ハイム卿
〈敵影なーし!〉
防空陣地に飛び込んだ人民軍の兵士達は人狼の兵士が残っていないか確認したが、砲撃で即死した兵士の飛び散った死体と血の臭いで吐き気をもよおした。
〈少佐、中は全滅です〉
榴弾砲の直撃の影響で、127ミリ高射砲と40ミリ機関砲の弾薬が爆発したのだろう。塹壕の奥に設置されていた弾薬庫が吹き飛び大きな穴が空いていた。
〈生存者だ、生存者が居るぞ!〉
「あぁ……あ……」
地下に設置されていた倉庫の中から人狼の兵士が1人見つかり、拘束された。
「名前は?所属は?」
人民軍の兵士が問い質したが、何も答えなかった。
〈鼓膜が吹き飛んだんじゃないか?〉
「聞こえるか?耳が駄目なのか?」
ジェスチャーで自分の耳の辺りを指差し、人狼の兵士の耳を指差した。
「あ……聞こえない……」
〈駄目だこりゃ、聞こえてない〉
捕虜から情報を聞き出せるかと思ったが、耳が聞こえないのでは手こずる。
〈捕虜はどうだ?〉
〈駄目です。爆圧で耳がイカれて聞こえないそうです〉
アイガー少佐も気になり、尋問していた兵士の様子を聞きに来た。
〈衛生兵、見てやれ。大尉、防御態勢を取れ。機関砲が使えるか調べろ。援軍が来るまでこの場所を死守する〉
弾薬が心許無いが、確保した橋頭堡を手放さないためにこの場所で守りを固めるつもりだったが。
〈なんだ?〉
突然、装甲人形から金属音がしたので振り返った兵士は下腹部の痛みに襲われた。
〈なっ!?ぁ……〉
大声をあげようとしたが、声を出せなかった。
目の前に居る人狼の騎士が金棒を脇腹に叩き付け、その衝撃で肋骨が砕け散ったのだ。
〈ヴィルクの騎士だ!装甲人形と1人やられた!〉
「ギィヤア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ー!!」
猿叫を叫びながら更に他の兵士に向かい、クシラ騎士団のハイムは2メートル50センチもある金棒を振り下ろした。
「ハイム殿が行ったぞ!」
「ヨカヨカヨカぁ!」
他の騎士団員は、真っ先に防空陣地に入り暴れ始めたハイムを見て囃し立てていた。
本当は“敵先鋒を偵察しろ”と言われて来たが、敵の姿を見たハイムが我慢できず突っ込んで行ったのだ。
〈ハイムだ!クシラのハイム卿だ!〉
人民軍の兵士が叫ぶ間にも他の兵士2人が金棒で殴られ火花が飛び散った。着ていた鋼鉄製の甲冑は大きく凹み、殴り付けられた勢いで陣地の壁に叩き付けられるか、外に転げ出た。
〈下がれ!〉
発砲を警告するブザーを鳴らしながら装甲人形が15ミリ重機関銃をハイムに向けた。
「うおおぉぉぉぉ!」
装甲人形に気付いたハイムが金棒を投げ付け、装甲人形に突き刺し動きを鈍らせ、物凄い勢いで突っ込んだ。
装甲人形が重機関銃の引き金を引いたが、金棒が突き刺さった影響でバランスを失い、銃口は空を向いた。
ハイムが装甲人形の胸を殴り飛ばし、衝撃で装甲人形は潰れた。
正面装甲は20ミリの鋼鉄製で内部も身体を支えるための機械や制御用の魔法具が詰まっており、それが粘土細工の様に簡単に潰れたことに人民軍の兵士達は恐怖した。
〈撃て!撃て!〉
兵士達もすぐさま重機関銃を発砲したが、今度は潰した装甲人形を兵士達へ投げ付けてきた。
〈どうした!?〉
アイガー少佐が塹壕の奥から顔を出すと、ハイムが装甲人形の15ミリ重機関銃を奪い取り乱射していた。
〈少佐!伏せて……〉
部下が伏せる様に叫んだが、兜を撃ち抜かれ倒れた。
〈何が起きてる!?〉
〈クシラ騎士団のハイムです!装甲人形が2体撃破されました、負傷者多数!〉
報告している間も、ハイムが重機関銃の銃身を握り、棍棒の様に振り回すと兵士を薙ぎ倒した。
〈くそ、援護しろ〉
部下に命じると、アイガー少佐は剣を抜いてハイムに斬り掛かった。
「うおおぉぉぉ!」
〈う゛っ!〉
だが、ハイムの間合いに入った途端、兜越しに顔面を殴られ意識を失った。
〈少佐!〉
まさか、元騎士で手練のアイガー少佐が一撃で返り討ちになるとは思わず、部下達は慌てた。
〈援軍を呼べ!早く!〉
他のクシラ騎士団の騎士達も防空陣地に雪崩込んで来て、人民軍兵士達は圧倒された。
「西側にT-72とBTR/BMPが集結しています。また、ジュブル川を大量の物資が渡河している痕跡があります」
飛行艦での偵察でジュブル川を行き交う船の存在が判明し、第2師団では俄に緊張感が漂っていた。
大量の物資を投入する軍事行動、それもソ連製の兵器を投入する本格的な攻勢が始まったのだと。
だとすると、後方で待機する他の師団も前線に向かい防御態勢を整える必要があるが。
「ティルブルクに駐留する人民軍に動きはない、また航空軍も動員の兆候無しか……」
事前に聞いていた情報を口にし、師団長のニュクスは考えを巡らせた。
アルターが占領地に作った、ティルブルクの街に潜入するライネからは、地上軍の動きに関する報告は無かった。むしろ、年末年始の休暇でアルター本国に戻る兵士も居るなど、およそ攻勢準備を整えてる雰囲気は無かった。
郊外に新しく出来た航空軍の飛行場も同様だった。全力で攻撃して来て無いとすれば目の前の敵は何か?
総攻撃に見せかけ、厭戦感情を高めるための欺瞞作戦か?
停戦交渉に向けて世論が“早期停戦”へと流されるので、その流れにの思いっ切り乗っかるのも悪くはない。
相手の脅威を過度に報告し、軍司令官を動かし総力戦が始まったと思わせる。
顔が見えない相手指揮官と共謀するわけになるが……。
「師団長、緊急です!」
「何か?」
敵に1つ恩を売ろうと考えていたが、そんな考えを覆される報告が舞い込んできた。
「クシラ騎士団のハイム・コヴァルスキ大尉が戦車壕を越えて侵入してきた人民軍を撃破したそうです。現在、後退していた部隊が陣地へ戻りつつあります」
「……はぁ!?」
“攻撃に転じろ”と指示を出していないのに、勝手に侵入して来た敵を撃破されたことにニュクスは目を白黒させた。
「あー……。工兵を派遣して陣地の修繕を」
あまりに予想外の出来事に、ニュクスは指示を出した後も暫く呆然としていた。
「師団長、第2師団が反撃に転じ、人民軍は後退したそうです」
合衆国党の結党集会兼、デイビット・タッカー候補の出馬発表集会が終わり、立食パーティーに出ていたアルトゥルは部下の報告に安堵した。
「あんがと。多分、何も起きないだろうから、交代で飯食ってていいよ」
部下にそう言うと、アルトゥルは魔王の方を見た。
普段なら政財界の要人にゴマをすられているが、弟のアルベルトと一緒に居るからか、2人で仲良さそうに談笑していた。
正直なところ、何を考えているか読めず。もしかすれば、今日の人民軍の動きも知っていたかもしれない。
魔王がまた何か企んでいないか?
どうにも信用ならなかった。
「アルターが攻めて来たって?」
「ああ、第2師団が食い止めたらしいが」
噂になっているのか、パーティー出席者達がアルター人民軍の攻撃の事を話していた。
「ねえ、新聞見た?」
「ん?なぁんて?」
アルトゥルがローストビーフを頬張っているとドミニカが号外新聞片手に話し掛けてきた。
「人民軍が攻めて来たって新聞で」
「あ、新聞で扱ったの?」
報道が早いのが意外だった。
やっぱり、魔王が何か企んでいるのか。
「時間が経つと問題有るから、第一報を出させただけだけど」
「うわっ!?」
気付けば魔王が間近に居た。
「まあ、何とかなったらしいし。心配しないでいいよ」
そう言い残すと、魔王はアルベルトの元に帰って行った。いつもなら直ぐにでも公邸に戻るが、今日はその動きはなかった。
“やっぱり何か企んでいる”とアルトゥルは確信した。




