フィオナがお戻りになりました
「キース、会いたかったわ」
朝の図書室で調べ物をしていたキースの元へ嬉しそうに駆け寄る少女に一方のキースは露骨に顔をしかめた
「何を読んでいるの?あら法律?
難しい本ばっかり読んでいて頭痛くならない?」
その顔に気づいているのかいないのか、迷うことなくキースの腕にしなだれ掛かる少女の胸元にはゴールドバッジ。
「君の事はどちらの名前で呼べばいいんだ?
彼女がエレナなら君はフィオナでいいのか?」
ため息まじりに答えれば問われた少女は一瞬キョトンとするも
すぐ華のようにコロコロと笑いながらじゃあ今はエレナにしましょうと言って来た。
「エレナは彼女だろう?君はフィオナだ」
「あら、あなた腕に傷があるのがフィオナだって
言い張っていたじゃない」
「…ここは人目に着く。あまり露骨に暴れると
"エレナ"が糾弾されるぞ」
「そんなのあの子は気にしないでしょ?ねえ、それより久しぶりに来たのに冷たいんじゃない?貴方がどうしてるかと思ってワザワザ様子を見に来てあげたのよ?」
そう言って微笑む彼女の胸元は普段はキッチリと閉められているのに、今は大きくはだけられ目線が上のキースの角度からは中の白いレースの肌着が先程からチラチラと主張している。
腕に絡まる白く細い腕はどこまでも華奢で傷ひとつなく美しい。
長椅子に座るキースにしなだれ掛かるようにして足を椅子に上げているせいで軽やかなスカートから覗く細くて真っ白な足首がどうしようもない色香を放っていた。
まあ大抵の男は思わず手を出すだろうな、とキースも納得するほどに彼女はどうしようなく儚げで妖艶な美少女だった。
なぜ同じ顔でここまで雰囲気が変わるのか本当に不思議だ
「よくここがわかったな」
土曜の早朝。この時間に教諭の許可なしに図書室に入れるのは最上級生の成績優秀者ごく一部のみである。
「覆面さんに聞いたらここだって教えてくれたわ。
貴方あの子に護衛なんかつけてたのね」
あいつは後で吊るし上げよう。
「それよりなんで君がその制服を着ている?彼女はどこだ?」
「部屋で寝ているわよ。疲れてたみたいだから起こさないで上げたの。今日は土曜だから制服がなくたってあの子は困らないでしょ?」
そういう所に気は使えるのに勝手に服を拝借するのだからイマイチこの子の倫理観がわからない。
「ねえ、起きてるの疲れるわ。もっとそっちによって」
「疲れたのなら早くかえるといい」
「やーね。疲れたから休憩するんじゃない。
ケビンにバレないように屋敷を抜け出すの大変だったんだから」
ゆっくりとキースの胸元に腕を沿わせ、硬く厚い胸板に少し骨が見える薄い胸を擦り付けてくるのは大人の女性にはない背徳的な魅力だった。
「伯爵は君を好きなんじゃないのか?こんな所で他の男の体に乗り上げているところを見たら泣くんじゃないか?」
「知らないわ。私のいうこと聞いてくれないなら要らないもの」
どうやら伯爵は彼女のご機嫌を損ねてしまったらしい
「ねえキース?あの子はどうだった?私と全然違うでしょう?」
あまりに細い体なので無理やりどかす事も出来ず、諦めてされるがままになっていると、
気を良くしたのかキースの膝の上に乗り上がって両足をキースの長い足に絡め始めた。
ずり上がった紺のスカートが、僅かに肉のついた白い太ももを朝の光の中に晒し、より一層色香を漂わせていた。
「そうだな。驚くほど正反対で顔が同じじゃなかったら絶対他人だと思っただろうな」
「でもみんな案外気づかないのよ。不思議よねぇ」
「君たちは顔がそもそも目立つから性格を把握するまでに至らないんじゃないか?」
「なら貴方は私とあの子の性格をよくわかっているのね?」
クスクスと笑いながらこれ以上ない程全身で密着してくると
ねえ寒いわ、と言ってキースの上着の襟に砂糖菓子のように白い、僅かに薄桃に色づいた指先を忍び込ませた。
「少し話せば違いなんてすぐにわかるさ。それより人に見られるとマズイからいい加減離してくれないか。
寒いなら暖かい部屋に案内するから」
「部屋なんて嫌。人肌って1番暖かいのよ?特に貴方みたいなよく筋肉のついた体って本当に好きよ…」
うっとりと両肩に華奢な手首が入り込みキースの上着が肩からずり落ち始める。
流石にここで服を剥かれるのはごめんだと仕方なく彼女を離そうと肩に手をかけた瞬間。
「キース様に何をなさっているの…?」
呆然と書物を持って立ちすくむリタの姿に流石のキースも眩暈を覚えた。
「あらリタじゃない。ご機嫌よう」
肩に掛かったキースの腕に沿うように再びその硬い胸板に擦り寄る少女をみてみるみるリタの瞳には涙が溜まり始めた。
「キース様から離れなさい」
「なぜ?」
「キース様がけがれてしまうわ!」
「それは私が穢れてるって言いたいのかしら?」
「事実じゃない!」
殆ど悲鳴のような鳴き声で叫ぶリタの瞳からは次から次へと大粒の涙がこぼれ落ちていく
昨日の彼女の涙は驚くほどキースの頭の中を真っ白にして
本当に何も取り繕えなくなるほど狼狽させる威力があったのに。
キースは今、リタの涙をみてああ面倒だと萎えている自分に内心苦笑した。
「穢れてるって何を理由に言っているのかしら?」
「理由?理由ですって?大した努力もしないでのうのうとこの学園に入ってきて!社交界の嗜みも知らないでそこら中の男に媚を売って!そこそこら中の男に股を開いて穢らわしくないとでも思ってるの!?
挙げ句の果てに人の婚約者に擦り寄って!
病気だか何だか知らないけれど碌に苦労もしないで甘やかされたんでしょうね!非常識極まりないその行動が何よりの証拠よ!」
流石に言い過ぎだろうとキースが窘めようと体を起こしかけた時
ソファの後ろ、つまりキース達の背後から
ゴッソリと感情が抜け落ちた声が静かに響いた。
「ここは勉学と常識、社交界のマナーを学ぶための学び舎なのではないのですか?」
予想もしていなかった参戦者に慌ててキースが起き上がると
体に乗り上げていた少女も口に手を当てて僅かに怯えている。
そこに立っていたのはどこから調達したのメイド服をキッチリ着込んだキースにしなだれ掛かる少女と全く同じ顔をした侍女。
だがその全身は氷のように冷気を放ち、その瞳は見たものを無言で震え上がらせ黙らせる程の威圧感を持っていた。
「暖かい部屋で羽毛布団に包まれながら尚寒いと体を震わせて、
明日は生きているかもわからないと医者に言われながら必死に病と闘っている人が碌に努力もしていないと?
人が必死に学ぼうとしているのを助けるどころか
嘲笑して嫌がらせをする女子よりそれが可愛いと手を差し伸べる男子の手に縋るのは当たり前でしょう?
そもそもこの学園内ではお家事情は持ち出さないのが鉄則。婚約者などと堂々と名乗る方がおかしい。」
足音1つ立てずに歩み寄る侍女は手に持っていたブランケットをキースの上に乗る少女にかけるとキースには見向きもせずにそのままリタの方に更に歩み寄っていく。
「自分がいなくなっても大丈夫な様に名前も居場所も奪われて1人病と闘う日々が、どれだけ孤独で虚しいか分かりますか?
それでも自分の境遇に文句ひとつ言わない少女を甘やかすなと?折れそうな細い体を布団から引きずり出して勉学させろと?
外の冷たい風に当たらせてドレス姿で歩き回らせろと?」
リタの正面に立ち今まで見たこともない程に怒りを露わにするその顔と
一切の迷いなく人を貫く濡れた様な漆黒の瞳にリタはようやく気づいた。
「貴方…だれ?」
「私が誰かなんてこの際どうでも良い。
彼女に碌な常識も知識も与えずここまで育てたのは認めます。
ですがそれが何ですか?生きて、健康にさえなればそんなのは後からどうとでもなる。
事実彼女は自分から世間を学びたいとこの学園に入ることを臨みました。
結婚相手に恥をかかせたくないと動いたのですよ。これは非常識な事ですか?答えてください」
「そ…それは…」
なぜプリフェクトの制服を着るべき少女がメイド服を着ているのか
何故過去散々醜態を恥ずかしげもなく晒した少女がプリフェクトの服をきてキース様の上にいるのか
リタはようやく1つの答えに行き着いた。
「貴方は長女のフィオナ様ですわね?あそこにいるのは次女のエレナ。成績を取り戻す為に入れ替わったのですね?」
「ハーツフォーンは軍人の家系です。長女はともかく次女が多少成績が悪くても何も困りませんよ。そんな事ワザワザする意味がないでしょう」
「プリフェクトになればキース様の側に堂々と寄り添えますもの。過去プリフェクト同士が婚約を結ぶことは何度もありました。あのような恥知らずにハーツフォーン子爵の長女、フィオナ様とも在ろう方が加担なさるのですか?!」
「申し訳ないが私は正真正銘ハーツフォーン子爵の次女エレナ=バートだ。
さあ我がハーツフォーン子爵の長女フィオナ=バートに対する暴言の数々を撤回して頂こうか。
彼女を侮辱する事は彼女を生み出したハーツフォーン家そのものを侮辱するも同然。
我々が使えるのは国王であり侯爵令嬢の貴方ではないのだ。
…貴方に彼女を侮辱する権利はない」
方や完全に騎士時代の頃のそれに戻って怒りに震え
方や恐怖と混乱で怯えて震え
そんな2人を完全に部外者よろしくソファで傍観していたキースはブランケットを羽織って同じ様に傍観している少女をチラリと見やった。
やはりキースの想像通りだった
キースの手元に置かれた分厚い書物は数年前に改定された法律の、改定前のもの。
当時は当主として跡を告げるのは長男のみ。
但し女子しか生まれなかった場合例外として、正当な血筋を引く"長女"のみ騎士の称号を獲得すれば当主として跡を継ぐ事が認められていた。
ハーツフォーン子爵の長女フィオナは4歳の頃まで体が弱く逆に1歳年下の次女エレナは健康優良児そのものの赤子だったらしい
だが数年後、騎士養成所に現れた長女フィオナは活発で利発、あらゆる教養を徹底的に叩き込まれたまさに理想の長女だった。
対して次女エレナは病弱で家に篭りきりとなっていた。
「エレナ、そんなに言ったらリタがまた怒っちゃうわよ」
既に十分怒っている様に見えるがまだこの先があるらしい
「姉さんは黙ってて。これは姉さんだけの問題じゃなくてハーツフォーン子爵のメンツに関わる事。
いずれここに入学するサイラスにも関わる事になる」
「サイラスはまだ5歳よ?ずっと先の話じゃない」
場にそぐわない軽やかな口調で歩いたフィオナは侍女姿のエレナの細い腰にするりと腕を巻きつける
と怒りに満ちた自分そっくりの横顔に頰をすり寄せた。
方や妖艶に、方や毅然に、全く瓜二つの美少女が体を巻きつけ擦り寄る様が図書室の天井から漏れる朝日の元で浮かび上がる。
キースは、いやこの場に唯一存在する男は1人無様にもソファで体を前のめりにせざるを得なかった。
「キース様!」
体調が悪いのと勘違いしたリタが駆け寄るが、そこは流石のランカスター公爵第1子息キース=ハドソン。
直ぐに立て直すと近寄ってきたリタを制した。
「リタ、ここで見た事は全て忘れて今直ぐ部屋に戻れ。
俺もガゼボで激しく抱き合っていたクリフトンの事は忘れるから。今夜君の部屋に彼が訪れなくなるのはさみしいだろう?」