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日常茶飯事

「南岸一帯は広大だ。パオロ、湿地帯の状況はわかるか?」

 魔王の邸宅から総軍司令部に通じる地下通路に入るなり、アルトゥルは切り出した。


「ああ、調べてある。干拓地に牧草地。まるでアルンヘムみたいだ」

 南岸一帯は起伏は殆どないがジュブル川が運んだ泥や砂で出来上がった湿地帯が広がっていた。ファレスキの南街近くの農場に住んでいたアルトゥルはその事をよく判っていたが、アルターが入植事業でどの程度開発しているかは判らなかった。


「南岸地帯に行くのか」

 リーの背中から飛び降りながらショーンは呑気な様子で聞いてきた。


「ああ、ドワーフの艦隊が行方不明になって、第2師団の元日本人達が怪しい動きをしてるらしい」

「ピウスツキ卿やハイム坊も?」

 ショーンは仲間内で呼び合っている呼び方でピウスツキ卿の息子のハイムの名を呼んだ。


「いんや、クシラ騎士団は動いて無えって。ジェームズ、お(めえ)部隊で夜間降下の訓練をしておいてくれ」

「このタイミングでですか?」

 ジェームズは第3師団の中でも選抜された部隊の指揮を任されていた。だが、ジェームズを含め部下の多くはヘリコプターでの作戦は経験が有ったが空挺降下は転生してから訓練で2,3回行った程度だった。


「ああ、ホントは戦闘大隊全隊でやりてえが、竜が足りねえ。お前の中隊だけでも海兵隊と訓練しといてくれ」

 アルトゥルは隣を歩く海軍作戦部長を左の親指で示した。

「早速今晩から飛ぶが、大丈夫かね?」

「望むところさ」

 転生して女性になったので、普段は男言葉を使わないようにしているジェームズだったが、海軍作戦部長には、男言葉で返事をした。


「後そうだ。元FBIや元国家安全保障局(NSA)の連中と連絡(つなぎ)を付けてくれ。他にドワーフ側につく動きがあるか知りてぇ」

 アルトゥルはパオロに情報を集めるように指示した。2年前に右腕を失ったせいで前線に出れなくなったが、情報保全隊を任せているパオロはかなりやりての情報士官になっていた。

「元CIAや元国防情報局(DIA)の連中にも声を掛けるか?」

「頼む。だが、外国機関(アメリカ以外)には知られるなよ」





「ああ、くそ……」


 狭い商店の防空壕で、白い陶器のマグカップに入れたコーヒーを飲みながらライネはイライラしていた。

『現在、敵艦隊はファレスキの南西部を進んでおり……』


「なんでドワーフが急に動いたんですかね?」

「あ゛あっ?」


 売り物のテニスボールを持ち出し、壁に投げていたエドの一言にライネは不機嫌そうに顔を向けた。


「いや……。だってそうでしょ?うち等のお嬢(魔王)様はドワーフに縄張りを荒らされるとスッゴクぶち切れてる。今回もきっと、ドワーフの大使相手に怒鳴り散らしてますよ」


 2年前に飛行艦“吾妻”がケシェフに飛来した際に魔王が激怒し、現在海軍で使っている飛行艦を輸出するようにゴネた事は有名だった。

 その後、ドワーフの杉平幕府と軍事協定やら作戦地域の区分割やら、決められ。元人狼の領地に軍を動かす時は、事前に魔王の許可が必要になっていた。


「奥様から何か聞いてないんですか?」

 ライネが不機嫌になっている事に気付かず、新聞に載っていたクロスワードで遊んでいたジョージが軽口を叩いた。


「だったら何だ?」

 ライネが素っ気無い返事をしながら、金属製のポットに入ったコーヒーを注ぎ、乱暴に机に置いたので恐る恐る顔を上げた。普段は感情をあまり出さないライネが珍しくイライラしているとは思わなかった。


「お嬢と奥様、毎週末会ぁってますよね?」

 ライネに殺されると思い、ジョージは言葉を上ずらせた。


「待った!」

 ビリーが立ち上がり、天井に目を向けた。


「誰か居る!」


 地上の商店から下水道に汚水を流す汚水管が防空壕の端を通って居たのだが、その汚水管の中に汚水が流れる音がした。


「ビリー、来い。エドとジョージは残れ」


 ライネとビリーは階段を駆け上がり、商店に上がった。


「なあ、大佐すんごいイラツイてないか?」

 ジョージは神経質そうに髪を手で梳きながらボヤいた。

「任務前から何か神経質だよな」




〈うちの旦那なんて、近所に住んでたのよ。近くの学校でヴァイオリンを教えてて〉

 デスクの上に茶菓子を広げながら事務員に雇った女性達が談笑していた。


〈しばらく気付かなかったわね。だけど、あの人が前世の癖でヴァイオリンの手に持つ前に指のストレッチをするから判ったの〉

〈あるよねー。私の弟もズボン履く時に変な風に跳ね上がるんだけど〉



〈此処で何をしてるんだ?〉

 従業員達が寛ぎ談笑しているで、奥から現れたライネは驚いた。

〈警報が出てるでしょ?なんで出勤して来たの?〉

 ビリーにも質問され、その場に居た10人全員、顔を見合わせた。


〈ただの警報ですよ〉

〈真に受けてたら、何も出来ませんよ〉

 全員が全員、呑気なのでライネは頭を抱えた。


〈警報は多いのか?〉

〈まあ、ここまで長いのは珍しいですけど〉

〈週に何度か有りますね。竜が飛んできた時にも出ますし〉


 空襲警報の半分以上は南の大森林やトビー山脈に済む野生の竜種を竜騎兵と誤認して出される物だった。それが2,3日に一度は出るので、住民の殆どは空襲警報に鈍感になっていた。


〈だが、今回はドワーフの艦隊だろ?気にならないのか?〉

 ラジオや拡声器でドワーフの艦隊だと繰り返し放送されていた。


〈でも、攻撃してくるなら、とっくにしてますよ?〉

〈……君達は兵隊じゃないだろ!勝手に判断して危険な目に会ったらどうするんだ?こういう時は出勤してこなくて良い!〉

 ライネが怒鳴ったので女性従業員達はビックリして固まった。尻尾は膨らんでおり、耳も立っていたので完全に怒っているのは明白だった。


〈ああ、つまり。何が起こるか判らないんだ。ほら、全員地下に行って〉


 ビリーが困惑する女性従業員に地下に行くように促し、この場をなだめようとした。

〈コーヒー有るし、チョコも自由に食べていいから〉


〈ねえ、どうしたの?〉

 マルターに耳打ちされ、ビリーは横目でライネの方を見た。

〈社長は前世で家族を無くしてるんだ。連合国の爆撃でね……〉

〈あぁ……〉


 神経質そうに右の耳をパタパタと振りながら振り向いたのでマルターはそそくさと地下に向かった。


 女性従業員全員がその場を去ってからライネはビリーに近付いてきた。

〈……やりすぎじゃないですか?〉

 先程までの様子と違い、笑顔で尻尾を振るライネにビリーは笑顔で返した。

〈名演技だったろ?〉

〈ホントは演技じゃないでしょ?〉

〈まあ、な〉


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