学園内には闘技場がある
合同授業が終わると後は生徒同士の団欒の時間が設けられている。
今回はエレナ達の学園に他校の代表生徒を招くかたちだったためプリフェクトであるキースもエレナもその対応に終日追われていた。
相変わらずキースとは事務的な会話しかしていない。
だがそれでよかった。それがよかった。
本来ならキースと自分はこうあるべきなのだとエレナは何度も自分に言い聞かせた。
キースが自分に向ける表情が前まで周りに向けていた仮面の様な笑顔になったとしても、エレナはそれに喜ぶべきだ。
「エレナ、お疲れ様」
はにかんだ様に笑いかけてきたのは先日パーティで出会ったデニスだった。
ここ数日デニスは何かとエレナに声をかけては自らフォローを名乗り出てくれて、随分と仲良くなっていた。
「この後よかったら少し庭を案内してくれないか?」
それはそれなりに意味のあるお誘いだとわかっていたがエレナは敢えて呑んだ。
エレナもまたデニスと2人になるタイミングをずっと伺っていたからだ。
「人があまり来ないいい場所があるの。そこに行きましょうか」
デニスは自身の意図が明確にエレナに伝わっているとわかって嬉しそうにありがとうと笑った。
エレナも微笑んだ。
今までキースには決して向けたことがない
どこか儚げな、優雅な微笑みだった。
既に日が傾いてきていたがこの時期の夕日は長く地上にとどまる。
焦ることもなく2人はゆっくりと橙に染められた庭を歩調を揃えながら歩いた。
2人の話は尽きることがなかった。
主にデニスが嬉しそうに語りかけるのをエレナが相槌を打ちながらニコニコと返している様は微笑ましい男女のあるべき姿だった。
やがて夕闇が濃くなり辺りが薄暗くなる。
それでもデニスは気にした風でもなくむしろもっと一緒にいたいと話を切らさなかった。
突如今までずっと歩き通しだったエレナが歩みを止めた。デニスも慌てて歩みを止めた。
「ごめんね、夢中になって話しすぎた。疲れたよね」
「…何故そんなに私に良くしてくれるの?」
穏やかな表情をたたえたままエレナはデニスに問いかけた。
デニスもそこで理解した。彼女が欲しがっている言葉を。
「君ともう少し親密な仲になりたいんだ」
「何故?」
「君が好きだから」
デニスの心臓はバクバクと脈打ちながらも彼女に促されるままに求められている言葉を紡いだ。
「凄いな。過去に襲った女と同じ顔を君は好きだと言えるのか」
穏やかな表情をたたえたままエレナはデニスに問いかけた。
デニスは突如口調を変えたエレナとその言葉の意味に一瞬脳の回路が追いつかなかった。
「なあデニス。ここは人気がないから襲いやすかったろう?
あの時場にそぐわなかった人物はどっちだ?私か?キースか?
どちらを殺そうとした?」
先ほどの体の高揚は一瞬にして消え失せ、しかし心臓はさっきよりも更に早く早鐘を打っているせいで声が掠れる。
「エレナ?何を言いだすんだ?」
「フィオナが右腕を怪我した事はあの時あの場にいたキースとフィオナ、そして犯人しか知らないんだデニス」
あの時ハーツフォーン家はフィオナの騎士生命を絶たせない為咄嗟に怪我をしたのは左腕だと報告をした。
キースが漏らさない限りエレナの右腕の傷を知っているのは犯人しかあり得ないのだ。
「答えろカールトン伯爵デニス=クラーク。私がいなければ君は第4部隊の隊長になれた。
つまりあの時私が潰れればそれで良かった筈だ。何故キースに襲いかかった?」
「フィオナ?フィオナなのか?君はエレナじゃないな?」
日が沈みあたりは薄暗くなる。
だがエレナの漆黒の瞳はその薄闇の中でもはっきりとわかるほどに強烈な意志を持ってデニスを射抜いていた。
かつて騎士団で彼が見た瞳そのままに。
「答えろ。何故キースを狙った」
「違う、キースを狙ったわけじゃない」
「だが君が最初に刃先を向けたのは間違いなくキースだった」
そうだ。キースを狙った訳ではない。フィオナを襲う時に"偶々居合わせた男"がキースだっただけだ
「君はリタの以前の婚約者だったな?そのまま婚約が成立すれば侯爵家の仲間入りだ」
第4部隊に入り名声を獲得しつつリタと結婚ができれば伯爵から侯爵へなれる。だがリタはキースにその時既に夢中になっていた。
第4部隊のためにはフィオナが、リタとの結婚の為にはキースが
それぞれいなくなれば1番良かった。
もちろん殺せるとは思えなかったがキースの顔に傷でもつけられればそれでリタは愛想をつかすと思った
フィオナも少し切りつけて脅せば直ぐに怯えて騎士団など辞めるだろうと思っていた。
殺そうとまで考えるほどデニスは冷酷でもなければ
意志の強い男でもなかった。
「フィオナ、君の事をあそこまで傷つけるつもりはなかったんだ、少し脅せば騎士団からいなくなると思ったんだ。
まさか向かって来られると思ってなかったんだ」
エレナの強烈な視線に耐えられず
殆ど贖罪に近い様に跪いて涙ながらに訴えるデニスは
エレナからすればただ哀れな小心者に映った。
「どうする事も出来なかったんだ。許してくれ」
「許すか許さないかは騎士団と君の家が決める事だ」
「君には血も涙もないのか!?」
悲鳴に近い声をあげるデニスに血を流させたのは何処のどいつだとつい的外れなツッコミをしそうになってしまった。
「君から両親に、
そこから騎士団に言えば多少の温情が来るんじゃないか
何れにせよ私にはもう関係のない事だ。
ハーツフォーン家はこの件に関して関わる気は無い」
デニスが無言で飛びかかってくる。
どうもこの水道台は闘技場になっているらしい。
横に抜けると裏拳を顔面に叩き込んだ。
が、流石に第4部隊の候補に上がるだけはある。
直ぐに体制をひねって再度掴みかかってきた。
戦闘慣れした頑丈なその体が、太い腕がエレナに迫る。
しかし辺りに響き渡るほどの鈍い音と共に
横から飛んできた長い足が一瞬でデニスを蹴り飛ばした。
何度か地面にバウンドする音がして
流石に今のは肋骨が数本いったんじゃないかと
思わずデニスを見ると、既に彼はピクリとも動かなかった。
「ちょっと…まずいんじゃないかな…」
「優秀な軍医がいるからな。心配ない」
いつ迄もデニスから目を離さないエレナに焦れたキースは
部屋に戻ろうとその肩を引き寄せた。
「先月のパーティの時にね、
フィオナが右手を負傷したって知っていたんだ」
「だからって俺に何の相談もなく動くか?」
それに関しては色々と気まずかったから、としか言えない。
「まあ最終的にはちゃんと呼んだ訳だし」
「無駄に君が他の男に媚び売ってるのを見せつけられた」
「本当に。よく斬りつけた相手に好きとか言えるよね」
微妙に話がズレているがそもそもエレナは普通にニコニコしていれば大抵の男が思わず目を惹くような見た目なのだ。
あんな丁寧に色目を使えば怨みでもない限り普通に勘違いするだろう。
「取り敢えずキースは私の殺傷事件に巻き込まれただけという事だよ。なんか長い間ごめんね」
「何が長い間ごめんねなのかわからない。怪我をしたのは君で俺は無傷だ」
「傷のこと気にしてたでしょ」
「まだそれを引っ張るのか?あんなの言い訳に過ぎない。
君が傷ついていようといなかろうと関係ない」
エレナの体に傷がついた時に焦ったのは事実だ。
このまま退役すれば傷がついた彼女は直ぐに適当なところに嫁に行かされてしまうだろう。そうなる前に何としてでも婚約を申し込む必要があった。咄嗟に都合のよかった理由を誂えただけだ。
「それが俺を拒否する理由か?だとしたら受け入れられないな」
そんな理由で断られるなんてたまったものじゃない。
そう告げればエレナは困り果てたようにこめかみに手を当てているが困り果てているのはキースの方である。
やがて諦めたようにエレナがゆっくりと喋り出した。
「…デニスが言ってた事を覚えてる?
まさか向かって来られるとは思ってなかったって」
「ああ、言っていたな」
デニスがキースに向かって来た時
あの時本当はキースは1人で対処できるだろうことはエレナにはわかっていた。
それでもエレナは飛びかかって自ら刃先の前に躍り出た。
右手を前に敢えて相手が斬りつけやすいように動いた。
デニスは多分本当に軽く斬りつけるだけのつもりだったのだろうがエレナはその切っ先が自身の肉にめり込んだ瞬間前に一気に踏み込んだ。
エレナは自分から右腕を潰そうとしていた。
デニスはまさかそんな事を相手がすると思わなかったのだろう。
恐怖におののいて直ぐに逃亡し後には血まみれの右腕を庇うエレナと守られたキースだけが残った。
「ランカスター公爵キース=ハドソンを守って右腕を失ったのなら故障兵だとしてもゴールドナイトの称号が、騎士の称号がもらえるかもしれない」
フィオナの体調が少しづつ良くなるにつれてエレナはフィオナをどうにかして長女の座に戻してあげたいと考えていた。
だが健康になったとしても、とてもではないがフィオナは騎士として戦場を駆け巡るような体力の持ち主ではない。
ならばいっそのこと騎士の称号を取るだけ取って後は故障兵となってしまえば戦場に出なくても当主の座につける。
エレナが躍起になって第4部隊に入ろうとしていたのはそれを狙っていたためだった。
キースに傷を理由に婚約を申し込まれた時は焦った。
欲しかったのは公爵夫人の立場じゃない、騎士の称号なのだから。
だが怪我を治療している最中にサイラスが生まれ両親は2人を元に戻してしまった。
エレナの計画は誰にも知られる事なく失敗に終わったのである。
「悪いけれど、私は騎士として第4部隊を目指していた訳でも、キースを守った訳でもないんだ。
ただフィオナを本来のハーツフォーン子爵家の長女の座に戻したかっただけ」
全部失敗に終わったけどね
そう言って力なく笑うエレナはどこか諦めた様な疲れた様な顔をしていた。
「キースの事を守ろうとなんてしてなかったよ。あの時私が考えていたのはランカスター公爵家をどうすれば利用できるかだけ。近づいたのだってフィオナの病気を治せる人材を探していたからだしね」
全てを聞いて言葉を失っているキースを見てエレナはゆっくりと立ち上がった。
「私はキースに選ばれる様な女、いや人間、じゃないよ」
じゃあね、と言ってエレナは部屋を後にした。
扉がしまってもなおキースは身じろぎもせず、ただ黙って虚空を見つめていた。




