擦り寄り
〈くっせえ〉
朝早くから、円管服に着替えた人民軍の兵士達は厩舎の裏手に積み上がった飛竜の肥しを荷車に乗せていた。
草食のグリューンワイバンの肥しなら未だマシだったろうが、雑食性のシュヴァルツワイバンの出した物は硫黄臭が酷いうえ……。
〈あ、くそ。火が着いてる〉
所々、可燃性の液体が自然発火するので、消火用に灰を撒く必要が有った。
〈本当にワイバンの肥しで泥棒トカゲが寄らなくなるんで?〉
市の保健所の所長は一緒に作業を眺めているライネに尋ねた。
〈ええ、特にシュヴァルツワイバンのように、泥棒トカゲを捕食するワイバンの肥しが効果的なんですよ。私が居た人狼の街でも冒険者が掻き集めたワイバンの肥しを加工して使ってました〉
市長が電話を終えた横で、部下と大声で泥棒トカゲの対策法を話したかいが有り、ライネは市長に依頼され保健所に対策法を教えることになったのだ。
砂糖を盗んだ泥棒トカゲを差し向けたのはライネ達とは露知らず。
荷車によじ登り、ライネは肥しをそこら辺に落ちていた木の枝で突き始めた。
〈こんなには要りませんよ。半分ぐらいで十分です。後は石灰や軽石なんかと混ぜて使うんで〉
所長の指示で、兵士達は積んだ肥しを降ろし始めた。
〈後は石灰を最初に混ぜて、次に細かくした軽石、粘土の順に混ぜて煉瓦状に整形して日干しします。そうすれば燃える心配も無くなりますし、ワイバンの匂いが微かに残るので泥棒トカゲは寄らなくなるんですよ〉
積みすぎた肥しが降ろされると、外の農場でも使われているトラクター型オートマタが保健所の敷地へ運び始めた。
〈偶に見かけますけど、このオートマタは便利ですな〉
〈……ああ、アンドロイドの事ですね。自律しているので、簡単な命令は聞きますし、パワーも大型トラクター並みに有るので重宝していまよ〉
人の背丈の2倍異常有る2足歩行のアンドロイドが荷車を押す姿は、間近で見るとかなりの迫力があるが、着地が静かなので歩いている音があまり響かないのだ。
〈アルタートラクター人民公社が作った2足歩行タイプで、無限軌道を着けたタイプも外に有りますよ〉
ライネがアンドロイドの足首を注意深く観察していると保健所の所長が説明してくれた。
アルター民主共和国が10年近く前から農業用に機械人形を開発し新たに集団農場を開発しているのは人狼の領地でも噂になっていた。
そのおかげで、人狼領地から輸出される安い農産物や工芸品に対抗できるだけの生産性が確保され、経済が上向いたそうだが。4年前に戦争が始まった時から15ミリ機関銃や大剣を装備した戦闘型を戦場に送り込んでくるのでライネ達は兵器としてのイメージしか無かった。
「ただいま」
ホテルの部屋に戻ると、エドとビリーが紅茶を飲んでいた。
「おかえりなさい。どうでした?」
部屋の音を遮断できる香炉型の魔法具を使っているのでビリーは人狼の言葉で話し掛けてきた。
「泥棒トカゲ避けを線路沿いにばら撒いて貨車にも置くそうだ。ついでに大森林近くの駐屯地にも運び込んで効果を調べるとさ」
昨日、軽便鉄道の貨車から砂糖を盗んだ泥棒トカゲの正体は、ライネの部下が仕掛けた泥棒トカゲ型のゴーレムなので、本物の泥棒トカゲ避けを撒いた所で意味はないが。
「駐屯地にも撒くんですか?」
「まあ、でも。実際に効きますからね」
ビリーが心配したが、大森林の中にある村出身のエドは呑気にお茶を飲み始めた。
「……そうなの?」
街出身のビリーは泥棒トカゲの事をあまり知らなかったので、エドに質問した。
「酷いもんだよ、魚や肉を外に干してると一瞬で全部持っていかれるし。酷い時なんか食料庫が空になるんだ。オマケに警戒心が強いから滅多に姿は見せないし、目が合うとまるで女の悲鳴みたいな声を上げて、一斉に逃げるんだ」
かと言って人に危害を加えて来る訳でもなく、大森林で遭難した人には食料を恵んだりと良く判らない生態をしているので、地元の人は駆除を出来ずに居た。
「マジでチャルニズヴェルムの糞を使った泥棒トカゲ避けを置かないと酷いもんだ」
「所で、アレは用意できたか?」
ライネに言われ、ビリーがベッドの上に置かれたキレイな箱を手に取った。
「ええ、言われた物は一通り。リンゲンのチョコにビトゥフの高級ワイン、オイルサーディンに、高級チーズ、南の大陸の胡椒、コーヒー、ドワーフの緑茶に紅茶それと陶器」
箱の中の紅茶が入った金属缶やチョコレートの包み紙をライネは値踏みするように確かめた。
「葉巻が入ってないぞ。市長と師団長は愛煙家だドワーフ産ので良いから高級なのを見繕ってくれ」
「了解」
ビリーはそそくさと、ホテルの部屋から出て街の商店に向かった。
「そうだ、資金はどうだ?」
「ジョージが手形の換金に行ってますが、まだ戻って来てません」
「そうか」
元マフィアのポルツァーノ商会に用意してもらった、
偽造手形で当面の資金を確保する予定だが、換金に行ったジョージの帰りが遅かった。
「まあ、混んでるんだろ」
(長い……)
銀行の応接室に通されたジョージはコーヒーを飲みながら暖炉の上に置かれた時計で時刻を確認した。
(2時間経つな)
騒がしい1階の窓口前に待つのに比べれば2階の静かな応接室は空調も効いており、居心地は良かった。
しかし、余りに長いので手形に何か有ったのか心配になってきた。
戦争前に人間の領地にまで商売の手を広げていたポルツァーノ商会が用意した手形は、アルター領内に残した別人名義の商会が発行した手形なので使えない訳はないのだが。
〈……〉
応接室に置かれた新聞に目を通すフリをして、ガラス戸越しに廊下の様子を窺ったが、女子行員が井戸端会議に興じているのが聞こえて来る位で静かなものだった。
(おっ)
中年の男と若い男が廊下を歩く足音が聞こえ、ジョージは念の為、応接室の窓の施錠状況を横目で確認しつつ姿勢を正した。
〈お待たせしました、フォルカーさん。現金化の手続き、全て終了いたしました〉
応接室に入った銀行の支店長がそう言うと、若い行員が100マルク紙幣の束が詰まったアタッシュケースを机の上に置いた。
〈1万マルクの束が100セット、計100万マルクになります。どうぞ、ご確認ください〉
表紙にカール・マルクスの肖像画、裏に工場で働く労働者が描かれた100マルクの札束を手に取り、ジョージは間違えが無いか確認を始めた。
途中で、札束を束ねている紙帯の印刷が今居る人民産業銀行の物から中央銀行の物に変わっていることから、ジョージは中央銀行の支店から札束を持ってこさせたことに気付いた。
〈確かに確認しました。有難うございます〉
アタッシュケースのダイヤルを動かし鍵を掛け、ジョージは席を立った。