潜入工作
「敵の増援をどうにかしないと……」
魔王に瓜二つだが、瞳の色が魔王の鳶色と違い黄色い少女は地図を見ながら呟いた。
場所はライネ達が忍び込んだ街から南東へ100キロほど離れた場所に設置された第2師団の司令部。本格的な攻勢を前に、対峙しているアルター民主共和国軍の増援部隊がどの程度の規模で何時到着するか分析をしていた。
「後方の軽便鉄道を破壊すれば、あるいは……」
師団長を任されている魔王の妹のニュクスは地図上に描かれた、ファレスキから伸びる軽便鉄道の線を指でなぞった。
占領されたポーレ族の領地に広範囲に点在するアルター側の入植地。農村程度の物が多いが敵の師団が分散して駐屯している。
もし何処かの村が襲撃されても、ライネを送り込んだ街から襲撃が在った村々に増援部隊を即座に送り込む体制になっていた。
街に駐屯している部隊だけなら第2師団で相手できるが、ファレスキを経由して送られて来るであろう増援部隊が厄介だった。
敵の防衛部隊と戦っている最中に側面を突かれたり、後方との連絡を遮断される恐れがある。確実に到着を遅延させる必要があった。
それと、攻勢前に純粋に敵の部隊が増派されることへの懸念もある。この地域の兵力差が逆転すれば、前線を後方の山地に下げる必要があった。
「海軍からはオスティアとマッシリアの派遣は出来るが、ファレスキ方面への戦略爆撃は承服しかねると」
幕僚の1人、騎士団長のランゲ卿が海軍からの返事をニュクスに報告した。ドワーフから供与された飛行艦を2隻、人狼の海軍で運用していたが、敵の支配地域を長駆進出し砲爆撃を加えるには危険が伴った。
「敵の防空陣地は発見できて無いわね?」
「はい、ファレスキの旧魔王城には早期警戒レーダーのアンテナと射撃管制レーダーが設置されているのは確認できていますが、ミサイル本体は確認できていません」
2年前に人間の領地と人狼の領地を分ける大河、ジュブル川の北にドワーフの飛行艦“吾妻”が偵察飛行で侵入した際に、地上から対空ミサイル攻撃を受けていた。
幸い、吾妻はケシェフまで辿り着いたが、機関が損傷し、ドワーフ領まで戻ることが出来なくなった。一体、ミサイルの正体は何なのかドワーフと人狼は転生者が異世界の技術をそこまで再現していたのかと慌てたが、まさかの正体に驚いた。
人間の領地で出回ったプロパガンダ映画。旧神聖王国に占領されていた、マルキ王国が異世界のソビエト連邦に加入したという衝撃的な内容のプロパガンダ映画だったが、その中に対空ミサイルシステムを乗せた車両が映ったのだ。
ソビエト連邦製のS-300ミサイルシステム。
ジェット機や巡航ミサイルを迎撃する事を目的にした異世界の最新対空ミサイルシステムだったが、何故かマルキ・ソビエトの軍事パレードにレーダーとミサイルキャニスターを搭載した車両が登場したのだ。
「海軍は安全が確保されるまで動かないでしょうね……」
海軍のトップは兄である魔王だったので、ニュクスは半分諦めていた。慎重な性格で、安全か判るまで虎の子の飛行艦を敵地のど真ん中に送る事は無いだろう。
「潜入したビスカ大佐の報告待ちですな」
「儲かったなあ、小1時間で1000マルクだ」
駐屯する兵士相手に商品を全部売り切ったライネは札束を数えていた。
「しかし、そんなにあっても換金できませんよ」
アルターでは国が保管する金と銀の価値に裏付けされた複本位制が確立し、金貨や銀貨と交換できる兌換紙幣の発行が既に始まっていた。
アルター民主共和国内に在る銀行に紙幣を持っていけば、紙幣と同額の金貨や銀貨と交換できるので、国民は重い貴金属の貨幣を持ち運ぶ苦労から開放されていた。
だが、人狼は未だに18部族で使う貨幣が違い、去年から魔王が発行させた貨幣がようやく流通し始めた段階だった。
「まさか、1000マルク分の金貨を持って帰るんですか?」
全て金貨で交換すると100枚になる、それの重さを想像してビリーは頭を抱えた。
「いや、このまま100万マルクに増やすぞ」
「100ま……え゛!?」
いきなり1000倍に増やすとライネが言い出したので本気で驚いた。
「まあ、此処を買って釣りが出るくらいだ」
ライネが指差した真新しい商店のショーウィンドをビリーは見た。
「95万マルク……買うんですか?」
「ああ、客になる駐屯軍の建物が周囲にある。此処を買わない手はない」
「でも、どうやって?」
ライネが売り捌いたもの以外にも商品になりそうな物は有るが、とても足りそうになかった。
「少しばかり頭をつかうさ。エド達に合流しよう」
〈いや、コレは軍用で一般人は乗れないんだ〉
飾りっ気のない鉄筋コンクリート製の軽便鉄道の駅を訪れたジョージとエドは警備をしていた人狼の兵士を質問攻めにしていた。
〈ファレスキまで行かないでも、途中の街でも良いんだけど。ダメかい?〉
〈ダメだ。軍の任務でしか使えないんだ〉
軍の貨物列車に相乗りできないか尋ねていたのだが、兵士は乗れないの一点張りだった。
〈2ヶ月後に開通する旅客線は良いがコレはダメだ。余裕はないんだ〉
〈帰りは空荷じゃないのか?隅っこに乗せてもらえれば良いんだ。弾むよ?〉
事前に用意した、高額紙幣の100マルク札を何枚か見せたが、兵士は一瞬考えたが即座に拒否した。
〈違う、空荷じゃないんだ。それに、一度貨車にカギをかけると終点のファレスキまで封印されるし〉
〈何を積むんだい?〉
兵士は再び考えたが、住民なら知っている事なので、積み荷を教えてくれた。
〈砂糖だよ。あの煙突が見えるだろ?先月から稼働した製糖工場の砂糖をファレスキに運んでるんだ〉
駅舎近くに4本の煙突が聳え立つ建物を兵士は指差した。
人狼の主要な輸出品の中に甜菜糖があったのだが、戦争が始まってからは密輸や迂回貿易でしか砂糖が手に入らなく人間は苦労していた。
代用品で麦汁や人工甘味料にも手を出したり、人間の領地でも甜菜糖から砂糖を造る動きが出てはいたが。
〈ここいら一帯で甜菜を育ててるんだ。その砂糖に何か有ったら一大事だろ?だから警備が厳しくて今は相乗り出来ないようになってるんだ〉
〈なるほどね……〉
この街に来る軍事物資と建設資材を乗せた軽便鉄道が帰りに何を積んでいるのか、第2師団では憶測が飛び交っていたが、ただの砂糖だと判ったので、これ以上根掘り葉掘り聞く必要はなく無った。それどころか、“謎の工場”と言われていた建物が、ただの製糖工場と判ったのは運が良かった。
〈邪魔してすまなかった。コレ、暇な時にでも〉
〈え、コレ……〉
手の平サイズの紙箱。タバコの箱位のサイズだが、アルター国内で人気の高級チョコだった。
〈行商でこの辺に来たが土地勘がなくてね。また何か聞きに来ますので……〉
〈ああ、そうかい〉
先程の現金は完全な賄賂だが、高級チョコは微妙な品物だった。
〈あ、そうだ。行商するのに党に許可を取る必要とか有るかな?〉
〈それなら、役所が向こうの通りに在る〉