93. アドニスの花が咲く頃
帝国とは一般的に2つの意味がある。
一つは皇帝が支配する国、という意味。
もう一つは複数の地域や民族を含む広大な地域を支配する国家という意味。
2番目の複数の地域とはそれぞれ独立した領土や地域を支配していた民族であり、それぞれが異なる文化的なアイデンティティを持った民族を支配している。 という意味である。
では、独立した独自の文化を持った人々を支配するにはどうしたらいい?
幾つかの手段がある。
平和的なもの、友好的なもの、外交交渉で配下につける事だってできる。
それでは最も確実で効率的な手段は?
誰もが知っている事だが人を支配する最も効率的な手段は暴力に他ならない。
それを国レベルでいうと軍事力の行使だ。
この物語の舞台であるタイタニア帝国も同様の判断をした。
タイタニア帝国はその幕開けから高度な魔法力を武器としていた国家だ。
彼らはその優勢な魔法といる軍事力を使って侵略を繰り返して巨大な帝国を建設したのである。
その結果として、この物語の舞台では全てタイタニア語が通じるし、共通した価値としてタイタニアの通貨も通用する。そもそも基本となる度量衡も統一されているので商取引にも齟齬が生じにくく、交通路も整備されているのでタイタニア帝国内は経済活動も盛んだ。それにより、領民の生活も安定している。だからこそ、この学校なども各国整備されているのだ。
ただ、その成立過程は血生臭いものだ。程度の差はあるが広大な領土のほとんどが軍事力を背景にタイタニア帝国への臣従を強制されている。
前章に出てきたガイアの民のように長年果敢に抵抗して地域もあれば、あっさりと服従した地域もある。その過程は様々だが帝国の版図は全て傘下となった場所という事だ。
タイタニア帝国は宗教の自由を含め、かなりの自治を認めてはいるが一度傘下になればあらゆる点で干渉される。
特に狙われるの王家だ。また、此の世界では王家の多くは宗教の祭祀で主催者でもある。
そして、この世界の王家とは、その地域で最も魔法に優れた、つまり武力の強い一族を指すからだ。タイタニア帝国は魔法の研究と収集には強い意思を創成期から持っていたからなおさらである。
その支配の手段として頻繁に用いられるのが婚姻政策だ。
その地域の中心となる血族にタイタニアの有力者の子弟を公然と乗り込ませ監視指導する。または人質とできる場合もあり、洋の東西異世界を問わず用いられる施策だ。
その結果として、有力一族の中心であった王家が外国人との婚姻を繰り返してしまい何人だか何処の人種だか分からなくなる場合も多数起こる。
例えば、ツェルブルクにおける王家と南丘派の確執もそこに端を発している。
すでに、血統ではイエソド人の血を守っているのは南丘派であり、王の魔力がぶれて力が落ちてくれば、当然起こる現象で他の国でもある。
タイタニア帝国から、アールセンという都市を含むメリクリウスという国の国王に認められていた一族は一つだけ。
その他の一族は下風に立つしかない。
それが嫌なら反乱を起こすしかない。
例えば、その王家の王冠を奪ってだ。
☆
「うん、なるほど」
話が長い、話が長いよ!! と言いたいのを我慢してナガマサはブリュノの話を聞いていた。本来の人間関係ならナガマサが止めれば済む。だが、ファナティックなブリュノが真剣に語るのを止めるのは厳しい、、、
ブリュノに詳しい説明を求めたナガマサに対し、彼を崇拝するブリュノはタイタニアの長い歴史から説明を始めたのだった。
ナガマサ達は男ゴブリンの食堂に居るが、話が長い為ルームとチュカはそれぞれの仕事場に帰っている。彼らが、ただならぬ雰囲気に空気を読んだのだ。
だから、周囲に迷惑は掛けないが、あまり長くなると昼からはクリスと鍛錬だ。今日はクランツも加えての剣の訓練なのであまり長引くとクリスが怒りそうで怖いナガマサなのである。クリスが切れる事など滅多に無いが。
「えっと、それで、タイタニア帝国が酷い事してきたのは分かった。俺は今まで良い面しか知らなかったからさ」
「はい、余所者が突然やってきてデカイ面する。それがタイタニアです。特に我がガイアの地では彼奴らの悪行は苛烈を極めました」
タイタニア帝国への感情は各地域でかなり幅があるが、ブリュノの故郷であるフェーべは強い対抗意識を持ち続けてる。長年受け継がれたその感情は彼の地においては常識となっているし、こういうナショナリズムは人類の定番である。
「つまり、トルディス家が王冠とかを持ち帰ったのは反乱の意思があるって話?」
「はい、仰る通りです。トルディス家は元々ラスナンティアに根を張る大貴族で古くは王家と同じ祖先を持つ名門です。これまでは王家に従っていました。ですが、今回彼奴らの行動はそれを否定する行為です。当主のローディアスには自ら王位に就く下心があるのでしょう。なにせ、長年オルティス山地を簒奪している悪辣な一族ですから」
ブリュノは会った事もないロディを躊躇い無く罵倒している。少し、思い込みの激しい人なのを知っているのでナガマサは何も言わない。
ナガマサには実感が無いが、お隣同士が仲が悪いのは日本でもよくある話だ。
「でもさ、タイタニアに認められた王家を出し抜いて独立するんなら、そのローディアスさんは反タイタニアなんだろ? だったら、ネルトウスもタイタニア嫌いなんだから仲良くできるんじゃないのか?」
「とんでもありません。奴らは父祖の地を奪った仇敵です。特にトルディス家はその尖兵だった悪党です。今も異界人部隊などを作り上げているのです。ネルトウスでは常に彼らを警戒していました。それに、最近では離島に逃れた王家よりトルディス家に期待を寄せるラスナンティアの民が増える一方なんです。彼奴らの危険さは益々悪化しています!」
「待った! もう分かったよ。雪の中ご苦労様。俺は訓練があるからブリュノは宿舎で休んでてくれよ」
長い! 話が長いよ! と言いたいの堪えてナガマサは席を立った。
向かう先には真面目な狼人がナガマサとクリスが来るのを待っている。
☆
ベルム・ホムから東に約200キロ。
クルツ城の建つ丘に今年もアドニスの黄色い花が咲き誇っている。
それは長い冬が終わって春が来た事を示している。
そのクルツ城の近く、ゼーフェンの街から船で進むとナウル湖の対岸にあるサロメの街に着く。その街はかってはアレスタットの首府。現在はツェルブルクの支配下にある。
ツェルブルクは常にタイタニアにその範を求めていた国なので、他国への支配もタイタニア帝国に習って自治を認め婚姻政策を多用する。だから、アレスタットも表向きは、当該王家が存在している。
ただ、王太子として養子に入ったツェルブルクの王族が配下の騎士団を連れてきている為、大量の従者という名の軍勢が王城に駐留している。
ここはタイタニア帝国に反旗を揚げたエルライン公国への最前線でもあり、アレスタットの有力者を抑えるためにも軍団を必要としている。当然、最前線では常に戦力強化を目指す。
それを狙った飴として騎士となった者には一級市民への道が開かれている。
見習い騎士から騎士への叙任はかなり厳しい道のりだが不可能ではないし、戦功を上げれば一級市民になるのも夢ではない。
ただ、庶民から騎士になれるのは本当に一握りであり、騎士に叙任されるのは有力者の子弟がほとんどだ。
毎年数名の見習い騎士が採用される。
その事情はほとんどの領民は知っている。知っていても、知らなくても持たざる若者は己の未来を賭けて僅かな席を奪い合う。
根拠の無い自信は若者の特権だ。闇雲に自分を信じる彼らで数名の見習い騎士の募集枠は毎年争奪戦だ。特に没落したアレスタットの元貴族にはわずかな光明だ。 食い詰めた没落貴族の子弟も、成り上がりを信じる庶民の若者も共に自分は他者とは違う、自分は抜きん出た人間だと理由も無く信じる人々だ。
人格的にはクズの集まりだが、その選民思想はどんな猛訓練にも耐える。
彼らの大半は騎士になれず、傭兵や徴兵された小隊を率いる下士官になる。
自分だけは違うと信じる兵士の集団は強い軍団を作るのだ。
この日、アレスタットの王城では見習い騎士同士の試合が行われていた。
定期的に行われている紅白戦のようなものだが、はっきりと優劣がつくため普段から鎬を削って争っている見習い同士にとっては真剣勝負である。
そして、常に盛り上がる試合ではあるが、この日は異常な熱気があった。
アレスタット騎士団の副団長であるグスタフ・ブルークマンが珍しく見習いの試合を観覧していたからだ。騎士団の実務を取り仕切る彼は、イエソドから派遣されている南丘派の武人である。普段ならいちいち見習いの試合など見ない。その多忙で人事権を持つ男が見ているだけにアピールしたい若手達は必死なのだ。
試合会場は城の中庭に作られている。その為、ブルークマンだけでなく通りすがりなどに、王族などに目に留まる可能性があるのだ。お偉方に見て欲しい若手達の気持ちをくすぐる仕掛けである。
その試合会場がどよめく。噂の選手が登場したのだ。去年見習いになったばかりの少女が何度も試合で強豪選手を薙ぎ倒しており、彼女は次回の武術大会で優勝候補の一人と目されていた。
見習い騎士となって約一年のアクィナス・ミリアだ。
アクィナス家はナザリオの功績により一級市民の仲間入りを果たした。ラルンダの肉体の再生という大功での結果だ。ただ、ナザリオの都合で公表を控えているので何故、ゾンビ屋が突然一級市民になれたか? その事情を知る者はほとんどいない。
一級市民になると選挙権、被選挙権、ある種の免税、勅許会社の設立・参加も許されるようになる。そして、権利の発生と同時に義務も生まれる。
つまり、兵役である。
もっとも一級市民の大半を占めるイエソド人は武勇を尊ぶので、兵役も権利と考えいる者が多い。
実際、武人の家系ではない富裕層や新規の一級市民は病気と称して代理人を立てたり、代わりに献金を納めて兵役を逃れる事もよくある。
ただ、アクィナス家の場合、ラルンダへの功績は伏せられている上に家業がゾンビ屋と言う事で軽く見られてる。さらに、兵役まで避けたら悪評が立つのは火を見るより明らかだ。
だから、ミリアは見習い騎士となった。
本来は父ナザリオか叔父のジョルジュが兵士としての訓練に参加すべきなのだが、彼らは明らかに兵士には向いていない。年齢的にも無理がある。言ってみれば、オッサンの文化系とも言うべき人たちだからだ。
だから、ミリアは見習い騎士となった。一族の名誉を担ってだ。
ただし、既に一級市民であるアクィナス家の長女なので、彼女の叙任は確実だ。




