97. 遠山金四郎の憂鬱
クルツ城はミリアの実家であり老舗のゾンビ屋アクィナス家の工房がある。ナガマサに破壊された尖塔はとっくに修理を終えている。そして、ラルンダの指示により新しい軍事用の魔道具が配置され防衛機能は強化された。ナザリオの高い技術を認めた上でそれを保護する為の処置である。
また、業務拡大の為の設備投資も行われていた。シャルロットの技法をナガマサ抜きで行う為の大掛かりな設備である。ナザリオの計算では十数名の優秀な魔導師がいれば、人体の再生が可能になる。
ナザリオのタイタニア訪問は優秀な人材の獲得も目的としている。彼の確立した新技術をタイタニア魔術学院で披露すれば、ナザリオには死霊学者としての最高の名誉が手に入る。同時に群がるように弟子希望者も押し寄せるだろう。
ナザリオにとってタイタニア行きは名誉と人材の両方を獲得できる場なのだ。
ただ、明るい未来が開けたナザリオは現在少し困っていた。
ようやくゼーフェンにやってきたマキナ公に挨拶に行きたいナザリオなのだが、外出の用意している所へ娘のミリアが埒も無い事を言ってきたからである。
「お父さんお願い。マキナ公にお会いしたいの!」
クルツ城の居館でミリアは愛犬のスベンを従えて父ナザリオに懇願していた。スベンは久しぶりに帰って来たミリアの側から離れないからだ。
「――何度言われても無理だよ。常識で考えなさい」
「・・・・・・」
言われなくてもミリアだって常識くらい知っている。真名があるこの世界では両親の言葉は重い。特に家柄が高い良家ほどその傾向が強い。
アクィナス家はお金持ちだが身分の低い家柄なので、結婚は自由恋愛も有りの家なのだ。というか、ミリアの両親も祖父祖母も好きな相手と結ばれている。
その為か、既に一級市民となったアクィナス家だがミリアは特に結婚相手を両親に強制されたりはしていない。
「それにね、その話はハルトマン卿とベルデンソンの両家に利益のある話だけじゃなくてツェルブルクとフレスブルクの両国の友好にも関わってくるんだ。アールセンの出来事はミリアだって知っているだろ?」
ツェルブルクの東方にエルライン公国、西方のガイウス川を越えたらアールセンを攻略したトルディス家の領地がある。
もしもトルディス家がタイタニア帝国に反旗を翻せばツェルブルクは挟撃される形になってしまう。そうなれば現在フレスブルクやタイタニア本国と連携を取ってエルライン公国を包囲している優位は消える。逆にツェルブルクは苦境に立つ。
その対策の為、ツェルブルク王家が早めに手を打っている とナザリオは言っているのだ。
「なによ、利益って、、、」
苦しげな声をあげるミリアの手をスベンがそっと舐める。スベンはミリアの悲しさを敏感に感じ取っているのだ。
「それなら、お互い盟約でも結べばいいだけじゃない! どうしてイレナを巻き込むのよ!」
スベンがミリアを緩く尻尾を振りながら見上げている。視線を落としたミリアはスベンの目に自分の気持ちを見る事になる。
「うん、まあ、婚姻同盟はタイタニアの伝統だからね」
タイタニア帝国の支配力は同国の力の失墜により地に落ちているのだが、その権威は未だにある程度の効力がある。
それは皮肉な事に帝国の輝きを最も受けたエルライン公国やメリクリウスで激減し、帝国から遠い地域ではその権威は生き残っていた。
「そんなの、関係ないもん、、、」
もちろん若いミリアには関係ないが、良家ほど伝統を重んじるものだ。
「ミリア。イレナさんは何て言ってるんだい?」
「・・・・・・」
何も言っていない。
イレナは既に運命を受け入れている。
フレスベルクの良家の子女には必ず訪れる未来で、絶対に父親には逆らえない事もイレナも分かっていた。ただ、ゼーフェンに住む事ができたので自由に過ごしてこれただけだ。
だから、今はミリアがイレナの気持ちを推し量って勝手に動いてるのだ。
「もう、諦めなさい。それにマキノ公はお忙しい。タイタニアに出発する前にゼーフェンで来客が押し寄せているからね。ミリアの相手をする暇はないよ」
もちろんナザリオはレダとラルンダが別人である事を知っているが、実の娘でも話せない事もある。
「もういい!」
ミリアはスベンを従えてナザリオの前から去った。
☆
予定の日数を大幅に超えてゼーフェンに到着したナガマサ達。
ようやく辿り着いた目的地だ。しばしの休息を取りたいナガマサだが、そうはいかなかった。リーダーは孤独な上に多忙なのである。地位が高ければなおさらだ。
例えば、レダはマキノ公としてゼーフェンで待ち構えていた来客の対応に忙殺されていたし、ナガマサは唐突に遠山の金さんに任命されていた。いや、大岡越前守だろうか?
「え~っと、それではマキノ公の承諾の上でナガマサ様に軍団長として裁定者をお願いするっす。それと、ナガマサ様の従者ヤンスが議事進行を務めるっす。双方異論無いすね? 」
「「・・・・・・」」
「異論は無いようなので民会を始めるっす。双方冷静に、いいすね? あくまで落ち着いて議論して欲しいっす」
民会は本来、タイタニア帝国のそれを真似た物で、ツェルブルクの国家の方針を決めるものだ。それが一般化して各町や各村などでも民会という制度は普及している。そして、普及し普遍化するに従ってツェルブルクでは揉め事の解決手段としても機能するようになっている。
その説明も無いまま、ナガマサはゼーフェンの王城内にある礼拝堂にいた。其処の神像の前に座らされている。本来なら、神官が信者に説教をする場所である。
彼の前には、何故かノリノリのヤンスが立っている。そこは中央の通路であり、そが真っ直ぐ礼拝堂の後ろまで伸びている。ナガマサから見て右側の席にナガマサ一行が座っている。
通路の反対側、左側の席にレダの配下である侍女兼護衛が二人座っている。女官達のリーダー格と何故か初めて目にする女だ。残りの二人の女官達はレダに伺候している。
ナガマサは目の前の光景。ゼーフェンに到着するなり起こったこのイベントに今にも疑問と不満が出そうなのを辛うじて堪えていた。この異世界に来て以来すっかり我慢が身についてしまっているのもあるが、ナガマサはイザベラとマーセラの怒りを悟っていたからだ。分かり易く怒っているマーセラと表面は平静だが激怒しているイザベラの局。何があったのか分からないがナガマサがレダと馬車の2階で過ごしている時に何か揉め事が発生していたらしい。
ちなみにアンヌだけは無関心らしく一応民会には参加しているが、礼拝堂の座席の最後尾で一人座っている。
「ナガマサ様! あのサッキュバスがお兄ちゃんを襲ったんです!! 懲らしめてください!!」
マーセラが待ちかねたようにナガマサに不満を訴え出た。
彼女は左側の座席に不貞腐れて座る金髪の女を指差してがなりたてる。おかげでナガマサは其の女の印象が無い理由が分かった。彼女はサッキュバスの能力を使って見た目を変えているのだろう。
「違うって! 子供が口出さないで!」
金髪の女がすぐさま反論しマーセラと睨みあう。
彼女はメロンのような胸がこぼれ出そうな衣服を身につけている。到底護衛にも侍女にも見えない。少なくてもナガマサが最初に挨拶を受けた時にはこんな女官はいなかったのは確かである。
「まーまー。マーセラさんクロエさん、落ち着いて話すっすよ。発言は一人づつ、順番でお願いするっす」
ヤンスの指示に左側に座るもう一人の女が挙手する。
「はい、マリーさん」
「ナガマサ様、皆さん、仲間が騒動を起こして申し訳ありません。ですが、私達もこれから共に旅をする仲間です。どうか、広い心で接していただきたい」
ナガマサは話している黒髪の女には見覚えがあった。
彼女はレダの女官達のリーダー格だ。
名前はマルグリット・シュヴァルツ・シャオ。それなりに腕の立つ騎士というのがクリスの彼女の評価だった。そして、ヤンスの情報だとラルンダの腹心中の腹心であるシャオ家の、つまりアームズの元締めの令嬢でもあるんだそうだ。
セフィロスとして、元王妃としてツェルブルクに長年隠然と影響力を持っていたラルンダの元には様々な人材が集まっている。
シャオ家はこのタイタニア帝国では余所者で少数派の東洋系の一族だ。ラルンダは彼ら少数民族の庇護者でもある。
その祖先はラルンダと共に東方征伐でベルトルドに臣従した傭兵で、ラルンダの腹心の中ではかなりの古株だ。
そしてそれ以外にも、アルケニーでセフィロスの王族がいる国というのはタイタニア帝国でかなり有名であり、生命の木の実を食べた王妃を頼っているのはベルム・ホムのゴブリン達だけではない。日陰者として暮らしている亜人達も少なからず集まっているのだ。
「何度か申し上げましたが、クロエに悪気があった訳ではありません。少し、惚れっぽい娘なのです。それに、ご覧の様に自在に姿を変えれますので諜報活動には大変有利です。必ずやナガマサ様のお力になります。なにとぞご容赦を」
どうやら予定より長引いた旅路の間にクランツとクロエが仲良くなったらしい。
知らんがな! というのがナガマサの本音である。
「そっすねー。確かに最初からクロエさんがサッキュバスだって説明されたっすね。それに情報収集には役立ちそうっす」
「お待ちなさい。最初からというなら、仲間には手を出さないという最初の約束はどうなりますの?」
イザベラが話を穏便に済まそうとするヤンスを牽制する。
「仕方ないでしょ! 好きになったんだもん!!」
「嘘だ! お兄ちゃんを食料としか思ってないでしょ!!」
「違う!! だって、クランツは、 」
「はい! ストップっす!! 冷静に、落ち着いて欲しいっす。発言は順番にしたほうがいいっすよ」
ヤンスが怒鳴り合いになった場を何とかコントロールしようとするが、かなり熱くなっている両者はすぐ興奮状態に陥ってしまう。
「一旦、お茶でも飲んで落ち着こう。休憩だ」
ナガマサは強引に議論を休止させお茶にした。
レダはこの件をナガマサに一任しているので、彼が結論を出さないといけないのだが、ナガマサには妙案などない。とりあえず民会とやらを中止して詳しい事情を聞くことにしたナガマサである。
ナガマサはついクランツに視線をやるが、彼は最前列でマーセラとイザベラに挟まれて座っている。
土気色の顔はまるで捕虜のようだ。
「情けないよ、お兄ちゃん。あんな女が好みだったの?」
小声でマーセラが兄を詰る。
クロエの金髪巨乳の姿はクランツの願望を具現化したものだから、彼に言い訳はできない。拷問を受けているような顔で座っているだけである。
席の反対側でも小声で会話をしていた。
「お前なぁ、いい加減にしろよ。男なんて幾らでいるだろ?」
「だから、そんなんじゃないの。クランツはとっても優しい子なのよ」
「腹が減ってたのは分かるけど、相手は16歳だっけ? 一回りも、」
「うっさい!歳の事は言うな! 大体、マリーより私の方が一つ年下だからね!」
「お前こそ間違えるな! 6ヶ月と22日差だ!」
妙案の無いナガマサは仲間たちが歓談とお茶を楽しんでいる間に、ようやくヤンスから事情を説明を受けていた。
どうやら問題の発端はゼーフェンへの到着日時が大幅に遅れた事にあるようだ。
サッキュバスは精気という生命力と魔力を含んだ効率のよいエネルギーを主食としているので、普通の食べ物はあまり食べない。消化器が弱いのだ。これは種族により程度の差があるが好精気系の生物に共通した生態だ。その中でもサッキュバスは栄養源を精気に大きく依存している。
ぐったりと弱っているクロエに根が親切な性質なクランツが親切にしたのが騒動のきっかけらしい。
人間には恋愛感情には性欲が大きく関わってくるがサッキュバスは、これに食欲が関係する。飢餓状態になると強い求愛感情を発生させやすくなるのだ。
サッキュバスという亜人はその性質上どうしてもトラブルメイカーになりやすい。彼女たちのお食事の相手が次第で人間関係が簡単に破壊されてしまうからだ。
クロエの場合、自ら意識せずに形態変化を起こしてしまったと主張している。つまり、食事ではなく恋愛であると。
己の気持ちの気付いたクロエはすぐさま行動、つまり夜這いに出た為、体型にあってない衣服を着ているのである。
それが昨夜というか明け方の事だったらしい。
だが、馬車の2階は広い空間だが1階は座席が並び小さなバス・トイレがある夜行バスくらいの空間だ。鋭敏な嗅覚を持つマーセラが察知して騒ぎになった。そのまま、ゼーフェンに到着するまで、いや、到着してからも揉めているのである。
「事情はわかったけどさ、どうしたらいい? クロエを置いていくか?」
お茶を飲みながら、ナガマサはヤンスに相談している。
ちなみに、クリスはいつも通りナガマサの後ろにいるが、例の如く発言はしない。
「そっすよね。どうせ、あの馬車はすぐベルム・ホムに戻すらしいっすから、イエソドに送り返すのも簡単なんすけど、、、」
と、ヤンスは申し訳なさそうにナガマサを見る。
「うん? クロエは素直に帰りそうにないか?」
「いや、それは分からないっす」
歯切れの悪いヤンスに質問するヤンスだが、その方針を決めるのナガマサだ。
クロエを追い返す決定などにヤンスも口出ししたくないのだろう。
ますます打つ手の無いナガマサなのだが、妙に気になる事もある。
「ヤンスさぁ、お前なんかウキウキしてないか?」
「え? そっすか? そんな事ないっすよ?」
ヤンスの大きな眼がさらに丸く大きくなる。
少し不自然なヤンスだが、ナガマサが問い詰める前に声が上がった。
「ナガマサ様、何か来ます」
礼拝堂の後ろの席に一人座ってたアンヌだ。
同時にナガマサも走り来る大きな物を感知した。
「うん? これって、、、」
ナガマサが感知したものは、あっという間に礼拝堂の入り口に辿り着いた。
それは、覚えのある四足獣。
体重80キロはある大型犬である。
「ウォン! ウォン!」
「よしよし、見つけてくれて、ありがとうね、スベン」
それはご主人様を導いた犬騎士スベンだ。
「ごめんね、突然。ちょっとお願いがあってね、、、」
礼拝堂の入り口に立つミリア。
彼女は一縷の望に縋ってナガマサを訪れたのだ。




