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開店準備

〈マルター・ゼーテさん…現世では16歳と……〉


 市から借りた真新しい商店の事務室で、ジョージとエドは従業員の採用面接をしていた。


〈前世は……東ドイツで経理の仕事をされていたようですが、タイプライターの経験は?〉


 ジョージは事前に書いてもらった履歴書と、面接中の若い人猫の女性を交互に見た。午前中だけで40人近く採用希望者が殺到したが、タイプライターが扱えるのは彼女が初めてだった。


〈ええ、あります。20年以上、経理の仕事をしていたので暗算も得意です〉


 履歴書に書いてある限りでは、前世は東ベルリン在住で、東ドイツの国営企業に勤めていたそうだ。


〈12掛ける12は?〉

〈144です〉


 女性が即答したのでジョージは続けて質問した。


〈26掛ける2足す98掛ける0足す2掛ける1は?〉

〈54です〉


 引っ掛け問題にも即答したので、暗算は問題無さそうだった。


〈では、タイプライターを用意しているので、この例文を打ち込んでみてください〉

 席を立ったエドは適当に書いた作文を彼女に差し出し、脇のデスクに置いてあるタイプライターを指差した。


〈はい〉


 女性はA4用紙をタイプライターにセットすると、紙を送りだすダイヤルを回し、文字を打ち始めた。


〈……〉


 最初は感覚を確かめるように、慎重にキーを押した女性だったが、3行目を打ち始める頃にはキーを見ずに手慣れた手付きで打ち始めた。


〈問題ないな〉

〈ああ〉


 スラスラとエドが用意した作文を手で打ち直し、女性はA4用紙をタイプライターから取り出した。


〈終わりました〉


 受け取ったエドが確認すると、一字一句間違えなく作文を打ち直せていた。


〈……問題ないですね。明日から来れますか?〉

〈はい、お願いします〉




〈雑貨や食料品だけでなく、機械修理にも手を出したいんだ。判るだろ?ここは軍の街だ。アンドロイド、銃、大砲、雑多な牽引車両。軍の整備部隊だけじゃ手を焼くに決まってるから、我々が修理工場を経営して軍に保守点検サービスを提供するんだ〉


 部下2人に従業員の採用面接を任せている間、ライネはティルブルク市に住んでいる元鍛冶職人達を従業員に引き抜こうと、彼等の自宅を訪れていた。

 今は街の公営住宅に出向き、失業中の人間の元鍛冶職人に説得していた。


〈そうは言うが、人民公社がやるだろ?俺達が入り込む余地はあるのか?〉


 社会主義国家のアルター民主共和国で、国営の人民公社以外の形態の企業は未だに存在していなかった。


〈東ドイツやソ連と同じ様に考えるのは判るが、今は戦争中だ。人民公社だけじゃ手が回っていない。それに、党の方針では完全な計画経済ではなく、既存の商会や新興の私企業の活動も認めるそうだ〉


 つい2年前まで神殿を中心とする王制だった影響もあり、アルター民主共和国内では複数の町に支店を持つ大商会が存在し、個人商店が乱立していた。

 社会党はこれらの商会を押さえつけ、完全な計画経済へと移行するつもりだったが、直ぐに物流が混乱し、アデルハルト国家評議会議長が私企業の活動を認めていた。


〈実際、東ドイツで物不足が起きていただろ?議長や党幹部はある程度は自由経済の考えを採用するそうだ〉


 ライネが言っている通りなら、話を聞いている元鍛冶職人にとっては渡りに船だった。アルタートラクター人民公社が売り出した農業型アンドロイドの影響で、農具を作っていたこの男は今や失業中だったのだ。


〈そうだとしても反革命的じゃないか?〉


 戦争が終わった後や、議長が変わった後にどうなるか?党の体制が変わった瞬間に粛清されるのを元鍛冶職人は心配していた。


〈……不確かな将来を心配してどうする?それより、そろそろ失業期間が長いんじゃないか?君の元鍛冶職人仲間と取り敢えずウチに入る選択肢もあるだろ?〉


 ライネの一言に、元職人は黙り込んだ。もう2ヶ月も失業しており、早く職を見付けねば労働強化所と呼ばれている強制収容所に入れられるかも知れなかった。


〈君は私に雇われるだけだ。将来、体制が変わっても罪に問われにくい〉


 そう言ったライネに腕を掴まれ職人は視線を左右に動かし、考え込んだ。まだ息子程の歳の若い人狼の少年に中年の鍛冶職人の男は説得された訳だが、悪くない条件だと思い始めていた。


〈判った、仲間にも声を掛けるよ。店の場所は?〉


 結局、元鍛冶職人はライネの説得に応じ、彼の会社で働くことを決めた。





「何人集まった?」


 失業中の職人を中心に声を掛けて回っていたライネが商店に戻ってきたのは夜中の9時だった。


「10人採用しました。全員タイプライターを使えますが転生者です」

 エドが採用者の履歴書を纏めたファイルをライネのデスクの上に置いた。


「意外と多いな」

「前世の経歴を色々と聞いてみましたが、殆どは西側出身者や党員じゃない人達でした」


 比較的、東ドイツ出身の転生者が多いが、この街に入植してきた人はそれなりに西側出身の人が居た。


「あと、このマルターさんは東ベルリン出身でしたが、今世では奴隷だった影響で家族が居ないそうです」


 人間ではない、人猫だったマルターは生まれてすぐに親から引き離され、奴隷商人に売られていた。ほんの4,5年前まで人間の領地では奴隷制が認められていたせいで、彼女の様な奴隷身分だった転生者が多かった。


「移住したが、政府が仕事を用意できてなくて失業中の身か……」


 説得して回っていた元鍛冶職人達も、この街の人民公社や建設工事の現場で仕事が得られると思い、ティルブルク市に移住したのだが、市の役人たちは党から設定された入植者の目標数を達成する事に固執したため職場の確保が出来ていなかった。


「ええ、書類選考で弾きましたが、今日だけで200人以上も応募してきましたよ」

 得体のしれない、商店の従業員の募集にまでそれ程人が集まった。


「新聞じゃ、好景気だなんだって言ってますが、そこまでじゃないみたいですな」


 エプロンを着けたビリーがライネのために夕食のシチューを持ってきた。


「ああ、ありがとうビリー。……まあ、景気が悪いせいも有って、俺達が忍び込める訳だ」

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