魔王ロキ
『Hello〜♪』
電話を掛けたら上機嫌な返事が帰ってきたのでフェンリルは嫌そうに耳を倒した。
「ロキ様、ちょっとお話があります!」
語気を強めて電話の送話部に怒鳴り返すと、向こう側から暫く返事が帰ってこなかった。
『お掛けになった電話番号は現在使われて……』
「誤魔化さないでください!」
そもそも交換手が電話を繋ぐので、番号が違えば繋がることはないのだが。
「港生君が警察に追われてるそうです。警官隊が何人も行方を探しているとかで。捜査を辞めさせますので、その連絡です」
『え!?港生がどうしたの?』
竜人の忍者として、ロキの護衛から諜報活動まで色々と活動してくれている港生が警察から追われる理由が判らずロキは只々困惑したようだ。
「港令さんが憲兵隊に復帰して以降、特高警察が身辺を探ってたようです。そのさなかに港生君が何かしたらしくて、それを口実に逮捕しようとしているようです」
ロキ個人の為に、あの3兄弟が動いていた事は周りには言っていなかった。公安関係者もイシスと港生達が近くにいるのも”たまたま、イシスの恋人のトマシュが港生と仲が良いから”程度の認識だった。
『上手いこと横槍を入れられるかい?』
なので、魔王ロキの名を出すのは憚られると考え、フェンリルに考えがあるのか、ロキは問いただした。
「陸海軍経由で上手くやります」
「何が落ちてきた!?」
警官隊が使うトラックに何かが落ちてきたのか、物凄い衝撃音が響き渡り、直ぐに警官隊が集まってきた。
「人です!重傷です!誰か担架だ!」
まだ数が少ないディーゼルトラックのボンネット部分に着物姿の女が落ちて来たのを巡査の1人が確認した。
「息はあるか?」
「あります」
現場を指揮する警部補は上を見ると割れた窓が見えた。
「あの建物だ!2班と3班、中に入れ!」
外観からは判らないが建物の上の方の窓が割れていたので警部補は20人程部下を向かわせた。
「マズイなあ、さっきので警官が集まってきた」
何とか屋上に上がれたトマシュが注意深く下を見ると警官隊が大騒ぎしているのが見えた。
「向こう側まで2,30メートルか」
トマシュの言ったことを聞いていないのかイシスは反対側に渡る算段をしていた。
竜人は生まれながら魔法を身体能力を底上げするのに長けているので、軽く助走を付けたり、高跳び棒や綱渡りの要領で渡るものから鋼索を這わせてジップラインよろしく滑走する者まで居た。
「しばらく様子を見たほうが良さそう?」
物陰から注意深く下を見ているトマシュに話し掛けたが返事は芳しくなかった。
「指揮官っぽい背広の人がこの建物に入るように言ってるよ。地上からの目もあるし他の建物に……。え!?」
「うおっ!」
トラックのボンネットの上に倒れていた女がムクリと起き上がり、建物の屋上をまっすぐ見据えたのだ。
そして懐から短刀を取り出すとボンネットの上に立ち上がり、建物の壁に鉄下駄を履いた足を突き立てながら垂直に壁を登り始めた。
「何だアイツは!?」
「忍者、忍者だー!」
壁に鉄下駄が刺さる衝撃でコンクリート片がパラパラと落下するのだが、壁を登るドワーフの女はまるで陸上の短距離トラックを走るかのようにトマシュ達の居る屋上へと突き進んでいた。
「さっきの忍者だ!」
トマシュが叫び、剣を抜くと同時にドワーフの女は屋上に飛び込んできた。
「っと……!」
短刀で斬り掛かってきたドワーフの女に対しトマシュは器用に避けた。
先程のやり取り同様、まともに剣で受ければ手首を斬られかねないと感じ、トマシュは避け続けた。
『行くよ!』
『判った!』
ドワーフの女の真後ろに回り込んだイシスが念話で合図を出し、トマシュと同時に剣で斬り掛かった。
『あ!』
『やば!』
だが、イシスの剣はドワーフの女の鉄下駄に阻まれ、トマシュの剣は右手首を掴まれたことで大きく逸れた。
「ぅっ!」
イシスは鉄下駄を喉に蹴り込まれ息が止まった。右足だったか左足だったか判らない程の早業で、イシスは床に転がり落ちた。
そして、ドワーフの女はそのままの動きで、短刀を握った右手をトマシュの襟首に回すと投げ飛ばした。
「相手は忍びだ、発砲を許可する」
警官隊は刀の他に携行を命じられた38口径の拳銃をホルスターから抜くと雑居ビルの中を慎重に進み始めた。
「警部補、署長から命令です」
「何だ?」
そんな最中、最寄りの交番で連絡係をしていた部下が伝言を伝えに来た。
「“ただちに引き揚げろ”と署長本人から電話が有りました」
「本人からだと?間違いじゃないのか?」
軍と同じく、警察組織も命令下達の順序が決まっており、末端へいきなり幹部クラスからの命令は下りてくることはまず無かった。
「間違い有りません。部長も同席されてた様で、電話の向こうから部長に念を押されました」
「……確認する、ここは任せた」
警部補は交番へ向かい、直属の上司に確認の電話を入れる事にした。部下に現場の指揮を任せると走り始めた。
『警官隊の動きはどうですか?』
「お待ち下さい」
書店の電話を借りている大林少佐はフェンリルに待つように告げると、部下から外の様子を聞いた。
「警官隊は大慌ての様です。折しもくノ一が現れて混乱している状況だそうで……。指揮官が指揮所に使っている交番に出向いたそうです。まもなく退去するかと」
状況を説明すると電話の向こうから安堵の声が聞こえて来た。
「そうですか、良かった。後は3人……いや、エルナさんもか、4人の保護をお願いします」
騒ぎの渦中に居る3人の他に、イシスの付き人のエルナの保護もフェンリルから命じられた。
「了解しました」
電話を切ると外の様子を見ていた部下が再び報告に訪れた。
「特高警察は引き揚げ始めました、指揮官は悔しそうにしてましたよ」
「そうか」
普段は笑わない大林少佐は僅かに笑みを浮かべながら席を立った。
大方、核開発で人狼側に恩がある陸海軍の上層部が介入して無理やり捜査を辞めさせたのは十分に理解できた。
実際にフェンリルは海野大将など海軍の将校経由に警視総監に圧力を掛けて捜査を打ち切らせた。核開発の協力が得られなければドワーフは窮地に立つからだ。
「目先の事しか考えん連中だ。……港生、行くぞ」
「あ、待ってよ」
大林少佐は弟の港生を連れて竜人街へと戻って行った。




