツッコんでしまった。
「いやあ、あはは。 申し訳ないです、まさかお茶すらろくに淹れられなかったとは我ながら情けない。
言った通り、なぜか家事全般が苦手、壊滅的に不得手でして……」
「はぁ……」
そう困ったように笑いながら小さな身を更に縮こませる美女に対し、こちらも困ったようにため息をつくしかできない。
冗談交じりだと思って聞いていた話もなかなか信憑性を帯びてきた。
「まぁ、いいですけど。それより本題に入りましょうか。
念のため聞くとここはどこかとか、あなたに決めた、とか家政婦になってくれの真意とか聞きたいことはごまんとあるのですけど」
「いやはや、申し訳ないです。
私は感情的になると行動や言動がつい先走ってしまいまして、その、なかなか恥ずかしい目にあうことも多々……」
「うん。知ってる」
「うぐぅ……」
目の前の美女、普段というかこうして話しているといくらか理知的、理性的に会話ができるのが、ふとした拍子に妙に感情的、直情的な場面が見れる。公衆の面前で号泣をかますとか。
身長的な意味も込めて、子供っぽい、といったところだろうか。
もう一度言っておこう。身長的な意味も込めて。
「こ、これでも普段は大人らしく振舞ってはいるつもりなのですが……。
ごほん。それはさておき、順を追って説明させていただきましょう。
まずここは私の家になります」
「へぇ、意外でした。
家事ができないとか畳の掃除とかおっしゃってたので、てっきり和風の家かと思ってましたけど」
「うぐぅ!」
なんだその突然胸を撃たれたような仕草は。どこにそんな要素あった。
「じ、実はその……あまりにも家が散らかりすぎてて、やむなく住まいを引き払った所存でして……」
「家が散らかりすぎての意味もですけど、それで家を引き払うとか移った先がこんな高級そうな一室とかどんな金銭感覚してんですか。どこかのお嬢様だったりするんですか、ブルジョワですか、俺の敵なんですか」
貧乏金なし家無しの今の俺には忌むべき敵でしかない。引っ越す金ありゃ片付けろ。
「み、耳が痛いっ!
ど、どうか落ち着いてくださいっ、違うんですっ。
確かにもったいないとは思ったんですけど、そうせざるをえなくてっ、私だって一般家庭の生まれですしっ、金銭的にも独り立ちしており、両親とは死別しておりますがゆえの決断と言いますかっ」
思わず口走ってしまったツッコミに狼狽えながらも彼女は真剣に答えてくれた。
真剣ゆえに聞きづらかったこともしっかりと。
勢いで本来なら言いづらいであろうことを言わせてしまった点、目の前の彼女を子供っぽいと容易に馬鹿にしてはいけない気がした。浅慮にも程がある。
「……すみません、まさかご両親がとは」
「‐‐はっ! いえいえ、こちらこそ両親が旅立ったのは随分昔のことですし、私自身若くないので、必然周りもそういった境遇が増えてきてるというか、なんというかっ」
完全なこちらの落ち度に対して慌てながらもフォロ‐を入れてくるあたり、彼女の優しさがよく伺える。
しかし、またしても気になる点がでてきた。
こればかりはどうしても気になる。
彼女の優しさに付け込ませてもらおう。
「すみません、失礼を承知で伺いますが、おいくつですか」
ずっと気になってた。 身長百五十あるかないかの美女の年齢。
「うぐっ、こ、今年でに……」
ぼそぼそとしか聞こえねぇし、目を逸らすな。
「おいくつなんですか」
「今年で二十六……アラサ‐と呼ばれる域に達しました……」
観念するように吐き出す美女。
「いや、まだまだ若いやん」
思わず関西弁が出た。
独り立ちしてると言っていたので、年上だとは思ったがまだまだ若い。
たがが二十六で自らを若くないだの、出会い頭に自らの豊満なおっぱいをちっちゃいと呟き眺めていた辺り、彼女の自己評価の低さはいかがなものかと思う。容姿といい性格と言い卑屈が過ぎる。
「ま、まぁ私の年齢は置いておきましょうっ。 転居の引っ越しとなったのも同居してた家政婦さんが逃げ、もとい辞められたのが決め手でしてっ。
で、新たな家政婦さんを探すのも目的だったわけでっ、そんな最中貴方を見つけた次第でしてっ」
「今逃げって言ったな。家政婦さんが逃げるってどんだけなんだ。それにしてもなんで俺なんですかね。
街中ふらふらふらふらしてただけですし、家政婦さん雇うならそういう業者やら協会があるんじゃないですか」
「うぐぅっ、これまた手痛いところをっ。
いえ、あるにはあるんですけど、なんというか、その、どうもブラックリストみたいなのに入っちゃってるみたいでして……」
いちいち反応がおもしろいな、この人。それにしてもブラックリスト入りとかどんだけ面倒な客なんだよ。
しかも見ず知らずの他人で、ずぶの素人を家政婦として雇おうとしてるほど困ってるときた。これは相当だ。
それにしてもなにより気になることがある。
「……はぁ。 あなたがよっぽど質が悪いお客さんだってことはわかりましたけど、それにしても何で俺なんですかね。
正直、俺もあなたのことをあまり言えた立場じゃないというか、もっと酷いですよ。
家も追い出されたも同然ですし、身なりはまだましですんでますけど、明日の宿もないし金もないしで実質浮浪者同然で、言ったように家事も人並か、それ以下です。
もっとましな人を探せばすぐに見つかると思いますよ」
本来言うべきでないことまで告げてしまい、自らの恥部を晒してしまったような妙な気恥しさがある。
だけど、不思議と悔いはない。
彼女は秘するようなことも恥ずべきことも、一切を話してくれた。
それに答えない方が恥ずかしいと思った。だから今の俺の境遇を隠さず話した。
「なんと、そうなんですか」
それにしてはあまりにも塩対応。
「……」
「……」
お互い、妙な沈黙が続く。
「……いや、だから言っちゃなんですけど、こんな素性も知れない浮浪者を家にあげちゃってまずくないですかって。
何か盗んだり、あなたを脅して金を奪ったりするかもしれませんよ」
「なんと!そうなんですか!」
「なんでやねん」
彼女の驚きに、俺も驚いた。
「冗談ですよ、最初に言ったじゃないですか。あなたに決めました、と。
私、優柔不断で、物とか捨てられなかったり、あれこれ悩んで間違えて後悔したり、よくするんです。
でも、不思議と昔から直感で選んだものは必ず良かった、正しかったって思えるんですよ。
それであなたを初めて見たときに、あぁ、この人がいいな、ってそう思ったんです」
美女は今までの姿とは打って変わり、胸を張り堂々と告げる。まるで一目惚れの告白ではないか。
迷いなく告げたその言葉に俺の方が恥ずかしいと思った。
なぜ俺はずっと真実を話してくれていた彼女に対し、真剣に向き合おうとしなかったんだろう。
それでも、俺はまだ信じれないでいる。そのことが恥ずかしい。
「……本当に俺でいいんですか」
「あなたがいいんです」
「家も金もないし、素性すら知らないんでしょう」
「聞きました。 あなたには悪いですけど、かえって好都合とも思ってしまいました。
良ければここに住み込みで働いてもらいたいです。あなたのことをもっと知りたいです」
「盗みを働くかもしれません、あなたを襲うかもしれません。悪事を行うかもしれませんよ」
「確かにここには私には不釣り合いな高価なものが多いです、私みたいなちんちくりんではどうこうできないかもしれません。 でも、絶対にありえません。
私の直感に基づいて、あなたを信じてますから」
自己評価を低いと侮った彼女の絶対的な自信。直感。
改めて不思議な人だなと思った。
もっと彼女を知りたいと思った。
もっと彼女を見ていたいと思った。
優秀な身内と勝手に比較して、自らを貶めた俺と同じものを感じた。
でも違う。
彼女は確固たるものを持っている。
羨ましいと思った。俺もこうなりたいと、強く胸を張って何かを言いきれる自分に。
「……くどいようですが、本当に俺でいいですか」
「……あはは。 本当に何度目の確認なんでしょうね。
あなたはずっと私に確認を取ってましたけど、私はずっと最初に決めたんです、言いましたよね。
あなたに決めたんです。
誰でもいいんじゃなく、あなたがいいんです。
もし、あなたのやる理由が、決まったのならぜひ教えてください。あなたのことを。
改めまして、私は九条沙織と言います。天涯孤独の身ではありますが、どうかあなたを預からせてください」
そう言って彼女はスッと右手を差し出す。
誰でもよかったわけではない。
彼女にとっては俺がよかった、俺でなければならなかったのだ。
人生でこれほどまで他人に求められることがあっただろうか。
なかった。
俺はいつも日陰者で、優秀な人の影にいて、いてもいなくてもいいどうでもいい存在。
そんな俺がこんなに求められることがあるとは思わなかった。
そのことが嬉しくてたまらなくて、胸の内から熱いものがこみあげてくる。
「……なんだかプロポ‐ズみたいな大げさなセリフですね」
差し出された右手を握り、得意の軽口をたたく。
そうでもしなければ泣いてしまいそうだった。
「うえっ!? そんな、でも確かにちょっと、というかかなり気取りましたけどっ、大袈裟すぎましたかねっ」
彼女の掌が熱く感じる程に顔を、耳を、全身を真っ赤にして照れて身もだえる。
彼女は隠し事が下手そうだなぁなんて考えて。
「……いいえ、いいと思いますよ。
なんというか、沙織さんらしくて。
葛木 翔太です。よろしければ、いいえ、ぜひ住み込みの家政婦として雇ってください」
沙織さんは呆けた顔で固まっている。
いきなり名前呼びは図々しかっただろうか、なんて考えていると掌にギュッと力がこもり、
「‐‐はいっ、よろしくお願いしますね、翔太君っ」
大輪の華を思わせるような笑みで、彼女は言った。
こうして、俺と沙織さんの共同生活は始まった。