獣人症
「ライバック大尉、どうぞ」
陸軍病院の5階。魔術内科の待合で順番を待っていたショーンは診察室に入った。
「どうも、大尉。前回からお変わりは?」
診察室に居た医官の中尉はショーンの顔を見ると早速質問してきた。
「特に無いなあ。相変わらず嗅覚過敏だし、味覚も酸っぱいのが駄目だし」
ショーンが魔術内科に来た理由は獣人症の経過観察だった。
「変わり無しと……。では、歯を見せて下さい」
問診の内容をメモすると中尉はショーンの歯を見るために手袋を嵌めた。
「開けて……。閉じて……。臼歯は無いと。写真を取ります、もう一度開けて下さい」
ショーンが口を大きく開けると看護師がカメラを構え歯を撮影し始めた。
獣人症の影響でショーンの歯は一度全て抜け落ちていた。獣人症に感染し、最初に狼男化する際に狼の歯に生え変わるのだ。
それ故、獣人症の罹患者は歯を見れば判ると一般に流布されているが。
「はい、閉じて下さい。はい、オッケーです」
2年以上、今の状態なので色々と不便だった。奥歯も全て狼特有の尖った歯に生え変わっており、野菜類を食べるのに苦労するし、舌を噛みやすくなった。
何より面倒だったのは、軍での立場が中途半端な事だった。
獣人症については判らない事が多く、罹患者は後方等に配置される。ショーンも第3師団付きの軍医として前線に出ることはなく、親衛隊のカミル・ジェリンスキ少尉の様に首都周辺に置かれ、定期的に診断を受けていた。
「そうだ、サラとルーシーの2人が今日退院するとか聞いたけど、大丈夫なの?」
今日、ジェームズが陸軍病院に来たのは、ショーンと同じ縦陣症で入院している娘が退院するので、それの出迎えだった。
「ええ、精神科にも定期的に通う形になりますが、何とか退院できます」
「それは良かった」
「忘れ物は無い?」
「無いよ」
自分達の病室で退院の準備を終えたサラはルーシーに尋ねた。
1年近く、陸軍病院に入院していたが、同い年の妹のルーシーは少々間が抜けており、忘れ物が無いか心配になったのだ。
……獣人症で特に2人が受けた治療はなかった。2人が2年も病院を転院し続けていたのは、トラウマ治療の為だった。
2人は養女で、ジェームズの実の娘ではなかった。
10年以上前、狼男が大森林に在る村を壊滅させたラズブルゥヴァッチ事件の生き残りで、狼男を倒したジェームズに引き取られていたのだ。
ジェームズに引き取られ、ラズブルゥヴァッチ事件の記憶が薄れた事で2人は健やかに育ったが2年前の内戦時に再び事件が起きた。
当時、反乱軍の一員としてパオロ率いる転生アメリカ人部隊が反乱軍から離脱し、アルトゥル率いる魔王側のアメリカ連隊に合流しようと行軍中に狼男が襲い掛かって来たのだ。
実の両親を奪い去った狼男が再び目の前に現れた。
記憶に蓋をしていたラズブルゥヴァッチ事件のトラウマが一気に蘇り、更に2人は狼男に噛まれ獣人症に感染した。
再び精神がズタズタにされ、2人は2年間に及ぶ入院生活を余儀なくされた。最初の1年は昏睡状態で。
「2人とも、用意は良い?」
ジェームズが2人の病室に現れると、2人は笑顔で振り返った。
「お母さん!」
サラがジェームズに抱き着くと遅れてルーシーも抱き着いて来た。
「コラコラ」
尻尾を思いっきり振る2人に注意したが、ジェームズ本人も控えめに尻尾を振っていた。
「はい、検査は終わりです」
診察台に横になり、一通りの検査を終えたショーンはゆっくりと起き上がった。
「魂も診ましたが特に変化はありませんね。最近、変身しました?」
「してないね。ストリーキングの趣味は無いし」
獣人症、と言っても狂犬病の様に感染する病気ではない。
どちらかと言うと呪いの類で、相手を噛んだ際に魂に呪いを掛け、相手が人狼で有れば狼男に変身させ下僕として使役できる。
その時、自我は奪われ三途の川に落とされるが運良く三途の川から逃れることが出来れば自我を取り戻せる。
ラズブルゥヴァッチ事件でも、自我を取り戻したが理性を失った狼男が群れを作ろうと村を襲ったせいで大惨事になった。
ショーン達の場合は一度自我を奪われたが、その後、三途の川から帰ってこれたので自力で狼男の変身を解いたり再び変身することが出来た。
「なるほど……」
「変身すると身体が大きなって毛むくじゃらになる以外に何かメリット・デメリットは見つかってるんかい?」
「自我が戻っている人は特に無いですね。変身する時に服が破れる以外は」
「そんなもんか。まあ、ラズブルゥヴァッチの伝承しか知らない人が見たらパニックになるから、する気はないけど」
“噛まれると感染する伝染病”
その誤解から、ほんの数年前までは狼男が見つかれば直ぐに殺処分され、遺体を焼き払うのが常だった。
最近は政府広告や医療雑誌等で魔法由来の呪いだと宣伝しているが、何処まで浸透しているかは不明だった。
「では、次はまた1月後に受診となります」
「お世話様です」
ショーンは診察室を出ると、サラとルーシーの病室の方へと足を向けた。
退院のお祝いも言いたいし、何だかんだで同じ獣人症を患う者同士、話が合うので自分の診察ついでに、よく面会していたのだ。
「あれ?ショーンか」
名前を呼ばれて振り返るとジェームズの夫のサミュエルが居た。
「サム、仕事は休んだのか?」
「抜け出して来ただけだ。サラ達を家に送ったら直ぐに会社に戻るよ」
「忙しいもんなあ。……なあ、あの2人退院して大丈夫なのか?」
「落ち着いては来ているからな。通院で大丈夫だそうだし、狭い病室に閉じ込めておくよりも世間の変化を見せておきたいんだ」
病室に入ると、既にサラとルーシーの姿が無く、用務員がシーツ交換と清掃を始めていた。
「あれ?すみません、ここに入院してた2人は?」
モップで床掃除をしていた用務員が顔を上げた。
「10分前に退院しましたよ」
てっきり病室で待っているのかと思えばまさかの返事にサミュエルは首を傾げた。
「あれ……じゃあ、下かな?」
「取り敢えず降りよう」
「このクソ野郎!ぶっ殺してやる!」
1階の緊急科に降りていたジェームズ達3人は、頭から血を流した男性がストレッチャーで運ばれるのを見て呆気に取られていた。
「黙れ***!」
とてもじゃないが、娘達に聞かせられない言葉を後からストレッチャーで運ばれて来た男が叫んだので、ジェームズは2人の耳を抑えようと頭頂部に手を伸ばした。
急な騒ぎに居合わせた人達は声がする方へ目を向けるが、緊急科のスタッフが奥の処置室に運び込んだ。
「あ、居た居た。……どうした?」
階段を駆け下りてきたサミュエルが様子が可笑しい事に気付いたようだ。
「今ちょっと……」
「大丈夫だ、歩けるよ。心配いらない」
今度は車椅子に乗ったデイブが現れたので、それを見たショーンが絶句した。
「何してんの!?」
ラジオの公開討論会に出ている筈が、車椅子で陸軍病院に来るとは只事ではなかった。
「いや、ちょっと。ハスマン氏がヤバい事を言っちゃって、観客がハスマン氏を殴り倒す騒動が有って」
「はぁ!?」




