停戦交渉開始
『イシス様とアデルハルト国家評議会議長が人民宮殿に到着しました。これから停戦に向けた交渉が……』
「向こうは始まりましたね」
デイブと共に長浜へ向かう列車に乗り込んだ随行員はラジオから流れるニュースを聞きながら呟いた。
「どうなるもんかね」
デイブはコーヒーを一口飲みながら返事をした。
「今回は何も決まらないんじゃないか?」
デイブは停戦交渉に対し冷ややかだった。
そもそも、人狼。ヴィルク共和国内で世論が完全に割れており、何を交渉の目標にするのかさえ、イシス達交渉団を送り出した議会では決まっていないのだ。
世論の半数を占める継戦派は、占領されたファレスキ一帯を武力で取り戻すために停戦交渉自体に反対し、今回の交渉団を派遣すること自体最後まで反対していた。
莫大な軍事予算と引き換えに一時的な停戦交渉は継戦派の議員達から引き出すことには成功したが。
「足元を見られるだろう。次回の交渉が決まれば御の字だろうな」
「まあ、そうですが」
実際に停戦まで漕ぎ着けるか。アルター人民共和国側もその事を重々承知で条件を着けてくるだろう。
「では、記者の方々はここで」
〈記者は退出してください〉
イシス達交渉団とアデルハルト国家評議会議長達との和やかな歓談の様子を取材していた記者達は退出させられた。
これから本交渉が始まるのだ。
〈さて……〉
記者達が退出し、交渉が行われている会議室が密室になるとアデルハルト国家評議会議長が切り出した。
〈先ずは停戦期間中の国境線につきましては〉
「停戦条約発効後の国境線についてです」
アデルハルト国家評議会議長の言った事をアルター人民共和国側の通訳が通訳した。
〈ティルブルクから東方50キロに幅30キロの非武装地帯を置き、その中心15キロの地点を暫定的な国境線と〉
「ティルブルク市から東に50キロの場所に幅30キロの非武装地帯を設置し、その中心地点を暫定的な国境線に」
「それで構いません」
〈…!?それで構いません〉
まさか、イシスが承服するとは思っておらずアルター人民共和国側は驚愕した。
先に行った四者会談で、魔王と列席していた停戦派のマリウシュ議長が難色を示していた内容だった。
おそらく交渉が決裂するだろうと思っていただけにイシスの即決にアデルハルトは通訳の間違いでないかと、自国側の通訳の方を横目で見た。
「暫定的な国境線はその位置で構いません」
〈一時的な国境線は其処で構いません〉
翻訳に間違いないことをアルター側の通訳が目で合図した。
動揺しているのはヴィルク共和国側も同じようだった。ヴィルク共和国の随行員達も互いに目配せしていた。
〈……では、次に停戦期間についてご提案が〉
「次に停戦期間についてです」
何か裏があると、アデルハルトは直感で感じたが予定通り交渉を続けることにした。
「無期限でよろしいでしょうか?」
〈……無期限でいいでしょうか?〉
〈っ!〉
こちらが“無期限”での停戦を提案する前に、イシスが先んじて提案してきたのでアデルハルトは本能的に危険を感じた。
〈ええ、構いませんが〉
無期限での停戦。アルター人民共和国側から提案する事を事前に決めていたが、それをヴィルク共和国側から提案されるとは思っても居なかった。
こちらの情報が筒抜けなのか?だとしても、なぜそれが判る形で交渉を続けるのか?いや、交渉らしい交渉は一切無い状況が不気味だった。
「大量破壊兵器について、こちらから提案が」
〈大量破壊兵器について提案があります〉
次にイシスが大量破壊兵器について口を開いたのでアデルハルトは確信した。
「核、化学、生物兵器の使用禁止についてコチラから提案いたします」
〈こちらから核、化学、生物兵器の使用禁止を提案いたします〉
アルター側の懸念事項である大量破壊兵器。それの使用禁止についてイシスが提案してきたのだ。
既に5年前の時点で旧ヴィルク王国……現ヴィルク共和国で核開発が進行中だと情報が入り、アルター側は開戦を決意した。その後、断片的にでは有るが核開発の情報を諜報機関が入手してきており、アルター人民共和国でも核開発を急いできていた。
〈使用禁止との事ですが〉
「使用禁止についてですが」
アデルハルトは慎重に言葉を選んだ。今回の会談に臨む前に閣僚達と事前に話し合った懸念事項についてことごとく話題が移るのだ。やはり、情報が筒抜けなのか?
〈保有、開発について禁止するつもりはないと、そう受け止められますが?〉
「開発と保有については禁止しないと受け取れますが?」
「開発と保有に関しては、既にマルキ・ソビエト領内に持ち込まれたであろう核兵器の廃絶が困難と考え……えー……」
〈開発と保有に関しては、既にマルキ・ソビエト領内に持ち込まれたであろう核兵器の廃絶が困難である状況を鑑み、保有及び開発は〉
〈?〉
アルター側の通訳が何かおかしいことに気づいた。
「保有及び開発は禁止すべきで無いかと。……平和目的での核開発など」
〈保有及び開発は禁止すべきで無いかと。平和目的での核開発など〉
(通訳の方が早い?)
「また、検証可能な第三者機関など不在のため、あくまで使用禁止に拘るべきかと……」
〈あくまで使用禁止に拘るべきかと〉
ヴィルク共和国側の通訳がイシスの発言より先に僅かに早く翻訳していることに、アルター側の通訳が気づいた。




