朝食
「ソ連の原子力潜水艦が自沈しました」
杉平幕府の艦隊司令部に春風からの報告が響いた。
「自沈?だと?」
当直の航空幕僚は電報を受け取ると中身を熟読し始めた。
「……アンヴィルがソ連の原子力潜水艦を攻撃。その後、自沈した、か。5分前……。この電報をヴィルク共和国に回してくれ」
「はい」
杉平幕府の艦隊司令部が事の顛末を把握するまで5分程、時間差が出る。
現場の春風が状況を電報に書き起こし、送信してくるのにどうしても時間が掛かるからだ。
更に、杉平幕府の艦隊司令部経由でヴィルク共和国側に通報されるが、ヴィルク共和国の国務省と国防総省に届く頃には更に時間が掛かる。
ヴィルク共和国の魔王の元に届くには早くても20分は掛かるのだ。
「春風からです」
「ああ、ありがとう」
現場の春風から、更に別の電報も届いた。
「……ふぅー」
“ソ連の原子力潜水艦の乗員達が救助を求めているので、救助活動を開始する”と。
「次から次と……」
たまたま、当直で艦隊司令部に居る時に、こんな面倒事が襲い掛かって来たので航空幕僚は参っていた。
他の幕僚達も事態を聞き付け出勤してきているが、作業の多さに忙殺されていた。
「司令官入られます!」
副官がそう叫ぶと海野大将が司令部に入室してきた。
「いやいや、どうなった?」
入ってくるなり、海野大将は開口一番、航空幕僚に尋ねた。
「ソ連の原子力潜水艦が自沈しました」
「自沈!?アンヴィルがやったのか!?」
公用車で移動中、報告が入っていない間に事態がそこまで進んでいることに海野大将は驚いた。
「はい、どうやらアンヴィルの魚雷攻撃で損傷し、総員離艦した模様で。ソ連原子力潜水艦から救難信号を受けたと春風から報告も受けています」
「……そうか、現場判断で救援活動は始まっているのかな?」
「はい、開始すると電報を受けています」
そう言うと、航空幕僚は板ばさみに挟んだ電報を海野大将に差し出した。
「……ふむ……ガイガーカウンターは春風に積んであるかね?原子力潜水艦相手となれば放射能汚染の危険性も有る」
「確認します。それと、長浜から飛行観測艇を派遣中です」
大気中の放射線、放射性物質の検知器を搭載した飛行観測艇を航空幕僚は既に派遣していた。
万が一、放射能汚染が現場海域で起きた時の対策だった。
「アンヴィルからの電報です」
通信員が板ばさみに挟んだ新たな電報を持ってきた。
「ありがとう」
海野大将が目を通すと、アンヴィルから長浜寄港についての問い合わせだった。
「アンヴィルが長浜に入れる時間を知りたがってるな」
海野大将は少し考えた。
アルトゥル達がアンヴィルに乗っているドナルド・ハーバーを一目見たがっている。
カミンスキー夫妻の前世の息子だからだ。
そして、アルトゥルは第3師団長と言う立場上、あまり長い時間、杉平領に滞在している現状は解消したほうが良かった。
状況を考えると直ぐにでも入港してもらいたいが。
「可能な限り、早く入港させたいが何時には入港できそうだ?」
「入港は何時でも可能です」
長浜の軍港では何時でもアンヴィルが入港できるように準備が整っていた。
「では、何時でも入港可能だと電報を打ってくれ」
「了解しました」
「ふっ……ふぁあ〜〜〜!っしょ!」
アルトゥルは掛け布団を払いのけると、壁に掛かった振り子時計の文字盤を確認した。
「7時か」
隣の布団を見るとドミニカの足が布団から飛び出ていたので、アルトゥルはそっと掛け布団を直した。
「……便所行くか」
アルトゥルは襖を開けると離れのトイレに向かった。
「あら、ロンさん。おはようございます」
ふと、離れの庭に面した廊下を進んで居ると後ろから話し掛けられた。
「おはようございます、渚さん」
海野大将の妻、渚が立っていた。
着物姿で、綺麗な簪をしているのでアルトゥルは思わず見つめてしまった。
「朝御飯の用意が出来ました」
「有難うございます、すぐ向かいます」
アルトゥルがそう言うと、渚は振り返り本邸の方へと歩いて行った。
(やっぱ米かな。懐かしいなあ)
トイレに入りながら、アルトゥルは朝御飯の内容を考えていた。
(いや、意外とパンかも知れねえな)
前世で海野宅に泊まった時にパンが出てきた事も有ったのをアルトゥルは思い出した。
あの時は、渚さんが焼いてくれた手作りパンで、中々美味しかった記憶がある。
(ま、楽しみだなあ)
アルトゥルは離れに戻るとドミニカを起こし、姿見を見ながら浴衣を着直すと2人で本邸へと向かった。
「あれ?順ちゃんは?」
朝食の席に海野大将が居ないのにアルトゥルが気付いた。
「あの人なら、朝早く艦隊司令部に向かいましたよ」
全員の茶碗に米を盛りながら渚が答えた。
「ふーん……」
クーデター事件後で色々とドタバタしているだろうから、海野大将が急に呼び出されたとしても不思議はないだろう。
そう思いながら、アルトゥルは目の前の御膳に目をやった。
「あ、トビマスの切り身にキャビアか」
空飛ぶ鱒、トビマスの切り身とトビマスのイクラの醤油漬け、それに大根と胡瓜の漬物が膳に乗っていた。
「2人共来てたか。おっ、鮭にイクラか」
コヴァルスキ大将も起きてきて、朝食の内容に驚いた。
「ヴィルク共和国じゃイクラは食わんからなあ。有り難いのお」
トビマス自体はヴィルク共和国でも食べられるが、魚卵は捨てられ市場に出回る事は殆どなかった。
一部で塩漬けにされ、赤キャビアとして瓶詰めで売られているが一般的では無いのだ。
転生者の一部を中心に人気は有るが、非転生者は食べないので希少価値が高い。それが、大きな鉢に盛られているのでコヴァルスキ大将の気持ちは踊った。
「ほんと、久しぶりね」
ドミニカとコヴァルスキ大将が米が入ったお茶碗にイクラの醤油漬けをこんもりと盛る横で、アルトゥルは少しだけよそっていた。
「ん?アルトゥル君、あんま食わんのかね?」
「あー、その嫌いじゃねえんすけど。ちょっと……」
熱々ご飯と魚卵の組み合わせはアルトゥルに取って苦手では無いが少々ハードルが高かった。
しっかりと処理されており、生臭さは殆どないが、やはり馴れてないのが大きかった。
少しだけ食べると、アルトゥルはトビマスの切り身の方を突き始めた。
「まあ、ナマモノだからね」
「失礼します」
急にお手伝いさんが襖を開け現れた。
お手伝いさんはアルトゥル達の方に一瞥すると深々とお辞儀をした。
「旦那様より伝言です。9時に迎えの車を送るので御三方は艦隊司令部に来て欲しいと」




