救難信号
『ジリリリリリリリリリリ!』
「あなた、電話よ!」
自宅の寝室で寝ている海野大将は片目を開けてから、顔を擦った。
「代わりに出てくれ……」
「だめよ。ほら、赤電話が鳴ってるんですよ!」
「うん!?」
赤電話。
艦隊司令部との直通電話で非常時に使われる電話だった。
海野大将は慌てて布団から飛び起き、赤電話に飛びついた。
『ジリリリリリリリリリリっ!』
「もしもし?」
クーデター騒ぎの直後だが、“よっぽどの事が起きない限り自宅に連絡する必要は無い”と部下達には言っていたが。
『海野大将、当直の航空幕僚です。朝早くにすみません』
海野大将が時計を見ると時刻は午前5時前だった。
「構わん、どうした?」
今日はカミンスキー中将夫妻とコヴァルスキ大将を案内するために、午前中は休みの予定だったが。
『緊急事態です。米海軍のアンヴィルがソ連の原子力潜水艦アクラ級の襲撃を受けています』
「……うん!?ああ、そうか」
妻の渚が寝室から出るのを待ってから、海野大将は口を開いた。
「ソ連の原子力潜水艦が?領海内か!?」
『いえ、領海外です。現在、春風と駆竜艇3隻で対潜哨戒を実施中です』
領海に入っていない状況で撃沈することは憚られる。かと言って、アンヴィルが襲撃されているのを見過ごす訳にもいかなかった。
『今、緊急で通信が……春風とアクラ級が一時的に交戦。春風が魚雷による攻撃を受けたそうです。が、春風の手前で魚雷が自爆したそうです』
だが、既に現場では交戦が始まっている状況だった。
こうなってしまえば、どうしようも無かった。
「……可能な限り、駆逐艦を現場に展開させてくれ。攻撃は引き続き現場判断で行わせてくれ。私もすぐ向かう」
だが、杉平幕府の水上艦で出来ることが有るかと言えば微妙だった。1982年のフォークランド紛争で、水上艦は原子力潜水艦に一方的に狩られる存在だと露呈していた。
『了解しました』
「防火斧を持って来い!」
総員離艦が決まったカサートカでは乗員達が持ち場の機材を破壊する作業に追われていた。
破壊と言っても、スレッジハンマーは防火斧で装置の基盤を叩き割り、使い物にならないようにするだけだった。
「此処らの水深は1500メートルも有る。総員離艦後に自沈させてもサルベージされる恐れは少ないだろう。だが、念には念を入れたい。魚雷を自爆させる事は可能か?」
発令所に集まった機関長以外の士官達を前にカサートカの艦長は水雷長に聞いた。
「不可能です。その様に魚雷を使うことは想定されていないため……」
「っ!艦長!ロサンゼルス級が放った3本目の魚雷が接近中です!」
破壊作業をせずに聴音作業を続けていたソーナー員が叫んだ。
「距離は!?」
「約4000。最接近距離は約1000です!」
微妙な距離感だった。もしも起動し捜索モードに入れば、カサートカに向かってくる可能性があった。
「魚雷を射ち込みますか?」
「いや、時間がない。……欺瞞剤はまだ射出可能か?」
「可能です」
現在、カサートカは深度200メートルから徐々に浮き上がりつつ有る。ならば、欺瞞剤を射出し、魚雷の耳を欺くべきでは?と、艦長は思い至ったのだ。
「欺瞞剤射出だ」
「欺瞞剤射出」
「艦長、目標のアクラ級原子力潜水艦。完全に沈黙しました!機関停止中です!……高圧空気の放出音が聴こえます。メインバラストタンクを排水している模様!」
アンヴィルのソーナー員の報告で発令所内の緊張感が緩んだ。
「前進微速」
「前進微速」
「前進微速」
アンヴィルの艦長は艦を減速させると次の指示を出した。
「副長、艦をアクラ級の後方に付けろ」
「了解、艦長」
「艦長、まだ4番が航走中です。的艦の手前3000ヤードを通過中」
4番発射管から放った魚雷がまだ、目標に向かっていると聞き、艦長はソーナー員の傍にまで歩み寄った。
「水雷、最接近距離は?」
「約900ヤードです」
「マズイ、な……」
既に目標のアクラ級原子力潜水艦は停止しているが、それに魚雷を射ち込む形になってしまう避けたいが……。
「ワイヤーケーブルは切断されています。どうすることも出来ません」
水中ミサイルを避ける際に、ワイヤーケーブルが切れてしまい、4番の魚雷に指令を送ることはもう出来なかった。
「目標、欺瞞剤射出」
ソーナー員が、欺瞞剤が射出された事を報告したが、アンヴィルの艦長は押し黙った。
「艦長、3本目の魚雷、最接近距離を通過……ロードップラー離隔していきます」
カサートカのソーナー員が、魚雷が遠退く事を報告した。
「起動はしていないのだな?」
「今のところは」
カサートカから魚雷は離れつつ有る。危機は脱したのだろうか?
カサートカの艦長は暫く考えた。
「艦長、間もなく浮き上がります」
「……救命ボートを使えるな。離艦作業はどのぐらい進んだ?」
「後は発令所だけです、艦長」
既に発令所以外の機械類は破壊作業が終わってると聞き、艦長は発令所内をゆっくりと見渡した。
「よし、破壊しろ」
「はい、艦長」
防火斧を受け取ったソーナー員は、斧を暫く見つめると席から立ち上がり、自分が着いていたソーナー卓に防火斧を振り降ろした。
「救命ボートの用意は?」
「展張終わりました」
浮上したカサートカの上甲板に出たカサートカの艦長は副長に状況を尋ねた。
「艦長、機関科員がまだ脱出出来ないそうです。浸水がまだ続いていると」
「……持ち場を離れるように言ってくれ。艦は自沈する。……ミーシャ!自沈作業をする間、乗員達を頼む」
遅れて上甲板に上がってきた政治将校に艦長はそう言ったが政治将校は断った。
「そうはいかんぞ、彼等は君の乗員だ」
「艦内タンクのベント弁を開くまでの間だ。私達はレスキュー・チェンバーで脱出する」
沈み始めればハッチからの脱出はできない、そうなれば艦橋セイル内に装備されたレスキュー・チェンバーを使わざるを得なかった。
「危険だぞ」
「覚悟のうちだ」
「艦長、アクラ級原子力潜水艦が浮上しました!」
春風の見張員が浮上したアクラ級に気付いた。
「発光信号です!救援を求めています!」
「如何しましょう?」
艦長の横で双眼鏡を覗き込んでいた副長が尋ねた。
「両舷原速。近付くぞ。砲は指向させるな」
「了解しました」




