第174話「何も悪くない」
私は、父の顔を知らない。私が生まれる前に母を捨てたのだと聞かされた。だから私は、狭いアパートの一室で母と二人きりで暮らしてきた。
母は、父のことを憎んでいて、その子供である私を酷く毛嫌いしていた。『お前なんて産まなければよかった』、なんて恨めがましく言われる日々を過ごし、当然親の愛なんてものを貰ったことは一度もない。
炊事、洗濯、掃除は、私の担当。漢字の書取りや計算問題よりも早く家事を覚えた。母は、毎日酒浸りでろくに働きもせず、家に若い男を連れて来る。
そんな家庭で過ごしてきたから、学校でも私はハミ出し者扱い。クラスメイトとは良い関係を作れず、悪目立ちするばかりの私は、すぐに虐めの対象にされた。
学校は、大嫌い。家にも、居場所がない。
何もかもぶっ壊したいと、何万回思っただろう。
……そしてある日。遂にその思いが届いたのか、私に転機が訪れた。
魔物の襲来。世界の崩壊だ。
襲って来た魔物を死に物狂いで倒した時、私の体に力が宿った。その力は、魔物を殺す度に、より強さを増していった。
私は、衝動に任せるままに、誰よりも早く魔物を殺してステータスを上げて、スキルを手に入れた。
偶然、校内で出会したマンダラを利用出来たのも大きかった。復讐のため、使えるものは何でも使って、私は更なる力を得た。
そして、他の誰かが強くなる前に、学校中の生徒や教師を皆殺しにした。
最高な気分だった。私が今日まで生きてきたのは、この瞬間を迎えるためだったのだと、本気で思ったくらいだ。
次に向かった先は、自宅のアパート。母の隣にいた男を素手で締め殺した後、腰を抜かす母を手に掛けた。
…………。
この時は、正直良い気分はしなかった。仮にも血の繋がった相手を殺すというのは、考えていた以上に嫌なものなのだと肌で感じた。
我ながら、甘く、くだらないことだと思う。
母の愛情なんて、一度も貰ったことがないのに。それでも躊躇いが生まれてしまうなんて。まるで『呪い』のようだ。
そう、呪いだ。わたしの心を貪る呪い。
そして、その呪いは今も私を苦しめている。
やっと、復讐を果たしたのに。
やっと、恨みを晴らせたのに。
やっと、自由になれたのに。
呪いが。呪いが私の幸せを阻むのだ。
私が行ったこと全て、正しいことのはずなのに。……時折、それが過ちなのだというように、私の脳に語りかけてくるのだ。
『お前のしたことは間違っている』、と。
何が間違っているのかは、わからない。
魔物の甘言に乗ったことか。学校にいた無関係な人まで殺したことか。母を殺したことか。或いは、その全てか。
……だけど、それでも。
私は悪くない。絶対に悪くない。
私のしたことは正しいことだ。彼奴らは死ぬべくして死んだ。当然の報いだ。相手が親だろうと関係ない。十数年にも及ぶ恨み辛みは、死してようやく清算が取れる。
そう。私は、間違っていない。間違っていない……はずだ。
でも、自分で幾ら自問自答しても、私の中にある呪いは消えなかった。
私の正義を証明してくれる『理解者』が必要だった。
世界が滅んで数日間。私は、その理解者を探した。
そして、根城にしていた警察署に、学生くらいの三人の女子がやってきた。その一人の言ノ葉杏里が、学校で虐めにあっていたことを聞いた。しかも両親を早くに亡くし、最悪な家庭環境で育ったらしい。
胸が騒ついた。
私と似た境遇の人物。彼女なら、きっと私の理解者になってくれる。そう思って、私は言ノ葉杏里に会いに行った。この瞬間、私の心は、復讐を実行している時と同じくらい高揚していただろう。
……結果は、最悪だった。
言ノ葉杏里。彼女は、私の理解者に足り得なかった。それどころか、上から目線の御託を並べて、私を否定した。
最悪だった。
最悪中の最悪だった。
何が、『人を殺すのは間違ってる』だ。
何が、『悲しみの連鎖』だ。そんな答えを私は望んでいない。
私が求めているのは肯定だ。
貴女は正しい、って。
彼奴らは死んで当然、って。
そんな言葉を、そんな言葉を求めていたのに。
腹が立って、怒り狂って殺そうとした。
……返り討ちにされて、私は今、崖から落ちている。
全身を銃弾のようなもので撃たれた。満身創痍の状態で、いくらステータスを強化したこの体でも、この高さから落下すれば命はないだろう。
別に、死ぬのは怖くない。どうでもいい。
絶望しかない人生だった。明るい未来なんて夢にも思わなかった。
復讐が成し遂げられただけ、少しでも私の生涯は報われたと言えるだろう。
…………。
だけど。
だけど。最後にせめて。
「私をわかってくれる理解者に、会いたかったな……」
もう幾ばくもなく、体は地面に叩きつけられる。
私は、最期の瞬間を出来るだけ穏やかな気持ちで迎えられるように、そっと目蓋を閉ざした。
しかし、その時だった。急降下を続けていた私の体が、突然誰かに受け止められた。
驚いて目を開くと、そこには高校生くらいの男子の姿があった。
お姫様だっこのような格好で抱えられる私に向かって、彼は口を開き出す。
「いや〜、驚いたよ。突然、上から女の子が降ってくるもんだから、思わずキャッチしちゃった」
彼は、宙に浮かんでいた。
おそらく、彼も『異能者』。スキルの力を使っているのだろう。
茫然とする私に向かって、彼は気遣うように話しかけてくる。
「やあ君、怪我は無いかい?」
「いえ……」
「そっか。見た感じ酷く血が出ているようだけど、何事もないようで安心だ。ああ、俺の名前は二階堂翼。……なんか君、見覚えがある顔をしているね。何処かで出会ったっけ?」
「……なんで」
「んっ?」
「なんで、私を助けたんですか? 私は別に、死んでもよかったのに」
そう。私には、これ以上生きる意味がない。
助けられても困るだけだ。いっそ、そのまま手を離してくれた方が楽になれる。
私は、邪魔な彼の手を払おうとした。
「こらこら、何やってんの。折角助けたのに」
暴れる私に対して、彼は逃すまいと無理やりに押し留める。
驚くことに、数々の魔物を討伐して高いLVとステータスを持つ私を、彼はそれ以上の力で拘束してきたのだ。少なくとも、私以上のステータスを持っていることは間違いない。
「何があったの? 怪我もしているようだし、困っているなら話くらい聞くよ? 場合によっては、助けてあげるし」
「……いらない」
「ん?」
「いりません! どうせ、私のことなんて誰も見てくれないくせに!」
「……何を言ってるんだ、君は」
「私はただ、幸せになりたかっただけなのにっ! その為に出来る限りのことをしてきただけなのに!! なのに……みんな私を見てくれない! みんなが私を拒絶するっ!!」
気付けば私は、思うままの台詞を言葉にしていた。
誰にも構ってもらえない人生だった。誰にも愛されない人生だった。
……でも、誰かと一緒にいて欲しかった。
どうすればいいかわからなかったけど、それでも、愛されたかった。
「ずっと耐えてきたんです! 母親からの蔑みの目からも! クラスメイトの理不尽な暴力からも! 耐えて耐えて、耐えることしか出来なかった私が掴んだ、やっとのチャンスだったんです! 私に仇なす者達全員を殺して、自由を掴むチャンスを! ……なのに、そんな私を否定して!」
「えっと」
「人を殺すことの何が悪いんですか!! 邪魔でしかない奴らがいなくなって、何が困るんですか!? 他人なんてどうでもいい! 自分さえ良ければいいって、そう考えることの何がッ!!」
「…………」
「……何が、悪いんですか? なんで、殺しちゃ駄目なんですか? 私は、正しいことをしただけなのに。殺す……殺して……」
「…………」
「殺した……。みんな殺した。私が。私の手で。……全部」
そこまで口にして、言いようの出来ない全身の震えが起こった。
心臓がおかしくなったかのように鼓動が鳴り続き、滝のように流れる汗と、気絶しそうに吐き出される荒い息。
頭の中で、あの時のことがフラッシュバックする。
いじめの主犯であるクラスメイトの頭を砕いた。いじめられる私を見て笑っていた生徒達の首を跳ねた。見て見ぬ振りをしていた教師の体を粉々にした。
そして、お母さんを……お母さんを、切って……。
目が……合って……。
「ごめんなさい」
謝罪していた。
母の最期を、その時のことを思い出して、私は謝っていた。
既にぐちゃぐちゃとなっている私の、目尻から大きな涙が流れ出す。
「ごめんなさい。殺してごめんなさい。わがまま言ってごめんなさい。好き勝手してごめんなさい」
「…………」
「私が悪かったです。全部私のせいです。許してください……ごめんなさい」
「なんで?」
ふと、頭の上から疑問を含んだ声が聞こえてきた。
見上げると、そこには例の彼。二階堂翼の顔があった。理解不能と言いたげな表情を浮かべながら、彼は私の方をじっと見ていた。
「いや。断片的な情報で俺の勘違いだったら悪いんだけど、話を聞く限り君が謝る必要ってどこにもないじゃん。だって、自分が幸せになる為に一生懸命頑張ったんだろう? ……凄いじゃないか」
「えっ」
信じられない言葉を聞いた。
凄い? 私が?
「君が抱えているその罪悪感をさ……、家族? 先生? 友人? 誰に植え付けられたのかは知らないけど、殺人だろうと何だろうと、自分の幸福を掴む手段を自分の意思で選べないなんて最悪だ。それに対してケチをつけたり、邪魔するような奴の言うことなんて従うことはないよ。……君は、自分自身を幸せにするという、正しいことをしてるんだから」
「た、正しいこと? 貴方は、私を正しいって言うんですか?」
「ああ、もちろん。何せ君は、俺好みの『自己中心主義』だ」
そう言って彼は、にこりと笑みを浮かべる。
「君、名前は?」
「……花江水千佳」
「ハナエちゃん。自分の為に人殺しをして、それで思い悩んでいるのなら安心していいよ。善悪の区別はともかく、君は間違いなくより良い方に生きている。人を殺めた罪なんて屁でもないくらい、素晴らしい人生を送る第一歩を踏みしめたんだ。少なくとも、その行いを俺は否定しないし、寧ろ凄いことであると肯定すらする。……だから、安心していいんだよ」
……なんだ。
なんだ、この人は。何を言っているの?
彼は、なんで……私が求めていた言葉を……。
「おっ! 頬が緩んだね。ははっ、少しは楽になってくれたみたいで良かった」
「……あ」
「さあ、取り敢えずここを出よう。滅茶苦茶に崩壊しまくって見るからに危なそうだから。……コトノハさん達の姿が見えないのが気がかりだけど、まあ何とかなるでしょう。さあ、みんな行くよ」
その瞬間、漆黒の鎖が出現し、地割れが連鎖する『深層世界』の大地へと放たれる。
鎖の先には、幾種類もの魔物達が括り付けられて、引き上げられていた。
「救出完了。そんじゃあ次は……、ゴッドキャノンッッ!!」
閃光が迸る。
彼の指先から放たれた光線が、空間を穿った。空間と空間に裂け目を生み出し、その向こうには青白い世界が広がっている。
「じゃあ、行こうか」
「あの」
「んっ?」
彼の視線が私の目と合う。
その時、私の心臓がドキリと高く跳ねたのを感じた。
「……ここを離れても、貴方と一緒に居てもいいですか?」
「勿論構わないよ。ちょうど、人員募集していたところだし。是非、俺達の仲間になってよ」
「は、はい」
私は、二つ返事で頷いた。
彼は、また柔和な微笑みを私に見せると、私と吊るされている魔物達と共に『深層世界』を脱出する。
「…………」
ふと、私を抱き抱える彼の腕を見た。
色白いけど、それでもはっきり男の子のモノだと分かる腕。……私は、その腕にそっと自分の手を乗せた。
「ん、どうしたの?」
「いえ」
自分でも、何故そうしたのかよく分からない。
ただ、何となく。
この人の側から離れたくないと。……そう思ったのだ。
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