88. 船酔いのナガマサ
「うぇ~気持ち悪い。死にそうだ」
なんのかんのと異世界生活を乗り切って来たナガマサではあるが、この時彼は最大の危機に陥っていた。
「またかよ! 何でベットが傾くんだよ!」
「そりゃ、帆船すから。おかげで船足が速くていいじゃないすか」
海が少し荒れているのである。であれば普通の船でも波で傾く。まして。風を受けて走る帆船なのだ。さらに傾くのは当然である。ただ、ナガマサが船酔いになっている原因は帆船だからという訳ではない。
首尾よくカリクロの町から出航したナガマサ一行はネルトウスを脱出する事ができた。ただ、マグノリアは偉そうにウチの船だと言っていたがアームズ所有の船ではなくツェルブルク所有の帆船だった。
そして、冬が近づいているオルベ海は北風が強い。早朝に出発した船は快調にネルトウス沿岸を走りベルカを目指す。河口部で船を乗り換える為だ。そこで、何度もナガマサが乗っている反魔法を使って遡行できる船でガイウス川を遡るのだ。それにより内陸部の国ツェルブルクに到着する。
だが、極度の船酔いがナガマサを襲っていたのだ。一人だけ生物としてピンチの彼は普段は見せないほど弱り我儘になっていた。
その為、彼の個室で世話をしているのはヤンスだけである。クリスもいるがあまり介護の役には立たない。機嫌の悪いナガマサが何時に無く他の従者に当たりまくる為、ヤンスが彼の世話を引き受けているのだ。
「きもい。なんで船に乗ったんだろ。俺だけアナンケで帰ればよかった」
「いやいや、それだと他の人が船に乗れないっすよ。それにナガマサ様が決めた事っすよ」
マグノリアが持っていた通行許可証はナガマサに対しての許可であり、彼の供についても許可されるが、ナガマサが居ないと通行は許可されない。
アームズのコネがあっても姑息な事を嫌う帆船の船長はナガマサ抜きの乗船を認めなかった。頑固な海の男は、そもそもアームズたる秘密機関そのものを嫌っているのだ。ただ、命を狙われて困っていると言うナガマサ達への義侠心で乗船を認めたにすぎない。
「気持ち悪い、なんで俺だけ船酔いするんだよ」
「いやいや、おいら達も船酔いしたっすよ。ただ、みんな慣れちゃっただけっす」
「イザベラを呼んでくれ、もっかい回復魔法を頼む、、、」
「もう、魔力使いきって伸びてるっすよ。それに魔法かけて5分も持たないっす」
言うまでもないがイザベラの回復魔法が効かないわけではない。回復しても常に揺れている船内なのですぐまた船酔いになるだけなのだ。
「ああ? もう、いい。自分でやる」
「ダメっす! 今、弱ってて治療魔法なんて使えないっすよ。タダでさえ自分に治療するのは難しいんすよね? さっき自分で言ってたっすよ」
ナガマサの船酔いが酷いのは、不調で自分自信の診断もできない状態なのに無理して自分に治療魔法を使って状態を悪化させた側面もあった。
そして、もう一つ理由があった。
「くそ~スマホなんか見るんじゃなかった。なんで、ナガモリ文書がスマホなんだよ!」
「びっくりっすよね。さすが、聖人っすね」
「色々と魔法で改造してて面白かったしな。つい、船酔いするまで見てたからな」
異界人がこの世界に来た時に高確率で持っている魔法の箱。
スマホの存在はこの世界の住人に広く知られていた。特に高額で売れるお宝であるという情報はである。
この世界の魔法技術者が再現できない高度なテクノロジーの塊であるスマホの本物を見た事がある人は少ないが、それがとんでもなく高価である事はよく知られている。この世界に招来した異界人はまず間違いなくスマホを取り上げられてしまうのも仕方の無い事だ。
ナガモリは使徒としてこの世界に招来し、すぐに協力者の女性に会ったのでそんな不幸には会わなかった。
そして、この世界に残ったナガモリはスマホのアプリを応用してこの世界の魔法に適応させた。スマホの小さい画面ではく、空中の任意の場所に任意の大きさでウインドウを開く技術はナガモリが最初に作った物だ。それを同時代人の異界人である田中商会に伝えている。その結果、ナガマサが招来初日に見た魔法のスクロールのような商品が作られているのだ。
「そういえば、あれどうなった? あの地図ってか、全身の血管図みたいなやつとか、数字がひたすら並ぶやつとか、意味は分かったか?」
「今、アンヌさんとブリュノさんが調べてるっす。でも、ほら、書いてる文字がナガマサ様しか分からないっすから」
「だよな~。ただ、俺も分からないの言葉が多くてな。ナガモリさんて何やってた人だったのかな?」
そう言われてもヤンスに分かるわけは無い。
ナガモリ文書と呼ばれていた物の正体は彼が愛用していたスマホであった。
幸い、彼が自作の充電器を作ってくれていたので電池切れは気にしないでよいのだが、書いている言葉が日本語だけではなかったのだ。
どうも、インテリであったらしいナガモリのスマホの文章は英語が多用されていたのだ。もしかしたら、英語以外もあるのかもしれない。
そして、語学が堪能であったらしいナガモリのスマホに翻訳ソフトは入っていなかった。
揺れる船室で必死で画面を見まくっていたら、船酔いになるのはむしろ当然なのである。
「やっぱ、気持ち悪い。甲板に出たら陸地が見えるんだ。ボートを下ろしてくれよ。俺だけアナンケで帰るからさ。帰らせてくれ」
「今、夜っすよ。風で波が荒れてるっす。ボートが転覆したら死んじゃうっす」
そして、北海の水温は低い。
もし海に落ちたら、まじで死ぬ。
大体、ボートなんて下ろしてくれるわけが無いのだ。
なんだかんだ我慢強いナガマサだが、船酔いの絶え間ない苦しみにかなり弱っていた。
「あ、フランシス様が治療魔法得意らしいっすよ。お願いしてみるっすか?」
「・・・・・・悪かった。我慢するよ」
ナガマサが従者をクリス、イザベラ、ヤンス、アンヌ、ブリュノ、クランツ兄妹の7名も連れているの対して、この船の賓客のフランシスはわずか従者2名。
王家の一員でありながら、僧服を脱いだ質素な彼は大人しく船室に閉じこもっていた。おそらくミフラ神への信仰が盛んなツェルブルクへの配慮であろう。
それは彼の微妙な立場も表している。
そんな立場に追いやった一因にはナガマサも影響しているらしい。
さすがに、彼に自己紹介はできないナガマサだった。
☆
ナガマサがナガモリのスマホで見たもので一番目に付いたは彼の愚痴であった。 彼はこの異世界に他に3人の仲間とミフラ神の使徒として招来した。
ナガモリは自分の変な名前をコードネームと捉えており結構気に入っていたようだ。では、何の愚痴かというと彼らの功績が全くこの世界の人々に評価されなかった事だ。そればかりか、魔境の発生と拡大の責任を問われる事さえあったらしい。
彼らはミフラ神の期待通り魔王ネビロスを討ち、見事使命を果たした。
だが、魔王が居なくなっても魔境は消えない。その為、魔王が死んだ事を確認することにできないのだ。この世界の人々、特に魔境により故郷を追われた人々にとっては空しい魔王の討伐だったのである。
そして、ナガモリのスキルは千里眼だった。ナガマサの周辺把握とは比較にならないほど高度な情報を広範囲に探知する事ができた。また、ナガマサ同様彼も莫大な魔力を纏っていたが攻撃魔法は不得手だった。彼が直接魔境のゾンビ達を打ち払う事はできなかったのだ。
聖人ナガモリの後半生は難民を助け、協力者であった嫁の実家に肩入れしたのも故ある事だった。汚名返上する必要に迫られていたのだ。
そして、ナガモリはそのスキルを駆使したのか魔境の記録を残してくれていた。
その記録が意味不明なのだ。その為、ナガマサはスマホから出るウインドウを見続けて船酔いとなった。
ナガマサには人体の血管図や魔力の経路図のように見える図形と、数字の羅列。その意味は何故か英語だった。
ナガマサは英語の辞書か翻訳アプリつきのスマホを探す必要があった。
言うまでもなく高価であり、高価である以上に入手しにくいアイテムである。
スマホという魔法の箱は好事家が争奪戦をしている物だし、書物、特に辞書や図鑑などは異世界研究者が争ってでも手に入れようとする物だからだ。
だが、それでもナガマサは目標としていたアイテムを手に入れた。
ナガモリ文書の解読なら時間をかけてもよいのだ。これでネルトウスでの課題はなくなったのである。
船酔いでフラフラのナガマサは気が付いていないが、彼のクエストは少しだけ進んでいるのだ。




