表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

幼い頃から一緒だったお嬢様が平民になるので俺も付いていく。

作者: 秋砺他

この作品は乙女ゲームが舞台となっております。

しかし主人公やお嬢様には記憶がない為、本編には一切その要素はありません。

ご了承ください。


それでもよろしければ、どうぞお読みください!






 




 ガシャン!

 と、大きな音がした後に聞こえる大人の女性の阿鼻叫喚。


 あ、これめんどくさいやつ。


 俺は親父と喧嘩した時に興奮状態になった母親を思い出した。

 ちらりと右上を見上げると、親父が顔を疲れたようにげんなりさせている。どうやら親父も俺と同じ事を考えたらしい。

 この様子じゃぁ、今日の俺の晴れ舞台は曇天の嵐になりそうだ。まぁ、元々そんなに期待してた訳じゃないから構わないけど。

 なんでって…誰だって毎日悲痛な顔させて帰ってくる父親の仕事を自分から進んで継ぎたいとか思わないだろ?

 少なくとも俺は思わなかった。


 そんな事を考えている間にも、女性の悲鳴の様な怒鳴り声は酷くなるばかりだ。


「……………………親父」


 放って置いて良いのかと暗に伝えると、親父は溜め息をつき、俺の頭に手を置いた。


「…すぐに戻る」


 いや、無理じゃね?


 とは口に出さず、静かに頷いておく。

 それを見た親父は静かに廊下の奥に向かって歩き出した。身長がデカくて歩幅がデカい親父の事だ、すぐに着くだろう。

 俺にだって空気ぐらい読める。親父はすぐに戻ると言ったのだ。たとえそれが無理であろうとも、まだ子どもな俺にはここで待ち続けることしか出来ない。

 しかし、来て早々修羅場に出会してしまうとは、親父の職場がこんなに荒れているなんて思わなかった。

 嬉しそうに見送ってくれた母さん、残念ながら俺は期待に添えそうにないよ。だって凄い大声が聞こえる。怒鳴る母さんより、酒乱な親父より、ずっと大きな声だ。正直言うともう既に帰りたい。


 公爵様は何故俺なんかを執事見習として呼んだのだろう。


 ハッキリ言って迷惑だ。

 俺はまだダチと遊んでいたかったのに。


 親父や母さんは名誉だ誇りだと言うけど、俺は正直執事とか言う柄じゃないし、誰かに仕えたい気持ちとかまだよく分からない。

 そりゃ一応執事長の息子として?執事の基礎たるものは出来るものの、執務とか全くもってわからん。

 記憶力だって決して自慢出来る程じゃないし、そりゃあ読み書きはできるけど…。


「?」


 急に背後から視線を感じてそっと振り返る。

 こういう勘だけは働くんだよなぁ。


 視線の先には、ここで働いているであろう侍女さん達が三人ほどいた。

 こそこそとなにかを話している。

 時々可哀想なものを見るような表情でこちらを見るのが気になった。


「何故そのようなことをお前如きに言われなければならないのよ!」


 突然ハッキリと聞こえた女性の声に、思わず肩が跳ねた。

 さっきの女性の声が、どんどんこちらに向かって歩いてきているのがわかる。その気配を察知したのか、侍女達も話をやめてそそくさと仕事場に戻っていった。

 俺はどうすればいいのか迷っていると、キーキー声の間に、落ち着いた低い男性の声も聞こることに気がつく。どうやら親父も一緒に居るようだ。ここに居よう。


「どうか落ち着き下さい奥様。ただ今侍女にお茶を用意させますゆえ」

「お黙りなさい!わたくしにアレを飲めというの!?不味くて飲めたものじゃないわ!あの侍女もクビにしなさい!」

「それは私の判断では対応出来かねます」

「どいつもこいつもこの屋敷の人間は使えないわね!ルドルフは!?」

「旦那様は書斎にて書類作成を行っております」


 声が近づいてくる廊下の奥を見ていると、直ぐに声を荒らげている人物が姿を現した。

 あ――…あれが親父の心労の元か。

 恐らくこの屋敷の女主人、つまり公爵様の奥さんだろう。

 公爵夫人の声を隔てる物が無くなった今、彼女の声は直接廊下を伝って耳に届く。耳が痛い。

 そして後ろから慌てて追いかけてきた侍女さんの顔が真っ青になっているのが気の毒でならない。


「何よもう!ルドルフもルドルフよ!私に黙ってあの女の娘を勝手に屋敷へ連れて来るなんて!アレと同じ屋根の下ってだけで虫唾が走るわ!狂ってしまいそうよ!」

「奥様、どうか落ち着いてください」

「うるっさいわね!ならお前がアレを始末なさいよ!」

「それは出来かねます。私はあくまでも旦那様の執事でございますゆえ」

「…この、無礼者……!!」


 今にも射殺しそうな目で親父を睨み付ける公爵夫人。

 親父はその視線をさらりと躱して、受け流している。

 親父かっけぇー。

 そして公爵夫人こぇー。


「……ふん!」

「奥様、どちらへ?」

「部屋に戻るわ!ああ嫌だ!」

「では、後ほど紅茶をお持ちします」


 公爵夫人は親父の言う事を無視し、また、俺にも気が付かずに行ってしまった。その後を慌てた様に侍女が付いていく。

 もう一人の侍女は親父の目配せにより、その場を後にした。恐らく、お茶を用意しに行ったのだろう。

 顔を真っ青にさせ、今にも泣き出しそうな侍女さんはお茶を用意する侍女さんに支えられながら付いて行った。

 思わず唾を飲み込んでしまう。

 怖い、働きたくない。


「待たせたなジン。行くぞ」

「あっ、うん。……もういいの?」


 親父の手招きに従って廊下を歩き、親父の元に行くと、大きな手で頭をぽんぽんされる。

 俺の言葉に苦笑しながら頷いた親父は歩き出した。俺もそれに従って足を踏み出す。


 しばらく廊下を歩いて親父に連れてこられたのは、木製の豪華なドアの前だった。四角い枠の中にも細かに模様が彫られている。

 正直、ウチの唯の木のドアとは比べ物にならない。貴族の家ってドアからもう次元が違うんだな。当たり前だけど。


「いいかジン。これから公爵様にお目通りする。お前には以前から礼儀作法は叩き込んであるな?失礼なことのないように」

「は!?」


 親父に急に告げられたことに、俺は思わず大きな声を出してしまう。そして親父に怒られる。

 親父、公爵夫人に公爵様は仕事中って言ってなかったか?

 礼儀作法って言っても、俺まだ実践したことないぞ!?


 俺の内心の焦りなど知らない親父は、ノックを四回して返事があるのを確認すると、中へ入る。

 待って待って待って。はやい!早いよ親父!

 せめて心の準備ぐらいさせてくれよ!

 部屋の中を見た俺は緊張に体を強ばらせる。

 やばい。笑顔とか全く作れる気がしない。第一印象は大事だって親父も母さんも言ってたのに!

 しかしどうにか笑顔を作ろうとする前に、親父に早く中に入るよう促される。俺はもう諦めて動きもぎこちなく、足を踏み入れた。


「やぁ、君がマーモント自慢の息子かい?」


 そこに居たのは、俺が想像してた怖そうな厳ついおじさんでもなく、肥えた親爺でもない、ヤケに顔の整った優しそうな男の人だった。

 作業机の前に立ち、腕を後ろに回してこちらをにこやかに見ている。

 サラサラなブロンドの髪が、窓からの微かな風に揺れて、蒼眼の瞳はキラキラ輝いてて、少し皺のある目元は垂れていて優しげだ。

 こういう人を爽やかと言うのだろうか。俺は想像との違いに唖然としていた。


「ジン」


 親父の咎める声で、ハッと我に返る。

 好き勝手に公爵様を想像してた過去の俺をぶっ飛ばしてやりたい。

 公爵様めちゃくちゃかっこいいじゃん!


「お、お初にお目に掛かります。ま、マーモント・バララントの息子、ジーンと申します」

「そうか…君がジーンか。いやぁ、会えて嬉しいなぁ!」

「は、はぁ…光栄です?」

「ジン!」

「ははは!いや、マーモントによく似てるな」


 どうやら公爵様は親しみやすい雰囲気を持つ人のようで、俺が疑問形で答えても、どもっても怒らず、寧ろ名前を呼んで咎めようとした親父を手で制していた。

 この人が、公爵様。

 親父が子どもの頃から、主として身を捧げている人。


「本当によろしいのですか?このような愚息で…」


 ボケッとしている俺を見て親父が不満そうに公爵様に尋ねる。

 それを聞いた公爵様はそんな事など気にしないというふうに、勿論、と頷いた。


「気に入った。目なんか本当に君にそっくりだ、マーモント。私の目に狂いは無いよ」

「旦那様がそう仰るのであれば。こんな呆けた息子ですが、お好きにお使いください」


 な、なんか俺だけが会話についていけていない気がする。俺ってここに執事見習として来たんじゃないの?

 疑問を目線で親父に投げ掛けるが、親父はため息と共に肩を落とすと首を振った。

 え?何それどういうリアクション?


「ジーン」

「…っ、はい!」


 いきなり呼ばれた自分の名前に、俺は反射的に返事をする。

 気がつくと目の前には、俺に目線を合わせて膝を突く公爵様が居た。

 親父も俺も驚いて目を見開く。親父なんかはすぐさま止めさせようと動き出すが、それをまた公爵様が制したため、親父が渋々身体を引くのが視界の隅で分かった。

 一連の流れの間、公爵様はちらりとも俺から目を離さない。その顔には真剣そのものの表情が浮かんでおり、俺はまた手汗をかく羽目になった。


「今日君を連れて来てもらったのは、他でもない、私個人のお願いがあったからなんだ。」

「公爵様のお願い…ですか?」

「そう。突然だけど私にはまだ幼い娘がいる。けれど私はこの通り忙しくて会いに行くのも難しい状態でね、遊んでもやれないんだ。今、娘はこの屋敷で寂しい思いをしている。このままでは娘が心配で私も作業が進まない」

「はぁ…」

「そこでジーン。君に娘の専属執事になって欲しいんだ」

「え」


 あ、ああ~なるほどなるほど。

 公爵家ではなくお嬢様の執事。しかも専属。


 …………………いや、無理。


 いや確かに下町では近所の子どもの相手をしたり、子守りをしたりとかしてますよ。

 まぁ何せ平民は助け合いが大事なもんで。でもそれとこれとは別。

 そもそもお嬢様何歳よ?

 確かにお嬢様の執事として働きながら見習として働く事は、珍しいことではない。寧ろ公爵様や夫人に仕えるより遥かにやる事が少ないため、練習の一環にもなる。だがそれにしたって執事は俺や親父だけじゃないだろう。ましてや今日見習いになる俺じゃなくてもいいはずだ。ていうか駄目だろう、そんなやつお嬢様に付けたら。


 何より女の子! 俺が! 女の子の執事! 無理!!


「因みに娘は今年7歳になったよ」


 あーあーなるほどなるほど。

 俺より3つ年下ですか。そうですねそれなら年も近いですし仲良くなれますかね~。

 そういう事ですか年が近い執事さんが俺しか居ないんですねー。


 ……………………んんんん――。

 年の問題じゃない気がするんだよなぁ…!


「そんなに気張らなくていい。最初は娘の話し相手になってあげるだけでいいんだ、ジーン」


 話し相手。公爵様はそういうが、俺はそれが一番難しいと思う。

 下町ならまだ遊びでなんとかなるかもしれない。だが、貴族のお嬢様ともなると、当然下町でしていたような遊びは出来ないだろう。第一俺は女の子が喜びそうな話が分からない。


「それが難しければ、なんでもいい。娘のそばに居てやってくれないか。年の近い子どもがいれば、心強いだろう」

「公爵様…」


 いや、それはどうだろう?

 知らない人、しかも異性についてもらっても逆効果にしかならなくない?


「本当は君もゆっくりと執事について勉強したいだろう。本来なら見習として働くのは君の年より3年ほど後だ。しかし、私はこれ以上娘を一人にはしたくない」

「ジン」


 お願いだ、という公爵様に続いて親父の声に込められた切実な思いに、俺は困り果てて眉を下げる。

 正直、驚いた。相手は公爵位を持つお方だ。平民の俺たちからしたら天と地の差があって、普通ならお目通りするのも難しい。

 俺は公爵様よりも格下なのだから、命令してしまえばいいのに。けれど公爵様はそれをせずに待っている。俺が答えるのを待ってくれている。

 それはつまり、俺に選択肢をくれているのだ。たかが平民の一人で、しかもまだ子どもの俺に。


 こんなの…応えるしかないじゃないか。


 様々な不安があるが、俺は覚悟を決めて公爵様を見つめ返した。

 そして潔く返事を―――――

「まぁ」


「会ったこともない人に仕えろと言っても実感などわかないだろうから、取り敢えず娘に会ってみないかい?ジーン」


 あ、はい。








 そうして場所は変わり、俺達三人はお嬢様の部屋の前。

 に、いたはずなのだが、何故だかこのバカ広い公爵邸の中庭を彷徨う羽目になっている。それも一人で。


 時は半刻前に遡…らない。遡ってる時間が勿体ない。

 要は部屋にいたはずのお嬢様が侍女の目を盗んで勝手に抜け出したので、俺を含む使用人数名で手分けして捜索することになった訳だ。

 随分元気なお嬢様なようで、こうしてたまに抜け出す事があるらしい。

 大丈夫なのかそれ。


 幸いそこら辺は理解しているのか、公爵邸の中から外に出たことは無いらしく、今回も中庭の何処かに居るだろうとのこと。

 そもそも、そんなに遠くに行けるほど体力が無いらしい。

 それにしたって目に入れても痛くない娘が行方不明なのにへらへら笑ってるのはどうかと思います公爵様。

 因みに公爵様と親父は執務室へ戻った。なんか大事な書類が届けられたらしい。

 そして毎回脱走されてる侍女さんはそろそろ学習するべきなんじゃないの?


 幼い頃に何度か訪れた事があるし、一応地図に目を通しているとはいえ、広過ぎて方向が分からなくなる。

 迷子にならないよう周りを見ながら足を進める。

 は〜広すぎる。下町の奴らにも見せてやりたい。これだけ広ければ色々な遊びができるのに。少しだけ狡い。


 そんな事をぼんやりと思いながらふわふわな芝生の上を歩いていく。

 いつも歩いているのはゴツゴツした道だから、非常に歩きづらい。


 ていうかお嬢様見つからねぇ…!!


「…?」


 ふと、耳に誰かの話し声が届いた。

 細々とした声の方向を模索しながら、期待が高まる。もしかしてお嬢様なんじゃない?


 一歩進む度にさく、と草の音が鳴り、慎重に歩く足に力が入る。

 …なんで俺がこんな泥棒みたいな事しなくちゃいけないんだろう。

 それでも万が一がある。逃げられてもう一回このバカでかい屋敷を探し回るよりかましだ。俺は馬鹿馬鹿しくなりながらも声のする方へどんどん近づいていった。


「貴女のその態度が気に入りませんわ」


 まるで鈴のなるような声だと思った。

 鈴は鈴でも、少しサイズの大きい、音を出すとカランと鳴るようなそんな鈴の音。

 可愛らしいその声に相反して、きつい物言いをするこの声の主は、きっと噂のお嬢様なのだろう。


「わたくしの前から今すぐ消えなさい」


 そんな彼女の声が震えていることに気がつくのにそんなに時間は掛からなかった。

 最初から違和感はあった。誰に言うでもない、抑揚のない台本の台詞を読むような声。それから、その台詞を終える度に聞こえてくる喉のひくつく音。


 黙ってなんて居られなかった。


「一人で泣いてちゃダメだろ」


 ガサリと木陰に隠れるお嬢様に俺は大股で近づいた。逃げてしまうかもしれなかったからだ。

 しかし予想に反してお嬢様は逃げ出さなかった。こっちに顔を向けたまま固まっている。

 だけどそれは俺にも言えた事だった。


 いや、お嬢様美少女過ぎん?


 どこまでも紅く透き通る大きな瞳はこれでもかと言うくらい見開かれて涙が零れた。ふんわりとした蜂蜜色の髪は陽の光に当たってキラキラと輝き、形のいい唇はふっくらとしていて、柄にもなくまるで妖精のようだと思った。

 これまでにこんなにも可愛らしい容姿を持った人間にあった事がなかった俺はもちろん固まった。そして今一度、この屋敷の警備がつくづく心配になった。

 とりあえず侍女さん、お嬢様から目を離した貴女は罪が重い。


「な、あ、あなたいつから………!?」


 そう言いながら一息先に硬直から解けたお嬢様は目元を何度か拭ってから、俺を睨みつけた。


「さっきから」

「み、見た………………?」

「うん、だから言ったろ。一人で泣いてちゃダメだって」


 そう言って、背の低いお嬢様を見上げるように膝をつく。そうするとお嬢様は顔を歪ませ、再び目元を潤ませ始めた。

 こんな雰囲気で言うのもなんだが、このお嬢様警戒心薄すぎじゃないか?近づいたのに一歩も動かないんだが大丈夫か?


「一人じゃないと、心配を掛けてしまうわ」

「誰に?」

「おとうさま…」

「なぜ心配かけちゃいけないんだ?」

「だって!おとうさまが悲しい顔をしてしまうもの!!」


 いや、本当に警戒心皆無じゃないか?初対面の人に声掛けられてそのまま喋り続けてるけど大丈夫か?公爵様も結構ゆるい感じだったけど、このお嬢様もひょっとして中々ゆるい感じ?

 それにしても


「公爵様は今も悲しい顔をしていたぞ。なんでか分かるか?」


 あんな人が心配しない訳が無いだろうに。


「えっ!?な、え、嘘よ!だっておとうさまは今お仕事をしているはずだもの!私のことなんて、私のことなんて考えてないはずだもの!」

「ならなんで悲しい顔をするんだ?」


 捲し立てるお嬢様に、逆に聞いてみる。お嬢様は相当動揺しているようで、手と共に目もさ迷わせている。

 すまん、正直見てて面白い。


「………………分かんない。分からないわ」

「お嬢様が抜け出しているのを知っているからだ」


 多分、これは恐らくだけどお嬢様がひとりで泣いているのも知っているのだろう。

 だって侍女から抜け出した話を聞いた時、公爵様は確かに悲しげな顔を浮かべたのだ。


 恐らくだ。お嬢様は公爵様に心配かけたくないがために、毎回泣きそうな時は抜け出して居たんじゃないか?理由は分からないけど、公爵様に言い辛いことなのかもしれない。あれだけ避けているのだから。


 そう指摘したらお嬢様は、悲しげに眉を下げた。

 え?待ってこれもしかして泣かれちゃう?


「だって…どうすればいいの?ニラは何時も部屋にいるから、泣いたらきっとおとうさまに知らせるわ…わ、わたくしが弱いから…」


 ニラ…というのは恐らく毎回撒かれている侍女の事だろう。もしかしたら彼女もお嬢様の苦悩を知っていてわざと見逃していたのかもしれない。


「このままでは、わたくしはきっと捨てられてしまう…!!」


 うん、思考がぶっ飛んでいる。

 なんでそうなる。泣いただけで我が子を追い出す親っているの?いや、居たとしてもあの公爵様がそれをするはずがない。

 娘の為に平民で子どもである俺に頼み込む人だぞ?絶対にない。


「なんでそう思うんだ?」

「だっておかあさまがそうだって…」


 あぁ~なるほど~。

 その思考はあのヒステリック公爵夫人のせいかぁ。

 と、なると先程呟いていた言葉は…もうヒステリックババアでいっか、そのヒステリックババアからの罵倒だった訳だ。


 …俺は、この公爵家の家庭事情というものをよく知らない。勝手に踏み入ることも出来ない。それにお嬢様の家庭で解決するべきだ。というかそもそも子どもの俺にできる事なんてまず無い。

 だけど。だけど無性に、なんだか無性に悔しかった。


 こんなに幼い子が自分の弱さに泣いている。

 その涙を、止めてあげたいと思った。


「公爵様に会おう、お嬢様」

「え?で、でも…」

「じゃあもうひとつ質問、俺は誰だか分かるか?」


 おどけた様にそう聞くと、お嬢様は目を瞬かせたあと、不機嫌そうに眉を寄せた。


「分かるわけないじゃない!」


 うん、まぁ、そうだよね。初対面だもんね。

 …………………本当に大丈夫かなぁ、この子。

 そんなに腕組んで偉そうにされても、何だか頭の弱い子にしか見えない。

 まぁ、こういうところもあって


「俺の名前はジーン」


 仕えてもいいかなって思ったわけだけど。


「今日からアリアナお嬢様の専属執事だ」


 それを聞いたお嬢様は、余程驚いたのか大きな目をさらに大きく見開いた。

 紅い瞳が零れ落ちそうだ。


「専属執事………………」

「そ。それくらいお嬢様の事が大切なんだよ、公爵様はさ。 だから話しなよ」


 そう言って俺は元来た道に戻ろうと腰をあげる。すると、服がくんっと引かれ、その感覚に踏み出した足を止める。

 後ろを振り向くと、そこには俺の服の裾を掴むお嬢様。

 え?な、なに?


「なん」

「あなた、わたくしの専属執事ならわたくしに敬語を使うべきではなくて?」


「うっ…」


 俺の言葉を遮って言われたごもっともな正論が、余りにも純粋な瞳と共に俺に突き刺さり言葉につまる。

 誤解のないよう言うがわざとではない。ただちょっと下町の下の子達と重ねて見てしまった為に敬語が吹っ飛んでしまっただけで。


「あー…申し訳ありません」


 俺がバツの悪そうに頭をガシガシとかいていると、それを見たお嬢様は満足そうに頷いた。


「許します、ジーン。あなたも一緒に付いてきてくれる?」


 そこには断られる事を微塵も考えていない、初めて見る満面の笑顔。思わず苦笑して肩を落としてしまう。信用するの早くない?

 なんかデジャブ。

 こんなの断れる訳がないじゃん。


「お嬢様の仰せのままに」


 わざとらしく胸に手を当ててお辞儀をする。お嬢様は嬉しそうにエスコートをする俺の手を取った。

 彼女の目に、もう涙はない。






 結果から言うと、あの後お嬢様と公爵様は無事に和解した。

 今は和解しすぎて公爵様の過保護が過ぎるのでそちらをどうにかしたい一心である。

 一番の原因だったヒステリックババ…ごほん、公爵夫人は領地へ送られ別荘での暮らしを余儀なくされた。

 理由は正統な継承権を持つ者への暴力行為。なんとお嬢様は公爵夫人から暴言だけでなく度々暴力も振るわれていたらしい。


 多分理由は、お嬢様がヒス…いやもうあんなのクソババアだ、クソババアの本当の娘では無いから。

 親父に聞いた話だと、実はクソババアビビアン様は後妻で、正妻の前公爵夫人アリアンヌ様はお嬢様を産んで3年後に衰弱死したらしい。

 ビビアン様は元王族で第4王女様。

 アリアンヌ様は元伯爵令嬢だったらしい。

 学生時代から公爵様へ横恋慕していたビビアン様が、アリアンヌ様の死去後、権力の力のままに嫁入りしたんだと。

 確かにアリアナお嬢様は紅い眼に金髪なのに対してビビアン様は銀髪に茶色い瞳だ。顔も余りにも似てないし。


 で、アリアンヌ様の忘れ形見であるお嬢様が気に入らなかったと。

 まぁ、アリアンヌ様と公爵様は本当に仲が良かったらしいから…嫉妬…なんだろうなぁ。


 元々王族だったこともあって、下手に手出し出来なかったんだと公爵様には感謝された。

 それがお嬢様が自分から打ち明けてくれた事で動く事が出来たらしい。

 親父からも良くやったと褒められた。


 は?べ、別に嬉しくなんかありませんけど?


 あ、あとお嬢様の侍女ニラやその他諸々の使用人には二年の減給が科せられた。

 まぁ相手が相手だから仕方がないとは言え、クソババアのお嬢様への暴力行為を止められなかったこと、それを公爵様へ報告する義務を怠ったことが原因だ。

 もちろん皆納得済み。

 ニラさんなんかは特に涙ながらにお嬢様に謝っていた。


「お嬢様の苦悩を知っておきながら何もする事ができなかった私はお嬢様に相応しくありません」


 と言いつつ自分から辞めようとしていたもんだから、お嬢様や親父が慌てて止めていた。


「ニラ、わたくし知ってますのよ。貴方がわざとわたくしを見逃してくれていたこと!」

「!」


 ここだけの話、俺はお嬢様にニラさんのことを伝えたのだ。

 確証はなかったけど、確信はあったから。

 ニラさんやけに落ち着いていたし。


「わたくし嬉しかったわ。わたくしは独りじゃなかったんだなとやっと分かったの。お願いよ、わたくしのそばにいて…!」

「お嬢様…!」


 こうしてお嬢様への過保護がまた一人増えたのだった。


 ニラさんのことを話したのは、お嬢様が少しでも独りじゃないって分かればいいなと思って。

 独りで泣いているあの小さな背中を、もう見たくないなと思ったから。


 まぁそんなこんなで公爵家は安定し穏やかに年月は流れていった。

 俺は執事見習として親父にしばかれながら血反吐を吐く日々を送り、お嬢様は公爵家に恥じることない立派な淑女になる為に自分を磨いた。


 そして、俺、18歳。

 お嬢様、15歳。

 淑女の鑑として成長したお嬢様は無事に社交界へデビューし、そして王太子の婚約者となった。

 結婚式は王太子とお嬢様が王立学園を卒業してすぐ。


 俺は心から、お嬢様の婚約を喜ばしいと思っている。

 婚約が決まったあの日、お嬢様はまるで太陽のように笑っていたから。


 俺は彼女が幸せになれるのならば、あとは何も要らない。








 そう、思っていた。


「そんな馬鹿なことがあるか!!」


 公爵家の屋敷に一人の男性の声が響いた。

 腹立たしげに机をドンっと叩き、握られた拳は一目でわかる程に震えている。

 公爵様は今にも誰か射殺さんばかりの形相で、お嬢様の付き人であったライサス様を見据えた。

 ライサス様はその視線を受けて顔を青くしている。

 いや、公爵様が怒るなんて滅多にないぞ、こいつ今なんて言った?


「申し訳ありませんライサス様、い、今なんと?」

「だから!何度も言っているだろう!アリアナ嬢はたった今、学園の卒業パーティで、公衆の面前で、王太子に婚約破棄を言い渡されたどころか!貴族位剥奪!国外追放の命を受けたんだ!」


 やけくそになったライサス様から、一つ一つを丁寧に区切って伝えられた内容はとても信じ難いものだった。

 ライサス様は肩で息をし、ゆっくりと息を吐き出した。

 親父がそんなライサス様に水を渡す。

 ライサス様は親父から水を受け取ると、普段からは考えられないが、水を一気に飲み干した。口元を拭った後でまた静かに口を開く。


「馬鹿げてますよ、本当に」

「ライサス、本当に何かの冗談ではないのだな?」

「これが冗談だったら、俺だって今頃まだ会場に居ますよ。グラーンフェル公爵」


 ライサス様はイリア伯爵家の令息だ。

 お嬢様とは幼い頃から知り合いで、その付き合いは十年以上にも及ぶ。

 根が真面目な彼はお嬢様や公爵様とも気が合うため、王命さえなければ二人は婚約していただろうと、この屋敷なら誰もが思っている。

 確かにそんなライサス様がこんなにタチの悪い冗談を言うはずが無い。


 は?じゃあまさか…本当に?


「しかし、なぜ急に。ありえない。一体お嬢様が何をしたと言うのです?」

「実にくだらない話ですよ。王太子がご執心している男爵令嬢をアリアナ嬢が執拗に虐めた挙句、殺人未遂まで犯したと王太子は激怒しておられた」

「…王太子様は馬鹿なのですか?」

「こら、ジン」

「残念ながらそのようだよ、ジーン」


 何度でも言おう、王太子は馬鹿か?

 俺が純粋にそう問いかけると、親父がそれを咎める。親父だってそう思ってるくせに。

 逆にライサス様は呆れた顔で肯定する。

 そうか、王太子は馬鹿だったのか。


 ていうかうちのお嬢様がそんな事できる訳がないだろう。ああ見えて凄い繊細なんだぞ。


「多分、直ぐに王宮からお達しが来ると思われます。いくら馬鹿げているとはいえ、向こうには一応整った証拠がありました。そう簡単にこの決定は覆らないのではと思います」


 そう言って顔を落とすライサス様の言葉に、やっと現実味の湧いてきた部屋の人間は顔を青ざめた。


「くそっ…やはり何がなんでも行くべきだった…リーナ…」


 そう言ってお嬢様の愛称を呟きながら公爵は頭を抱えた。

 先日の雨による被害により仕事が立て込んだ公爵様は卒業パーティに行く事が出来なかったのだ。

 因みに執事全員それのお手伝いに駆り出されていた。久しぶりにこんなに働いた。

 公爵様がゆっくりと肩を下ろす。


「ありがとう、ライサス。君の立場も危ういだろうに、ここまで一番に知らせに来てくれて感謝する」

「俺には…これくらいしか出来ませんから」


 そう言って眉を下げて笑うライサス様は、静かに踵を返して部屋を後にした。


「お嬢様がお帰りになりました」


 ますます静かになる部屋の中、控え目なノックと共に入ってきた知らせに、俺はお嬢様の元へと足を運んだ。






「アリアナお嬢様」

「……!ジン」


 たった今公爵様の執務室から出てきたお嬢様は、扉の前で音もなく立っていた俺を見て目を丸くする。

 恐らく今後のことを話し合ったのだろう。

 非常にお疲れのようだ。

 久しぶりの再会だと言うのに、何時も自信に満ち溢れていたお嬢様の顔が、今は完全に陰ってしまっていた。


「お疲れでしょう、ただいま飲み物を淹れてまいります。お部屋でお休みください」

「…ええ、ありがとう」


 お嬢様と別れたあと、厨房へ行きお嬢様の好む紅茶とミルクをカートに載せて、お嬢様の自室へ持っていく。


 すると扉の前でお嬢様の専属侍女であるニラさんが立っていた。彼女は俺を見つけると静かに距離を詰めて立ち塞がった。

 しかし俺は何も言わずに、頭だけを下げて通り過ぎる。

 多分、彼女が求めている事は分かる。

 でも、言わない。


「…何故、誰も責めてくれないの、ジーン?」

「…何を責めると言うのです?」


 お互いに向き合わないまま、背を向けあって会話する。ニラさんとこうやって話すのは正直少し新鮮だ。


「私が、そばに付いていながら、お嬢様をあのような目に………!私のせいで……!!」


 そう、今日王立学園の卒業パーティに出るお嬢様に付いていたのはライサス様だけじゃない。ニラさんも居た。

 ニラさんはお嬢様の専属侍女だから、学園の寮にも付き人としてお供していた。

 いや、まじで俺も行きたかったけど、性別的に使用人として学園へは無理だし。てかそもそも俺は純平民なので行けるはずがなかった。辛い。


 まぁ、だからこそ、ニラさんはこうなる前に気づけた筈だったのだ。いや、気が付かなければならなかった。


 お嬢様が嫌がらせ、ましてや殺人未遂などできないのは明らかだ。

 お嬢様は王太子の婚約者だ。この3年間正妃教育に忙しくそんなことをする余裕も時間もない。

 それは長い年月を共に過ごしたこの屋敷の住人のみならず、貴族達の誰もが分かっているはず。

 ならば何故国外追放ものの罪状がお嬢様に突きつけられるのか。

 答えは簡単。

 嵌められたのだ、お嬢様は。


 本来ならばそれにいち早く気が付き、行動するべきだったのはニラさんだ。

 俺たちはそれ相応の指導を受けている。

 だからこそニラさんは自分を責められずには居られない。そして自分で自分を責めるだけでは足りないと思っている。


 だが、生憎とニラさんだけがそう思っているわけじゃないんだな、これが。


「公爵様が貴女を許すのならば、そしてそれをお嬢様が願うのならば、俺に言うことはありません。 それに責任がある事を既に自覚しているのに、責める必要はないと思います」


 ちらりと見えたギリ、と爪がくい込む程に握られた掌が、彼女の気持ちを代弁している。


「…私は…変われないままね」


 人間そんなに簡単に変わるものでもないだろう。

 だって彼女は昔からお嬢様のことをとても大切に思っているのだ。


「まぁ…大丈夫ですよ」

「慰めなんて要らないわよ」

「いや、そうじゃなくて…」


 うん。本当にそんなんじゃなくてね。


「このままグラーンフェル家が黙ってると思ってます?」

「…!!」


 そんな訳がないんだよなぁ〜。

 お嬢様をコケにされて、腸が煮えくり返る思いなのは何もニラさんだけじゃない。

 グラーンフェル公爵家の当主及び使用人全てが、責任を感じ、そして憤っている。


「直ぐに親父から指示が来ると思いますから、得意のナイフの手入れ、しておいた方がいいですよ」

「…ふふ。そうね目に物見せてやるわ」


 ニラさんは投擲に関しては恐らく誰にも負けない程の実力者だ。

 因みに俺は一度だって勝てたことがない。

 おかしいよな、ニラさんって一応貴族女性なんだぜ?

 ここの使用人はそんな人ばかりで最初は驚いたものだ。

 こりゃー、泥棒とか迷い込んだら最後だと。別の意味で。


「呼び止めてごめんなさいね。 お嬢様は中でお休みになっているわ」

「満を持してお湯は熱めにしておりますので、ご心配には及びませんよ」

「頼もしくなったわね、ジーン」

「恐縮です」


「……………お嬢様を頼んだわ」

「お任せ下さい」


 そう言ってニラさんが廊下の奥に消えていった。多分、親父のところに行くんだろうな。

 親父も公爵様も相当ご立腹だからなぁ・・・。

 王太子はこの国で一番敵に回しちゃいけない人を敵に回したな。この国大丈夫かな。


 まぁ、俺が知った事じゃないけど。


 俺は気を取り直してお嬢様の自室の扉を叩いた。


「どうぞ」


 あの日から少しだけ落ち着いた、大人びた声が中から聞こえる。それでもやっぱり、鈴のなるような声だというイメージは今も変わらない。


「失礼致します。 お嬢様、紅茶を持ってまいりました」

「ありがとう、ジン」


 手際よくミルクティーをつくり、高価な椅子に座るお嬢様にそっと手渡す。

 嬉しそうに受け取るお嬢様の笑顔を見て、少しほっとした。

 ニラさんと話して少し遅くなったが、程よい熱さ加減になっていたので良しとする。

 実はお嬢様は猫舌なのだ。


「…もう、話は聞いているわね」

「はい」


 淹れたばかりのミルクティーに一口くちを付けて、お嬢様は寝台へと腰を掛けた。

 俺の返事を聞いて、お嬢様は「そう」と呟くと視線を落とし、両手でカップを包み込む。


「先程お父様に言われたわ。たとえ真実でなくても、王宮からのお達しには逆らえないと。お父様は何も悪くないのに、傍に居られなくてすまない、と抱きしめてくれたわ」

「はい」

「王宮からのお達しはつまり王命であって、逆らうことはできない。これはこの国での常識。わたくしももう覚悟できているわ。逆らってこの家を危険に晒したくはないもの」

「はい」

「悔しいけれどこれはわたくしのミスでしてよ。学園で生徒をまとめる位置に居ながら、気が付くことが出来なかった。お父様にも申したけれど、ニラは何も悪くないわ。ただ相手が一枚上手だっただけ。彼女は最後までわたくしを守ってくれていたのよ」

「はい」

「罪が偽りである事は、あなた達が良く分かってくれているもの」

「もちろんです」

「何も怖がることはないわ」


 そこでお嬢様は流れるような饒舌をふいに止めた。

 俺はお嬢様からずっと目を逸らしていない。けれどお嬢様とは目が合わない。

 彼女は自分の話をする時、いつも顔を隠そうとする。

 それが俺にはずっともどかしかった。


 けれどその瞳が今日、初めてこちらを見た。

 彼女のその深紅の瞳に、自分が映るのを、確かに見た。


「けれど…もうジンのお茶が飲めなくなるのは…寂しいわね」


 そう言ってお嬢様が困ったように、少しはにかんで笑うもんだから、その表情があまりにも儚げで、やっぱりあの時と同様、俺は黙ってられなかった。


「私、平民なんですよ」


 急な話の方向転換に、教養を身に付けた今ではもうあまり見せない動揺をお嬢様は見せた。

 久しぶりにめっちゃ目が泳いでる。可愛い。


「え、ええ…そうね?」


 口元に手を添えて困惑してるのが可愛い。


「はい。 ところでお嬢様は国外になにか伝でもお有りですか?」


 またまた話が展開し、お嬢様は訳が分からないと言う顔をしながらも首を横に振った。

 うん、知ってる。

 何が言いたいのか分からないお嬢様は、子どものように不思議そうに首を傾げている。その表情はとても無垢だ。


 …王太子様って本当に見る目ないよなぁ。


「では平民の暮らしというものは?」

「ぐ、具体的なものはそこまで…………………」


 うんうん、そうでしょうとも。

 屋敷の使用人に平民が居ると言っても、公爵位を持つ方々だ。平民の暮らしとは程遠い恵まれた生活を送っている。

 領地を回っていたとして、知っている平民は一部分。しかも接するのは平民の中でもきちんとした役職を持っている上の人間だ。


 お嬢様の処罰は国外追放。

 平民落ちは正直おまけだ。恐らく使用人を付けることを阻止しようとしたのだろう。

 それを王都で蝶よ花よと愛でられた上流階級の貴族女性に科すということは、とどのつまり、死刑宣告されたも同然。

 今の生活が染み付いた貴族が平民に落とされて一人で生きていくのは、不可能に近い。


 俺たちが怒るのは当然だろう?


「ジン。 いい加減何が言いたいのか教えてくれても良いのではなくって?」


 お嬢様が不機嫌そうに腕を組み始めた。

 調子が戻ってきたようで何より。


「では率直に申し上げますが、お嬢様」

「?」

「今のままお嬢様お1人が国外へ出て、平民として暮らしていけるとお思いですか?」


 そう投げ掛けると、お嬢様は悔しそうに顔を歪ませ、ドレスのスカートを握り締めた。


「無理…でしょうね」


「そうまでしてわたくしを亡き者にしたいのでしょう」とお嬢様は悲痛な面持ちで続けて呟いた。

 きっと死ぬほど辛かっただろうに、彼女は俺と視線が合うと無理して微笑む。

 いや待ってそんな顔させたいんじゃないんだって。


 お嬢様の視線はまたカップへ向かう。

 その前に、俺はお嬢様に伝えたかったことをサラリと口にした。本当に何でもない事のように。


「ということですのでお嬢様、私を共にお連れ下さい」


 ピタリ、とお嬢様の動きが静止する。

 そして直ぐに顔を上げ、俺の顔を眉を凝視する。あまりの衝撃に理解が追いついてないらしい。

 めっちゃ綺麗に止まったから時間が止まったのかと思った。


「………………今、なんて」

「ああ、失礼致しました。もう決定事項なので正しくはご同行します、ですね」


 驚きすぎて力の加減を忘れているのか、落としそうになったカップをさり気なく取り上げながら、言い間違いを訂正する。

 そうだなもう付いていくことは決まってるのに疑問形はおかしいよな。なんか違和感があると思った。


「………………え?」


 間近でお嬢様の顔を見るのはあの日以来だなとか考えつつ、ちゃっかり睫毛長いなとか思いつつ、お嬢様が俺の言葉を飲み込めるまで待つ。

 そうしてすっかり冷めたミルクティーを淹れ直すこと体感一分ほど。

 ようやく事態が飲み込めたお嬢様は飛び上がって俺まで近づく。


「何を…!!あ、貴方自分が何を言っているのか分かっていて!?」

「もちろんですとも」

「な、な………!」


 俺が即答すると、お嬢様はまたしても言葉を失ってしまった。

 お嬢様が大声出してるのなんて何年ぶり見たかな。そんな声出せたのか。


「な、え、ええ………?」


 俺が飄々とした態度で居るからか、お嬢様も次第に落ち着いてきたらしい。疑問を残しながらもすごすごと寝台へと戻る。

 そんなお嬢様に淹れ直したミルクティーを差し出した。


「……………………………いえ、駄目よ!!!」


 うわびっくりした~。

 ミルクティーを一杯飲み干した後、お嬢様が急に叫んだ。

 心臓止まるかと思った。

 なにごと?


「駄目よ、ジン!だって貴方そんな事したら……………」

「したら?」

「職を失うわよ!!」

「はぁ、まぁたしかにそうですね」


 お嬢様は慌てたように両腕を上下にブンブン振りながら必死に俺を止めようとする。

 何それなんかあざとい。

 て言うか職を失うって確かにそうだけど、そこなんだ…?


「平民になるのよ!?」

「私はもともと平民ですよお嬢様」

「あ、ああ…そう言えばさっきも確認したわね………そうじゃなくて!」


 テンパリすぎだろお嬢様。

 公爵様もそうだけど、如何せんこの家族、どこか抜けている。

 公務の時はそんなことないんだけどなぁ…。


「か、帰れなくなるのよ!?」

「そう言えば私も異国には詳しくないのですが、下調べでもして行きます?」

「家族にも会えなくなるわ!」

「そうですね。今のうちに話したい事話しておいた方が良さそうですね」

「………そう!お父様は!?お父様やマーモントが許すはずがないもの!」

「勝手ながら、既に承諾を頂いております」

「…ぅうう〜〜〜〜!!!!」


 あらゆる言葉に即答していくと、謎の唸り声を上げて頭を抱えるお嬢様。

 なんかちょっと面白い。

 お嬢様の気持ちが分からない訳じゃないのだ。心配してくれているのは分かる。

 確かにお嬢様の言う通り友達や家族、それに故郷と別れるのはもちろん寂しいし辛い。


 けれどそのどれよりもお嬢様が大切なんだ。

 俺が今まで築き上げてきたどんなものより、貴方が大切なんだ。


 だから俺の為に、貴方の傍に居させて欲しい。

 …なんて、そんなキザなこと言えるはずもないんだけど。


 先程まで唸っていた声が止み、静寂が部屋を包む。お嬢様は俺に背を向けて寝台を見つめていた。

 …今お嬢様が何を考えているのか、俺には分かるぞ。何年の付き合いだと思ってんだ。


「お嬢様、どうか旦那様と執事長を責めないでください」

「…責めてなど」

「そして貴方自身のことも」

「!」


 やっぱり。お嬢様から返ってきたのは沈黙。

 図星だったなこれ、相変わらず分かりやすい…。


「これは私の自己判断で、私の意思です。私が勝手に貴方のそばに居ることを選んだのです」

「…………どうして?」


 お嬢様からポツリと声が漏れた。

 今日聞いた中でも一番小さな声で、集中しないと聞き漏らしてしまいそうだ。


「どうして、そこまでわたくしに尽くしてくれるの…」


 なんで私がこれから捨てなければならない物を、貴方は強制されてもないのに捨てられるの。そう、聞こえた気がした。

 お嬢様はきっと信じられないのだろう。

 自分なんかの為に、自分が今1番失いたくないと思うものを全て捨てようとする俺の気持ちが分からない。

 人の善意が信じられないのだ。

 十中八九あのクソ王太子の婚約破棄のせいだろう。

 お嬢様は今日一日で、全てを失ったのだから。


 まぁ、俺も善意だけかと言われれば、そうでもないんだけど…。


「ニラだってお父様だってそう…わたくしは貴方たちに何もしていない、何もあげてない、何も!恩を返すどころか、いつも失敗して迷惑をかけるばかり!…今回だって!なのに、どうして貴方たちはわたくしに尽くすの!!」


 お嬢様の瞳に涙が溜まる。赤い瞳が潤んでキラキラと光って綺麗だと場違いにも考えてしまう。

 自重しろ、俺。


 えっとなんでって…そんなの一つしかないじゃないか。


「好きだからですよ」

「っ、!?」


「あなたを心から愛しているからです」


 お嬢様の涙は止まらない、けれど頬がじんわりと赤くなるのが分かった。

 うんうん、そうやって自覚してくれればいい。

 お嬢様が思う以上に、この屋敷の人間はお嬢様が大好きなのである。


 …まぁ俺の『好き』は皆の『好き』とはだいぶ違うわけだけど。いや、俺の恋愛感情うんぬんは一旦置いておこう。

 とにかく、ニラさんと公爵様にはしっかりと釘を刺されているし、親父には命を懸けてお嬢様を守る事を誓わされて、他のみんなにも沢山言付けを預かってる。

 そう伝えると、お嬢様は更に目を見開いた。

 何だか今日はお嬢様驚いてばかりだな。

 多分大半驚かしてるの俺だけど。


 俺の話を聞いたお嬢様は、言付けの書かれたメモ用紙を見るとくしゃりと顔を歪ませた。


「わたくし、幸せものね」

「お嬢様はきっと世界一幸せものですよ」

「ふふ、婚約破棄された後に聞く台詞じゃないわね」


 そう言って浮かばせた笑顔は、とても自然なものだった。

 俺も自然と口元が上がっていく。


「申し訳ありません」

「許します、ジン。貴方も一緒に付いてきてくださる?」


 遠い昔聞いた、忘れもしないあの台詞を、お嬢様はもう一度口にした。

 ああ、なんかあの時もこう思ったな。

 デジャブ。


「お嬢様の仰せのままに」


 まさかお嬢様が覚えているとは思わなかった。

 俺は嬉しさとともに、またおどけたように胸に手を当て、以前と違った正しい姿勢で頭を下げたのだった。






 そしてそれから一年後。

 風の噂では、我らが母国は王太子夫婦を見限ったらしい。

 どうやら王太子妃の今までの悪事が暴かれた挙句、王太子は女性との親交が醜聞となった事が切っ掛けだ。お嬢…リーナを婚約破棄した時点で評価は下がっていただろうにまさか更新するとは流石クソ元王太子。

 見習いたくない。

 そして第二王子が王太子に繰り上がり、確実に成果をあげているそうだ。


 そしてこの半年後、まさか元クソ王太子夫婦による刺客が来たり、第二王子がリーナに会いに来たりと、平穏な日々に亀裂が入ると誰が予測できただろう。



 時は戻るが、一方で俺たちはなんと、リーナは隣国の王女付き家庭教師として抜擢され、俺は文武官の免許を取り王宮で働く事となった。

 リーナは意外にも人に教えると言う事が向いているようで、家庭教師は天職と言えた。今はやんちゃ盛りの王女様にどう指導するかを楽しそうに考えている。


 変わった事は沢山ある、けれど二人とも帰る場所はこの国に来た頃と変わらない。


 この国に来て約一年。

 この暮らしに馴染み始めた俺は、次の段階へ進みたいと考えていた。




 ……………そろそろリーナに想いを伝えたいと思うんだけど、どうだろうか?




 Fin,




最後までお読み頂きありがとうございました。

主人公がちゃんと告白出来ることを祈っています。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] え!?告白しろよ!!付き合えよ!?はよ結婚しろよ!!? と思いました。
[一言] 誤変換発見です。 >風邪の噂では、 → 風の噂では、
[良い点] どうだろうか? じゃねぇぇぇえええ!! はよ告れ!そして続きを書け!! [一言] 取り乱しまみた
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ