第217話「ゲームがしたくても遊べない」
商業施設の建物に足を踏み入れた瞬間、外界よりわずかに『生気』のようなものを感じた。もちろん、人々が楽しそうに買い物をする雰囲気は無いが、荒れ果てた街並みとは違って、わずかに秩序が保たれているのが分かる。
ショッピングカートや鉄パイプ、商品棚などが応急的に積み上げられ、誰かの手によって鉄線やチェーンで固定されている。もともと最新のファッションや電化製品が並んでいた店舗フロアは、非常用の照明もほとんど機能せず、薄暗い通路に雑多な物資と生活の痕跡が混在していた。
ここは約10日の間、恐る恐るではあるが避難者たちが身を寄せ合い、最低限の“暮らし”を成立させてきた小さな拠点だった。
「地図があるのは書店コーナーかな? どこのフロアだろう」
俺はそう呟き、エントランスに設置されていた案内図を覗く。
……中国語が読めねえ!
まあ、商業施設なんて、国が変わろうと作りは大体同じだろうと思うので、適当に歩いても見つかるとは思うけど。
おそらく、食料、飲料水、日用品は倉庫にまとめて管理しているはず。こんなご時世では、生き死にに直結する無くてはならないものは大事にしているだろう。
だが、本には関してはそのまま放置されていると予想している。腐るものでもないしな。
という訳で俺達は、書店コーナーがある方へ歩を進めた。二人共、透明人間なので、はぐれないように手をしっかりと握っている。
「この姿──不思議な感覚。まさか透明人間になれる日が来るなんて思わなかった。そう言えば昔、プレイヤー全員が透明人間のFPSを遊んだっけ」
「何それ楽しそう。詳しく教えて」
「4人で遊ぶ個人対戦ゲームなんだけど、戦っているプレイヤーの画面は、自分も含めて全員に丸見えの状況で戦うんだ。対戦相手の画面を見ながら位置をつかんだら、持っている武器で攻撃するって感じ。画面に誰も映ることはないから、初見はかなり混乱するんだよね。で、遊び方のコツなんだけど……」
シズカは、昔遊んだというゲームを丁寧に教えてくれる。話を聞いていると、段々と遊びたくなってきた。
「この商業施設に、そのゲームって取り扱っているのかな?」
「どうだろうね。確か、中国版も販売されていたとは思うけど」
「うーん、また言語の壁か。まあ、FPSなら言語が分からなくても遊べるはず。よし、ゲーム売り場に行こう!」
「え、地図は?」
「それも後で探す!」
やりたいと思ったことをやりたい時にやりたいだけやるのが、二階堂翼の生き様だ。
「ちょうどゲームの先生だって居るしな! シズカ、ソフトが見つかったら遊び方を教えてよ!」
「…………」
「ん? どうしたの?」
「あ、いや──私も出来る事ならゲーム三昧したいところだけど、浜辺にいた皆が心配で。……正直、今はそんな気分になれないんだよね」
「ふむ」
そう言えば、思い出した。今は、大量のゾンビが現れた浜辺にコトノハさん達を放置している、という状況だったっけ。
──今頃、大変な目に遭っているかもしれない。
仕方ない、人命優先。ゲームを堪能する楽しみは、後に取っておこう。
さっき、『やりたいと思ったことをやりたい時にやりたいだけやるのが、二階堂翼の生き様だ』とか思ったかもしれないけど、あれは嘘ということにしよう。
という訳で、俺達は商業施設内をぷらぷらと探索する。
上の階へ登っていくと、一気に人の気配が少なくなった。暗い廃墟と化した売り場の片隅には、ラジオやスマートフォンを集めて何か試行錯誤する者の姿が僅かに見える。何をしているのかとコッソリ覗いてみれば、どうやらバッテリーを充電しようと試行錯誤しているらしい。
「ここの人達も、インフラ面が厳しいんだ」
「何処もかしこも薄暗いからね、この商業施設。電気の供給が限られているんだろう。この分だと、水道なんかも使えないのかも」
電気が使えないのなら、どちらにせよ、ここでゲームは出来ないか。
そんな事を思いながらしばらく歩いていれば、書店コーナーより先にゲーム売り場を発見した。
売り場にはたくさんのゲーム機本体やゲームソフトがそのままになっていた。この商業施設を拠点にしている人たちは、ゲームに手をつけなかった様子。
こんな時にゲームを遊びたいものは居なかったのか、そもそも電気が使えないので起動できなかったからなのか、いずれの理由にせよ俺にとってはありがたい話である。
「シズカ、さっき教えてくれたゲームってどれかな? ──いや、まあいいか。とりあえず、片っ端から貰っていくとしよう。数分で戻るから待ってて」
「窃盗行為を躊躇いもなくやるね。まあ、私も魔物が溢れる世界になってからは、お店にあった食料とか日用品を勝手に持ち出したりしたから、他人のこと言えないんだけど」
「ははっ。お金が使えたら、この店にあるゲームを丸ごと買えるんだけど。俺の実家、お金持ちだからさ」
冗談めかした調子でそう吐き捨て、ゲームソフトのパッケージを雑に掴んで買物袋に入れていく。
日本では、見かけないタイトルのゲームソフトもある。これらも持って帰るとしよう。
……しかし、こんなにあると持ち歩くのが大変だな。そうだ、魔物をスナッチして荷物運びをさせればいいんだ。
「なあ、そう言えば──」
そう言って、俺がシズカの方を振り向いた直後。
ボガァン!!と、耳を裂くような轟音と共に吹き飛んだ。
爆発にも似た破壊音が空気を震わせ、粉塵と破片が四方へ弾け飛ぶ。
まるで何かが理性も前触れもなく、力任せに世界を叩き割ったような……そんな、ただならぬ気配が空間を支配した。
「──ねえ?」
そして。
砕けた壁の向こう、白煙の帳の中からゆっくりと一人の少女が歩み出てくる。
艶やかな金髪を左右で高く結い上げたツインテールが、空気の揺れに微かに揺れた。その華奢な肢体は、全身を包む幾何学模様の異様なスーツに覆われている。まるで人工物のように滑らかで、どこか現実味を欠いていた。
だが、最も目を引くのは──その表情。
瞳は静かに澄んでいる。涼しげで、感情の波など一切ないようにも見える。だがその奥に潜むものは、明らかに違った。凍てついた湖面の下で燃え盛る炎のように──その静寂には、爆発寸前の激しい怒りがひそんでいた。
ただ者ではない。そう直感させる、圧倒的な“異質”が、彼女の全身から静かに、しかし確実に滲み出ていた。
「──貴方、私に会いたがっていたでしょう? 私も会いたかったの。来てあげたわよ」
「え、誰?」
突然現れて、訳のわからないことを言い出す少女に、俺は咄嗟にそう呟いた。
まじで見覚えのない人物だ。そんな彼女が、物凄い形相で俺を睨んでいるのだから内心穏やかではいられない。
「────」
彼女は、壊れた壁の裂け目に立ったまま、微動だにせずこちらを見据えていた。表情は──やはり読めない。冷たいまなざしに怒りも憎しみも映らない。ただ、底の見えない無音の圧が、その眼差しからじわじわと押し寄せてくる。
……いや、本当に。誰なんだこの少女は。
とりあえず、名前でも尋ねるか。
「あー、俺は二階堂翼。君の名前は──」
「死ね」
一瞬。
風が止まったかと思った刹那──視界から、彼女の姿が消えた。
「──ッ!」
理解が追いつく前に、破裂音のような空気の破断とともに、何かが迫る。突風を切り裂きながら突進してくるのは、まさしく彼女だった。地を蹴る音も、助走もない。ただ直線に、弾丸のような速度で。
その拳は、寸分の迷いもなく顔面を狙って振り抜かれていた。破壊と殺意の区別すら存在しない、一撃必殺の拳。
そこには言葉も、ためらいもなかった。ただ、沈黙のまま──確実に相手を仕留めるという、明確な意志だけがあった。
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