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艦隊対黒竜

「聞こえるか?」

 ガラス製のコップを執務室の扉に当て、中の様子を盗み聞きしようとショーンは四苦八苦していた。


「いや、全く駄目だな」

「聴診器は持ってないのか?」

 リーの質問に、ショーンは目を泳がせた。


「あー……馬車に置いてきた鞄の中だ」

「……お前、軍医なのに手元に道具無いの?」

「結構、魔法で事足りるんでね。おっと」


 廊下の角から見覚えの有る金髪の女性が現れ、ショーンは慌ててコップを背中に隠した。


「あら、ライバック大尉」

 人間のリーゼだった。破傷風のワクチン接種でショーンと面識が有ったので、笑顔を見せ近付いてきた。


「やあ、リーゼ。元気かい?」

 対するショーンは顔が少し引き攣った。


「ええ、元気ですけど。……何を隠したんですか?」

 元々アルター側の工作員だったリーゼは観察力が鋭く、ショーンが咄嗟に隠したガラスのコップを見逃さなかった。

「何がだい?」

「ガラスのコップを使って盗み聞きしてましたよね?」

「いや、何も持ってないよ。ほら」

 

 大きく手を広げ、何も持っていない事をリーゼに見せながら、ショーンは作り笑いで誤魔化そうとした。


「リー少佐に渡しましたね?」

 投げ渡した事を言い渡され、リーとショーンは固まった。

「……ああ」

「その」


 リーの馬の背に乗せておいたコップをリーゼはつまみ上げた。

「あの」

 ショーンが答えに窮していると、突然執務室の扉が開き、アルトゥル達が出て来た。


「師団本部に戻るぞ!やあ、リーゼ。今日も美人だな」

 足早に執務室から出て来たアルトゥルがリーゼの肩を叩き、ジェームズやパオロ達と地下通路の方へ向かって歩きだした。


「じゃ、また」

「ちょっと!」

 ショーンが全力疾走するリーの背中に乗り、アルトゥルの去った方向に逃げた。





「右前方、下方より黒竜接近」

「面舵」

「おもーかーじ」


 複縦陣の右側、旗艦の吾妻が回頭を始め、左隣りの箕島と後方に続く駆逐艦も後に続いた。


「面舵20度」

「針路040」

「針路040宜候(よーそろー)


 一晩中、アルターが占領しているジュブル川の南岸でデタラメに飛行を続け。夜が明けてからは雲に隠れながら飛行を続けていたが、時折地上から偵察の竜騎兵が接近していた。


「宜候040度」


「黒竜の詳細は判るか?」

 当直交代で騒がしい戦闘指揮所(CIC)に提督の声が響いた。

「人民軍地上軍所属です。0653に接近してきた黒竜と同一と思われます」


 提督は応急指揮用の操作盤の上部に設置された時計に目を移した。

 人狼の第2師団に所属する竜騎兵も時折近付いては来るが、あちらは比較的小柄の緑竜を用いていたので、艦隊の速度に着いてこれ無いので問題ではなかった。だが、アルター民主共和国の人民軍で運用している黒竜は速度が早く、4時間以上も追跡を受けていた。

「艦長、増速だ、離隔を試みる」

「両舷第3戦速」


「両舷第3戦速!」

『両舷第3戦速!』

 艦長が第3戦速への増速を下令し電話員がマイクで艦橋に伝令すると、直ぐに復唱が返って来た。


「両舷第3戦速!」

 赤外線通信装置に配属されていた電話員が艦橋と戦闘指揮所の通話を無電池電話で聞き、増速指示が出たことを伝えた。


「*動揺に注意しろよ」


*動揺:艦の揺れのこと


 3人掛かりで艦の動揺に合わせハンドルを回し、後続の駆逐艦“夏雲”の艦橋に照準を合わせた。

 通常の信号灯を使うと肉眼で確認されるので、指向性の強い赤外線を通信に用い後続に増速の事を通報するためだ。


 慣性の法則で艦尾方向に引っ張られる感覚があり、提督を含め乗員の何人かは速度計で速度を確認した。

 一気に時速150ノット(277Km)に加速したので、黒竜を振り切れると考えたが。

「黒竜は?」


「……距離変わらず。追跡してきます」

 艦隊が加速したのにも関わらず黒竜が着いてくるとは。提督は今後の事を考え始めた。


「駆竜艇3号と4号で追い返す。艦長、艦隊を雲へ」

「はい、提督……。ダウン15!高度3500!」


「ダウン15!高度3500!」

「ダウン15!高度3500!」

 航海科員が操縦桿を押し込むと、船体が前方に傾斜し始めた。

 改装前は昇降舵、方向舵、補助翼を動かす専門の乗員が居たが、改装で飛行機と同じく1人で操艦出来るように改装されていた。




「“吾妻”降下、ダウン15、高度3500!」

「ダウン15、高度3500、急げ!」


 隣を行く“箕島”の乗員は“吾妻”が降下を始めると通報を受け、自艦のCICにその事を報告した。




『降下を開始したぞ、記録は?』

 艦隊の行動を追う人民軍の竜騎兵は、手綱を握る竜騎士と後部に座る偵察員の2人乗りだった。


『バッチリだ』

 呼吸用のマスクに内蔵された有線の通信機越しに偵察員が返事をした。彼は記録用にカラー写真と白黒フィルムだが動画の撮影を担当していた。

挿絵(By みてみん)


『くそ、雲に逃げるか。追うか?』

『いや、危険だ。上にまわる』


〈上がれ〉

 竜騎士が命ずると、黒竜は一気に高度を上げた。




『出て来た、下だ!』

 竜騎士が左下方を指差した。

 雲の切れ目から、飛び出てきた艦隊が猛スピードで北東方面へ飛行していた。


『距離が空いたな』

『降下した分、加速したんだ。記録は撮れてるか?』

『ああ、撮れてる』


 偵察員は先頭の巡洋艦2隻、駆逐艦4隻と順番にカメラ2台を向けた。


〈おい、どうした!?〉

 黒竜が首をソワソワと動かしたので竜騎士は首に手を当てた。

〈後ろ?〉


 人民軍で扱う黒竜は周囲に以上が有ると首を曲げて竜騎士に異常を知らせるように訓練されていた。

〈何もないぞ?どうした?〉


『おい、駆竜艇が減っている。2隻しか居ない!』


 偵察員の声が通信機のインカムから聞こえ、竜騎士は艦隊に視線を移した。


『離れるぞ!掴まれ!』

『うっ!』


 竜騎士は黒竜の右の手綱を引き黒竜を右前方に降下させた。


(W-)(Jagd-)(Boot)だ!』

 黒竜の左側。駆竜艇が雲を突き破って出て来た。




『右!黒竜!近い!』

 5人が入るのがやっとの狭い艦橋に伝声管の声が響いた。

「追うぞ!」

「了解!」

 艇長の指示で、操縦桿を握る操舵員は操縦桿を右に倒し、方向舵を動かすフットバーを右に踏み込み駆竜艇を大きく右にロールさせた。



『頭を抑えられる!一気に降下するぞ!』

 ロールしながら頭上に回り込んで来た駆竜艇の銃座に座る乗員と目が合い偵察員はカメラを彼に向けようとした。

 だが、大昔の爆撃機のように連なる駆竜艇の連装機銃がコチラに指向したのに気付いた竜騎士が更に黒竜を降下させようとした。


『っ!クソ!もう1艇来た!』


 逃げようとした、右下方の雲からもう1艇、駆竜艇が飛び出し発砲してきた。




「もらった!」

 狙い通り黒竜が目の前に居たので艇長が叫んだ。


 竜騎士が右に避ける事を予想して、回り込むように艇を動かしたのが見事に予想が当たった。



『いっ!』

 銃撃を避けようとした黒竜が急に左後方に動いたので、偵察員はカメラを手から落としたが。

『ぬああ』

 手首に結び付けていた紐で、カメラを紛失するのはなんとか防げた。だが、慣性で10キロ近く有るカメラが大きく振られ、右手腕が脱臼した。


 脱臼した腕の先で、カメラが空中を舞うのを目で追ったが、曳光弾が脇を掠めカメラが破壊されないかの方が心配だった。


『落ちるぞ!』

 上に回り込んだ駆竜艇の銃座が火を吹き、黒竜が身体を縮こませた。




「黒竜落ちます」

 艦橋から黒竜が墜落すると報告が入り、提督は海図台の地図に目を向けた。


「雲の上を通り、ジュブル川に向かう」

「了解。船務長、雲の位置は?」


 船務長は半透明のトレーシングペーパーに天気図を描き込んだものを海図台の上に広げた。


「北に進むと、かなり上流まで雲が広がっているそうです。予報では2,3日は漂っているそうです」


「……間に合うな」

 艦長はデバイダーで大まかな飛行時間を確認した。


「取舵」

「とーりかーじ!」

「とーりかーじ!」


「針路000宜候」


「針路000宜候!」

「針路000宜候!」



〈うっ!〉

〈おえっ!〉

 地面を目の前にして、黒竜がいきなり減速し、乱暴に地面に着陸した。


〈ふぅ!はあ……はあ……〉

 偵察員は無事だった左手で乱暴にマスクを脱ぐと、濃い草の匂いが鼻腔に広がった。


〈無事……じゃないな……〉

 ベルトを外し、鞍から飛び降りた竜騎士は偵察員の右腕を見て呟いた。


〈いや、無事だよ。バッチリ撮れた〉

 偵察員は紐の先に結ばれたカメラを左手で持ちながら答えた。

〈相手の乗員の顔も写ってるかも〉

〈そうかい……ハハハッ〉


 九死に一生の体験をしたことに実感が脇、竜騎士は鞍に身体をもたれ掛かり、偵察員は泥のように鞍の上で前屈みで倒れた。


〈暫く休憩したら帰ろう。コイツも休ませないとな〉

 心配そうに長い首を回し、顔を近づけた黒竜の顎を撫でながら竜騎士は提案した。

〈ああ、コイツのお陰で助かったからな〉

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