人の話はちゃんと聞け
結局あの後キースの言う通りリタは勘違いを認め騒ぎはすぐ沈静化した。
「やあ、ワンディッシュマスター」
「どうもコースマスター」
「仕方ないだろ?俺が1つに偏るとそれが流行ってしまう」
「公爵様は食堂のメニューにまで気を使わないといけないとは。いじましいですね」
「君もいい加減嫌がらせがなくなったんだからコース料理でも優雅に食べらるだろう」
「なんだ気づいてたんですか」
「いつ君が伯爵家に戻ってしまうかと毎日ヒヤヒヤしながら見守っているからね。」
「しーーーー!!」
「ん?親戚の伯爵家に時々遊びに行っているんだろう?」
ワザと匂わせた発言をニヤニヤ投下して来る男に机の下でスネを蹴りたかったが、
以前それをやったら正面でなく隣に来るようになったのでやめた。
足を踏んでもいいが高価そうな靴に跡が残るし、何より食事がもっと厄介な事になりそうだ。
「私はここにいます」
「今日は取り敢えず帰らないと」
「本当に信用してませんね!?」
「君が頑なに認めないからな。
つまり本音を話す気は無いって事だろ?」
どうもこの男はフィオナである事を認めさせたいらしい。
認めるまでは一切信用しないと。
もう好きにしてくれ。
「所で明日で学年が上がる訳だが」
「はあ、でもクラス替えもないから
何も新鮮な事はありませんがね」
「もっと大きなイベントがあるじゃないか」
「ゴールドバッジなんて私は関係ないですからね。
監督生なんて殆ど出来レースみたいなものでしょう」
「そんな事はないさ。俺だってウカウカしていたら他の生徒にこのゴールドバッジを奪われてしまう」
そう言って肩をすくめるキースの黄金の髪がかかる襟元には
負けず劣らず燦然と輝くゴールドの校章バッジ。
各学年の最も優秀な男女1人ずつに与えられるゴールドバッジは最高学年になると同時に
生徒の代表、監督生の証にもなる。、
現在の最高学年は公爵令嬢と公爵子息がそれぞれその役を担っていた。
「事実公爵が総取りしてるじゃないですか。
せめてもう少し不安げな顔で言ってくださいよ」
「まあ上の方の階級は殆ど実家で勉学を詰め込まれてるからね。どうしても取りやすいのは、ある」
「この学年に公爵令嬢は居ませんからね。となると侯爵令嬢の激戦ですね」
「安心しろ。最有力候補はリタと君だ」
「ははは、ご冗談を。子爵令嬢がプリフェクト?気まずいどころの話じゃない。絶対嫌ですよ」
「過去にも子爵でゴールドバッジを取ったものはいるだろう。全然おかしな話じゃない」
ニコニコ、いやニヤニヤと肩肘をついて面白そうに高みの見物を決め込んでいる男にゲンナリとため息をついた。
「ここでゴールドバッジを貰うくらいなら養成所でゴールドナイトの称号が欲しかった…」
「それに関しては責任を感じている」
「そういう意味で言ったんじゃありませんよ。次そんな間抜けなこと言ったらボディブロー食らわせますよ」
「そうそう。身分なんて気にせず隊長として堂々と指揮をとっていた
あの頃と同じようにすればいいのさ」
「…ご馳走様でした。失礼します」
「その蔑んだ視線にも大分慣れてきた」
クスクスと笑う綺麗な横顔を一瞥するとエレナは食堂を後にした。
「結局こうなるんですね」
「半年間の怒涛の追い上げにより、最高学年にしてゴールドバッジ授与とは
素晴らしい偉業だ。プリフェクト就任おめでとう」
重厚な扉を隔てた室内。
質素でありながら歴史を感じさせる調度品に囲まれた監督生専用部屋。
一方は気怠げに、一方は当然といった顔つきで向かい合いながらソファで寛いでいた。
もう最近は中途半端に秘密が漏れているため逆に開き直ってきて
キースに対する態度も適当になっていた。
一方のキースもそんなエレナを咎めるでもなく平然と受け入れている
のだから元来細かいことはあまり気にしない性格なのだろう。
「随分不満そうじゃないか」
「貴方リタ嬢の顔見てないんですか?ああー!
彼女が授与してれば全て丸く収まったのに…!」
「ははは、これで俺は晴れて自由の身」
「生徒会に入って自由の身!?流石公爵様は自由のレベルが違う!」
「そっちじゃない。」
「?」
聞けばあの騒ぎの後実は内々にリタ嬢と婚約は解消していたらしい。
ただリタの実家が食い下がったため、仕方なくプリフェクトになるという条件付きで
再考するフリをしたと。もはやフリ。
「これで漸く堂々と交際の申し込みができるよ」
ゆったりとほほ笑むキースはまさに100万ドルの笑顔。
ソファにだらだらと持たれるエレナのそばに優雅にひざまずくとエレナの
長い手袋に覆われた右手に恭しく彫刻のように美しい手を重ねた。
「俺と結婚を前提にお付き合い頂けませんか?フィオナ嬢」
「残念です。フィオナは既にアディントン伯爵へ嫁いでしまったんですよ」
一切顔色一つ変えずにすげなく断るエレナにキースの顔から表情が消えた。
「ここまで言ってまだ粘るとはね、見上げた根性だ」
「ここまで言ってまだ粘りますか、見上げた根性です」
お互いに一歩も譲らず睨み合う姿はとてもではないが婚約を申し込む
夢見る若い男女には見えない。
むしろ相手の真意を探るようにぶしつけに真正面から睨み合うさまは
軍議で言い争う騎士と言われた方がよほどしっくりきた。
どれ位そうして睨み合っていたか、一瞬だった気もするし5分ほどだったかもしれない。
いつにの間にか添えられていたはずの右手は痛みが走るほど強く握られていた。
「この半年、流石に伯爵の子を身籠る暇はなかったろう」
「はぁ?」
予想外の単語の羅列に拍子抜けして思わず声を上げると
一瞬でソファに乗り上がった男に見事にマウントを取られてしまった。
あまりに驚きすぎて声も出せないでいると
さっさとネクタイをほどいたキースが頭上でエレナの両腕をきつく縛り上げ
2人が乗り上げても悲鳴一つ上げない頑丈なソファに固定する。
暴れようにも下半身はキースの全体重が掛けられていてどうにもならない。
圧倒的な体格差にエレナはつい先ほどまでの気の抜けた自分を恨んだ。
「悪いが、あまり時間がないだ。頼むから暴れないでくれよ。」
大事な君の体に傷をつけたくない、と
ほとんど消えかけた頬の切り傷をしっとりとなでられる。
こんな状況でも、触れてくる体温ににおぞましさを感じない程度には
エレナはキースに気を許しすぎていた。
「プリフェクト就任1日目ではっちゃけるには少し度を越していませんか?」
「いや?前々から決めていたことだ。俺は至って冷静だよ」
前々から、計画していたこと
つまり一時の気の迷いでも断られた腹いせのその場任せの行動ではないと
「…君は別の男の子種で腹を膨らませて、堂々と夫の元に帰れるような女じゃない」
言われた意味を理解して一気に全身から血の気が引くのがわかった。
その表情をみてキースはくつりと喉を震わせた。
「愛情なんて後から幾らでも育めばいいさ。…愛しているよフィオナ」
そうして屈みこんできた金色の髪がエレナの顔にかかる。
琥珀色の瞳がどこまでもあまく蕩けるその表情は
今までみてきたどんな彼よりも屈託なく無邪気に愛らしい微笑をたたえていた。
「エレナだって!!」
もはや脊髄反射レベルで機械的に反応するエレナに
ああ、そうだったね、とキースはどうでもよさげに答えると
プリフェクトの証であるグレーのブレザーを乱雑に脱ぎ捨てた。
「もうこの際エレナでもフィオナでもどうでもいいよ」
そういってエレナの右腕の手袋を捲りあげると
現れた長い切り傷をねっとりと舐めあげた。
「”君”を抱くだけだ」
かつて、誰かがまるでキースを金色の狼だと噂していたのを
今ここになってエレナはようやく理解した。
金色に輝く鋭い眼光がエレナの全身を射抜くように見つめてくる。
「伯爵の元には帰さないよ」
「待て待て待て待て!!!!」
「待たない」
「帰らないって!!本当にフィオナが嫁に行ったんだから!」
「そうだな。あの時は絶望したよ」
「違う!本当に!伯爵が好きなのはフィオナだから!!!!
伯爵は好きだったのは私じゃなくてあの子なの!!!」
一切合切人の抵抗を無視して強引に人のシャツの中を
這い回っていた手がようやく止まった。
胸元に埋められていた顔が驚いたようにこちらを見つめてくる
「…なに?なんだって?」
「私はそもそも伯爵と結婚する予定じゃなかったんだって!」
「…なら君じゃない、"あの子"がこの学園にいた間
君達はなにをしていたんだ」
「ふっつーーに生活してたよ!"あの子"の気がすむまで伯爵が待つって言うから!あの伯爵"あの子"にメロメロなんだって!」
ようやく解放されたのにまた帰るとかありえないから!!
「…お互いに結婚する気もない相手と半年間
無意味に過ごしてたって言うのか?」
「色々と事情があるんです!」
呆れたような、いやいっそ憐れみすら感じる視線に
負けじと睨み返しながら分かったら早くどく!と叫んだ。
「とっさにつく嘘にしては君らしくないか…」
やがて毒気を抜かれたようにため息を吐いたキースは上から退きはしなかったがエレナの胸元のボタンをゆっくりと閉じ始めた。
いつの間に開いてたんかい!!
「俺のことを軽蔑するか?」
「した」
それを聞いた瞬間キースが嬉しそうに覆いかぶさってきた
「したって言ったでしょーが!!!」
「したって事は過去形だろ?つまり今はもう許してくれたって事。有難うフィオナ、あ、エレナの方が良いか?どっちでももう君の好きな方で呼ぼうか」
「ポジティブにも程がある!
エレナだって言ってんでしょーが!」
「わかった。エレナ。エレナ、愛してるよ。本当に愛してるから、お願いだからもう勝手に何処かに行かないでくれ。次どこかに行かれたら俺は今度こそ発狂する」
嬉しそうに背中に腕を回してくるから
縛られた腕が引っ張られて痛い。
「もう大分発狂してる!早く腕解いて!」
あ、そういえばそうだな、と言ってあっさり腕を解放される。
そのままソファに座りなおさせられると縛られて擦れた手首を優しく撫でられた。
「済まなかった。手袋があるから大丈夫だと思ったんだが」」
「もうキースがよくわからない…」
腕を振り払う気力もなくてゲッソリと呟くとキースがこちらを向いて固まっている。
「…なに」
不審に思って問いかけるとキースがまた嬉しそうに目を細めた
「いや、久しぶりにキースって呼んでくれたなーと思って」
自分の失態に打ちのめされたエレナはソファの背もたれにぐったりと体をもたれ掛けさせた。
キースと呼び捨てにしたのは第7部隊隊長だった時だけだ。
今のエレナにはそんな権利も立場もないのに、つい口からこぼれてしまった。
「もう嫌だ…」
「俺は嬉しいよ、エレナ。もっと呼んでくれ」
「呼ばない。キースなんて嫌いだ…」
もう色々と疲れた。誰に何を言われても、されても平然と放置できるのにキースにされると悲しかったりムカついたり嬉しかったりで疲れる。
伏せた目頭が熱くなってきてヤバイな、と思うが両手はキースがまだ名残惜しそうに温めてきて振りほどく気力が出ない。
いや、出ないんじゃない。そもそもそんな気ないんだ私は。
「エレナ…っ」
ほとほとと1度決壊するともうとめどなく溢れる雫は後から後から頰を伝ってソファに染みを作っていく。
「エレナ、怖がらせて済まなかった。
…泣かないでくれ。俺が全面的に悪かった」
さっきまでの威勢は何処へやら。
色をなくして全面降伏をするキースにこんな事なら最初から泣いておけばよかったと考える。
驚きすぎてそんな事考えもつかなかったがキースがここまで狼狽するなら悪くないかもしれない。
「…謝りすぎでしょ…」
クスリと笑うが涙は止まらず弱々しく開いた唇の隙間から口の中にじんわりとしょっぱさが広がった。
「泣いても喚いても抱こうと決めてたが、まさか時間差で泣かれるのは予想してなかったんだ」
なんだそれ
もう色々面倒になってきてそのままズルズルとソファに寝転がるとキースが有ろう事か床に直接座ってエレナに目線を揃えながら済まなかったと頰を撫でてくる。
公爵様が子爵の令嬢相手に何をしているのやら。
キースの大きな手はさっきの傍若無人な動きが嘘のようにひたすら優しく温かく
エレナの髪を、頰を撫でては、零れ落ちる涙を掬った。
「無事に部屋に戻りましたよ」
「ああ、誰にも会わなかったか?」
「ええ。時間が時間でしたし。上手く避けてました」
ならいい、とキースは部屋に音もなく侵入してきた覆面の報告に安堵した。
正直エレナのあの涙は反則だと思う。絶対人に見せたくない。
女だからとバカにされようが大怪我をしようが、嫌がらせを受けようがエレナは怒りこそすれ泣いたりはしなかった。
それがあの涙である。しかも今しがた襲われた相手に撫でられて笑っているのだから、これで落ちない男がいたら見てみたい。
元々落ちきっていると思っていたがまだ落ちる余地があるとは。
「彼女、魔性…ですね」
ポツリと呟いた覆面の言葉にキースは何も言えなかった。
だがすぐに切り替えると今日の話でキースの中に生まれた
1つの可能性について考えた。
もしかしたら自分は根本的に間違えていたのかもしれない。
「エレナとフィオナの関係をもう一度、
今度は2人の出生時期から含めて徹底的に調べてくれないか」
「はあ、かしこまりました」
人使いから荒いなぁと愚痴をこぼしながら、
男は4階の窓から再び音もなく消える。
去って行った窓を閉めながら、
キースは自分の予想が恐らく正しいこと
だとすれば彼女は何を思ってここに"戻って"来たのかを
考え始めていた。