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毒ガス

〈10分経った〉


 管から何かを流し始めて、10分経ってから襲撃者達は動き始めた。作業にあたっていた数人が列車のドアから離れると、入れ替わるように半自動小銃で武装した5人組が近付いてきた。


〈開けろ〉

 ガスマスクとツナギ状の防護服で全身をスッポリと覆い、外気に一切触れない状態の5人組はドアを開けると銃を構えながら慎重に列車内に入っていった。


 先頭を行く男が列車を縦断する通路を覗き込んだが、瓶や何かの紙容器、スプーンなどが床に散乱しているだけで人の気配はなかった。


「Klar」

 慎重に通路を進み、一番手前側に在るトイレを3人目の男が開け、中に誰か居ないか確認したが此処にも人の気配は無かった。


「Klar」

 同じ様に隣の給湯室も調べられたが、冷蔵庫が開いて食べ物や飲み物がシンクや床に散乱していた。


「Klar」

〈何だ?学生の下宿みたいな散らかり様だな〉


 魔王が乗っている列車の筈なのに、異様に散らかっていた。その割に誰も居ないので4人は周囲に気をやり人の気配を探った……。


〈ん?1人居ないぞ!〉


 列車に入った時は確かに5人居たが、見える範囲に4人しか居なかった。


〈誰だ?誰が消えた?〉

〈番号、1〉

〈2〉

〈3〉

〈4〉

〈5〉


 点呼を取ったが4人しか姿が見えないのに5人分の返事があった。個々人がどの番号を言うかは列車に入る前に示し合わせており、誰かが欠けたりしても自分の番号を言う事になっていた。


〈くそっ〉


 顔を確認しようにも薄暗い車内でガスマスクを付けている状態の仲間の顔は確認しづらかった。


「KP, von KD. Bitte quittung.Kommen」

 無線機越しに外にいる指揮所に話し掛けたが返事がなかった。

〈KP、KD。応答せよ、送れ〉


 ジジジと小さなノイズが入るが返事は入ってこなかった。


「Kommandoposten. Bitte quittung?Kommen」

 3度呼び掛けても返事がなく、無線に話し掛けていた男が外を見ようと窓に近付いたが外まで薄暗いのか何も見えなかった。


「KP, von KD. K.R.Bitttte……」

 緊急事態を報せようと4度目の呼び掛けをした時点で、自分の舌が回らなくなっていることに気付き男はガスマスクのホースを手で確認しようとした。


〈外れてる……〉


 フィルターの部分から無理矢理引き千切られた様に捩じ切れたホースに気付き男は銃を投げ出すと慌てて右胸のポケットに閉まった注射器を取り出そうとした。


〈くせ、しゅった!げどけ剤を!〉

 仲間に助けを求めるつもりで叫んだが視界が濁りだし、仲間の姿がわからなくなってきた。

 胸ポケットに伸ばしている筈の手も、感覚が鈍りポケットを閉じているボタンを外すこともままならなかった。

 終いには息を吸えているのか、立っているのかさえ判らなくなった。





〈5人GBに暴露した、処置を急げ!〉

 列車に突入した部下達から不明瞭な無線が届き、待機させていた他の班が突入すると、5人全員が通路に倒れていた。

 魔王や警護している人物は確認できなかったが、原因が判らないまま内部の捜索は出来ないため倒れている5人を担架で運び出し列車を封鎖した。


〈液体に触れたのか?〉

〈違う、気化したサリンを吸った〉


 マスク越しにライトで瞳を照らしたが、全員が黒目が閉じる縮瞳状態になっており光に反応しなかった。


〈アトロピンは打ったか!?〉

〈未だだ。防護服にサリンが着いてる可能性が有るから処置が出来てない〉


 列車内への散布には危険なサリンそのものをいきなり散布せず、2種類の比較的安全な前駆薬を混合させ散布の直前にサリンにする方式で散布されていた。

 混ざった直後は液体状態のため、車内に気化しきれていないサリンが残っており、それが防護服に付着している可能性が有った。


〈入り口の方へ移せ、そこで処置する〉

〈まて、先にアトロピンを打つんだ〉


 風上ならサリンが飛散していないのは判っていた。だが、倒れた男達が既に吸っていたサリンの症状を緩和するためにはアトロピンを速やかに注射する必要があった。


〈心臓が動いてるか判らんぞ〉


 サリンの神経阻害作用によって既に呼吸はほぼ止まっており、心臓も止まっている可能性が高かった。

〈此処で何もしないよかマシだ〉


 ハサミで防護服を切り裂くと手早く静脈を見つけ解毒剤であるアトロピンを注射し始めた。




「見たか?」

「見た」

 茂みに見せ掛けた草の束を蹴散らし、隠されたレールに沿って進んだ先に在った廃鉱山を見張っていた斥候は廃鉱山の入り口で騒ぎが起きているのを目撃した。


「衛生兵だな。防護服にマスク……。ガスを使ってるな」

 有機リン系の薬剤中毒の治療に使うアトロピンが配られていることと、尋問(・・)した見張りの証言通り何かのガスが使われているのは確かだった。


「VXかな?」

「GBじゃねえの?」


 呑気に毒ガスの種類を話している訳は、情報を吐いた見張りがガスの種類まで知らなかったからだ。一応は簡易的なガスマスクを持っているとは言え、フィルターが有機リン系に対応していない上、皮膚などから毒が回るので大量に散布されている場合は対応しきれない可能性が高かった。


「Hey,guys!応援を頼むべきじゃないか?俺達には荷が重い」

 双眼鏡で見張っていた2人組に他のシークレットサービスの局員が話し掛けた。


「だがグズグズ出来んよ。魔王様が中に居るんだ」

 いくら魔王でも、神経ガスは駄目だろうと考えられた。危険を承知で飛び込むか、魔王と一緒に連れ去られた私兵連中が何とか切り抜けたと期待するか。そんなことを考えていたら、廃鉱山の中から爆風が吹き出てきて辺り一面砂埃に包まれるのが見えた。


「駄目だこりゃ。突入するぞ!」

「おいおいおいおい、マジかよ」


 1人は猛烈に反対していた。


「言っとくけどな、俺の従兄弟はベトナムで撒かれた枯葉剤のせいでホームレスになってたんだ。毒ガスの中に入るのは止めたほうが良い」


「なら、俺達だけで行く。ウラー!」

「「「「ウラー!」」」」

 米海兵隊式の鬨の声を合図に、シークレットサービスの局員の殆どは簡易式のガスマスクを被り廃鉱山に向かった。

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