泥棒トカゲ
「ここなら安全だ」
街のホテルに入っているカフェのボックス席でエドとジョージと合流したライネは2人にそう告げた。
カフェの隅の方で視線が通りにくいので読唇される恐れもなく、近くの席は空いているので話の内容を聞かれる恐れもない。
「軽便鉄道の駅を見学してきましたよ。納品の日時は判りませんでしたが、此処から出る積み荷はっ……!?」
ライネが急に、“喋るな”の意味のサイン……。
上着のボタンを開けたので、エドは身構えた。
〈ご注文は?〉
竜人のウエイターが遅れてきた2人の注文を取りに来たのだ。
〈コーヒーをもう1杯とこのケーキ……何頼む?〉
〈私はコーヒーとサンドイッチで〉
〈私は紅茶とパフェで〉
〈畏まりました〉
注文を取ったウエイターが下がるのを待って、ライネが口を開いた。
「納品の日時はこっちで聞けた。明後日、1箱届くそうだ」
万が一聞かれても良いように、人狼の言葉で全員話しているが、単語も変えて商人同士の情報交換に聞こえるように会話していた。
納品は人民軍の増援。1箱は1個連隊という風に。
「明後日……早いですね」
パワーバランスがアルター側に有利になれば、第2師団は後退し、陣地に籠もる事は4人共知っていた。
「そう言うわけだ。この商機を逃す訳にはいかない、暫くこの街に拠点を置こうと思う」
ライネが商機と言ったが、実際は師団が攻勢に出れないので、潜入した自分達はこの街に留まらざるをえないだけだった。
「明日、街の役場に行って商店を買う手続きをしてくる」
「しかし……」
此処で、またライネが上着のボタンを外したので、全員口を閉じた。
〈お待たせしました〉
ウエイターがケーキとサンドイッチ、それに飲み物を運んできたのだ。
〈失礼ました〉
人狼の領地では手に入らず高級品になったコーヒーに、ライネは砂糖を3杯も入れミルクをカップに溢れそうな程入れた。
「日用品や食料品の物価も安い。出来る限り情報を集めるぞ」
些細な情報だが積み重なれば、それだけアルター民主共和国がどの程度まで科学技術を再現しているか推論する事ができる。
「砂糖はこの街の……例の工場で甜菜から作っていました。軍需品や建設資材を運んだ軽便鉄道がファレスキに戻る時に積んでいくそうです」
ケーキに乗っていた木苺を突いていたライネは一瞬手を止めた。
「警備はどうだ?」
「一般の客は乗せず、貨車に積み込んだら封印するそうです」
「なるほどね」
ライネは静かにケーキを食べ始めた。
「店を構える資金はどうします?」
「ん?……まあ、任せとけ。先ずは……」
エドに聞かれたが、ライネは甘ったるいコーヒーに口をつけた。
「ビリー、後で外の荷馬車まで頼む」
「はい」
「大佐はマジで言ってるのか!?」
街の北西、軽便鉄道のレール沿いに、ライネの部下達が5人集まっていた。
何かあった時に備え、付近に潜んでいたのだが、ライネからの指示に頭を抱えた。
「あの人はあんなもんさ」
空挺部隊時代の部下が悩む横で、情報部時代の部下は用意をしていた。
「馬鹿みたいな話の方が簡単に引っ掛かるんだ。来たぞ」
街から出た軽便鉄道が黒煙を吐きながらゆっくりとこちらの方へ向かってきた。
「6両編成か、4両目をやるぞ」
先頭の機関車に乗る乗員の目に触れぬ様に5人は木立に隠れてタイミングを計った。
「列車強盗とか、第3師団のヤンキーにやらせろよ」
「うるさいぞ、黙れ」
「行くぞ!」
大きく左にカーブし、先頭の機関車と最後尾の緩急車から見えないタイミングで貨車に駆け寄り、1人が飛びついた。
「空いたぞ!」
解錠に使う菱形の魔法具を大型の南京錠に翳すと、簡単に空いた。
「魔法を使って無いんだな」
魔力で解錠されない様に防御魔法が仕掛けられている場合が有るのだが、貨車を封印しているのは少し鍵の形状が複雑なだけの大型の南京錠だった。
「開けるぞ」
「うおっ!?」
扉を固定しているラッチを開けると、貨車が揺れた勢いで扉がスライドし“50kg”と書かれた砂糖入りの麻袋が6つ転げ落ちた。
「多いなおい!」
乗り込むつもりだったが、砂糖の袋がギチギチに積み込まれており、飛び乗るのは不可能だった。
「しょうがねえ。コレだけ仕込むぞ」
師団長のニュクスから借りた、ゴーレムの核が20個詰まった麻袋を投げ込むと大急ぎで貨車から離れ茂みに身を隠した。
日が落ちて1時間ほど経った。ホテルのレストランに恰幅が良いスーツ姿の中年男が現れ、先に席に着いていた人民軍の師団長の方へ向かった。
〈いやぁ、どうもどうも!〉
この街の市長で、社会党の地方幹部だった。
街に駐留する軍の師団長は妻同伴でホテルのレストランで市長を待っていた様で、市長に気付くと席を立ち市長と握手した。
「首尾は?」
「仕込みは終わりました」
カウンターで一緒に座っているエドから話を聞いたライネは上機嫌で葡萄ジュースを口にした。
「そりゃ楽しみだ」
カウンター近くのテーブルに置かれた電話を横目で見ながらライネは追加でソーセージを頼んだ。
頼んだソーセージがカウンターに置かれると直ぐに電話が鳴り、バーの店員が電話に出た。
〈はい……はい、市長ですね……〉
聞き耳を立てていると、待っていた電話のようだ。
(この街からファレスキまで1時間ってところか?)
時計を見て、汽車が出た時間からどれ程時間が経ったかライネは確認した。
〈市長、ちょっと宜しいでしょうか?〉
〈ん?何かね?〉
店員に耳打ちされると、市長の表情が凍りついた。
〈本当か?〉
市長が叫ぶと、店員が電話の方を指差すのをライネはフォークに映しながら観察していた。
「そろそろで?」
「まだだ、焦るな」
〈どうした?〉
さっきまで上機嫌だった市長が豹変したので、師団長が問い質した。
〈今日届いた貨車が1台荒されたと、ファレスキから電話だそうだ〉
〈荒された?ホントか?〉
「開演だ」
市長が電話の方へと走ったのを確認したライネが合図を出した。
〈私です〉
電話に出ると、市長は落ち着こうと額の汗を拭った。
〈ヘルマン市長、問題だ。ティルブルクから砂糖を運んでいた軽便鉄道が荒された〉
相手は党の政治局員で、市長の上司だった男だ。
〈窃盗でしょうか?〉
まだアルター民主共和国内では高級品の砂糖を野盗が狙うことは想定されていた。その為、主な街道沿いの村に駐留する人民軍は検問所を各地に置き、定期的に軽便鉄道の線路沿いを巡回していた。
〈4両目の車両に竜種の足跡が残っていた。それと、途中の村で人ぐらいの高さの恐竜が目撃されてる。恐らく、大森林に住むという泥棒トカゲじゃないかと、人狼の住民が証言してるそうだ〉
〈つまり、野生生物だと?〉
〈そのようだ。今後、この様な事がないように党から調査委員を派遣されるが、そちらでも調査を頼む〉
表向きは職務上の情報交換だが、実際の所は政治局員が目をかけている市長に仕事上の助言をするために電話を掛けてきた意図を市長は読み取った。
〈はい、ご心配をお掛けしました〉
市の管轄ではないが、党中央から人が送られる前に問題解決をしておいた方が良いと。
〈泥棒トカゲだと?……ふざけた恐竜もどきめ〉
受話器を置くと市長は悪態を吐いた。
人狼と人間の領地を分けていたジュブル川の影響で、生態系が大きく違っていた。
特に泥棒トカゲは南岸側の人狼領地、それも今居るティルブルク市に近い大森林付近に済む恐竜のような竜種だった。
神出鬼没で生態が良く判らない上、今回のような窃盗騒ぎを起こすので貨車には厳重に鍵を掛けていた筈だった。
〈何だって?〉
電話が終わったのを見計らい、師団長が市長の背後に経っていた。
〈泥棒トカゲが貨車の鍵を開けたようだ〉
〈……開けた!?〉
どちらかと言うと、軽便鉄道の警備は人民軍の担当なので、運行状況を知っている師団長は耳を疑った。
〈これ以上警備に人では割けんぞ〉
駐留部隊の人員をこれ以上割り振れば前線が手薄になる。そうなっては元も子もない。
〈で、その泥棒トカゲ避けだが、効果はない。……それよりアレが良い〉
〈ん?〉
どうしたものかと思案していると、カウンターで飲み食いしている人狼の少年と人狼の男が泥棒トカゲの話題をしていた。
〈アレが有れば、泥棒トカゲは寄って来ない。他の連中と違って大森林近くの村に商品を安全に運べるぞ〉
〈アレは誰だ?〉
師団長がその人狼2人組の会話に興味を持った。
前回、人員軍と党で泥棒トカゲ対策を知っている人を入植者や現地の人狼問わず聞いたが、その時は貨車に鍵を掛けるぐらいしか対策が見付からなかった。
〈初めて見るな。……おい、君〉
市長は、近くで給仕をしている店員に声を掛けた。
〈あの人達は誰だね?〉
〈行商人だそうです。4人組で、昼からこのホテルに泊まっています〉
宿泊客はそれ程多くないので、ホテルのボーイだけでなくレストランの店員も人狼4人組の事は噂で聞いていた。
〈行商人か……面白いな〉
〈ああ、使えそうだな〉
市長と師団長は、人狼2人組に話し掛けると、彼等の為に高い酒を注文した。