81. 自主休暇
ネルトウスの北東部、ムータン川の河口部にあるメイリンガータ寺院は活況を呈していた。この寺院は港湾都市イオから10キロ足らずの距離にある。
そのイオの周囲ではガイア平野の覇者、サリカの王太子率いる大軍が侵攻している。頑強な城壁と豊富な魔力を背景にした攻撃魔法の火力でイオそのものは無傷だが、そのイオを支える周辺領域では甚大な被害が出ている。
つまり、すぐ近くで戦闘中なのだ。
ちなみに、ネルトウスとタイタニアの間は休戦状態だったのだが、別に休戦協定などがあるわけではない。
サリカ軍がイオを攻めあぐねていただけだ。
その情況が変わったわけではないが、近日の即位が噂される王太子が王位に就く前の武勇を示す必要があったのだ。
それを、平和に飽きたガイア戦士達は熱狂的に支持した。
即位前に王太子の人気はうなぎのぼりなのだ。
ただ、王太子もその側近も馬鹿ではないので、守りの堅いイオの城攻めを企図していない。攻略目標はイオを支えるその周辺部である。
その為、周辺都市での捕虜が大量に発生する。
このアスラ教の大寺院は大規模な捕虜交換会の会場を提供していたのである。正確に言うと戦時捕虜の奴隷市である。
この異世界では戦争で捉えられた者が奴隷として売り飛ばされるのは常識なのだ。そして、奴隷となると理不尽が日常になって襲い掛かってくるので戦争捕虜の親族が奴隷業者から買い戻すのも、よく見られる光景だ。
その会場をアスラ教の大寺院が貸しているのである。
メイリンガータ寺院は周辺の広大な地所を含む大寺院であり、アスラ教はネルトウスの国教のような権威ある存在なのでサリカ王家もイオを統べる総督や民会も寺院に攻撃したりはしない。その為、双方の非戦闘員も安心してこの寺院に来る事ができた。
戦況が煮詰まればアスラ教の僧侶が仲介する事もよくある。
かって、ナガモリとルキウスが積極的に行っていた事業で、決定的な虐殺などを防いできた。
それは、捕虜になる立場の兵士や住民から見ればアスラ教の人道的な献身であると同時に、カレルなどの宗派の指導者から見れば自派の政治力の誇示であり強化である。政治力とは常に示し続けなければ目減りするものだ。
そういう意味では内乱が長く続いたこの60年にフィオニクス派が巨大派閥になったのは巧く時流に乗ったとも、指導者カレルの判断力の優秀さを示しているとも言える。
以前ならカレルが自ら戦場に向かい、その護衛としてかってはルキウスが今ならイテルツが配下の僧兵を率いて参加していた行動だ。現在も、アマトリリア聖堂の僧兵の大半が派遣されメイリンガータ寺院の守護をしている。
メイリンガータ寺院の一室で、一人の高僧が呆然となっていた。
小太りで丸い顔。愛嬌はあるが決してイケメンとは言われない面相である。
彼の名前はディエゴ。アスラ教フィオニクス派の高僧である、その彼は仲間が伝えてきた情報に動揺している。
予想外の事態が発生した為だ。
「・・・・・・えっと、冗談か?」
「マジだ。カレル様の病気が治ったらしい」
仲間も僧侶であり、彼らは同じ白地に萌黄色の僧帽と僧衣を身につけている。
「嘘だろ? どうするんだよ? 俺、戦場に来ちゃってるぞ? 一刻も早く快気祝いに行かないとマズイだろうが! 誰だ? 俺を戦場にやったのは!?」
「お前だよ! もうカレル様が死にそうだから、王太子にコネを作りたいって言ってたろうが! 俺達は何度も止めたろ?」
「そうだっけ? そんな事、言ったかな? 言ったとしても冗談だよ。それに俺は戦いで傷つく人たちの力になりたいんだよ。だから、カレル様に志願してわざわざ戦場へ来たんだよ。今も、この大寺院は奴隷に身を落す寸前に人々でいっぱいだぞ?それを捨て置いていいのか?いや、私にはできない!アスラはガイアの太陽だ。暗い魔界に落ちる人を照らす事は他人を助ける事ではない!自らの魂をアスラの光へ照らす事だ。慈悲とは、」
「わかった。わかったよ。説教師だからって、ここではやめてくれ」
「そうだな、その通りだ。ジャン」
ディエゴは仲間の言葉で自分を取り戻した。
「これからを考えよう。すぐ帰ってカレル様に面会したいところだが、、、」
小太りなディエゴは仲間の言葉に美声の説教をやめて考え込む。
難民の子であり、本来アスラの高僧になど絶対なれない生まれの彼だが、積極的に行った辻説法がカレルに認められ、教会での説教師になれた。そこから、アスラ教会で最も優秀な説教師としての名声と出世の手がかりを得た男だ。なので、つい説教をしてしまう癖があるのだ、
ジャンと呼ばれたディエゴの仲間は同じくフェーべの壁の外に住む難民の子である。既に彼らは難民ではない。壁の外の住民は生活が安定して、本来の力が発揮できるようになった。そうれば当然自らの政治力も求めるのが自然の流れである。
そして、その力はフィオニクス派の力の源泉となる。
そして、その支持をもっとも強く受け期待されているのは、同じ立場出身の僧侶、つまりディエゴ氏だ。
彼がアスラ教内だけでなく、次代の王に決定している王太子とのコネを求めているのはその為だ。ディエゴの立場と視点は他の高僧達とは少し違っている。
「カレル様は、仕事を中途半端で投げ出す男が一番嫌いだからなぁ」
「だな」
貴種のわりに実力主義のカレルは半端な仕事をする男が嫌いだ。その反面、カレルに見込まれると生まれがどうでも大きな仕事も任せてもらえる。見た目に反して優秀なディエゴはその期待に応え続けて現在の地位にいるのだ。
「仕方ない。すぐに快気祝いの使者を出そう。なんか、あるか?」
「ああ、トリプト商会から話がある。猫耳が欲しいそうだ」
「ふむ、亜人はいっぱいいるけど、人気種だからなあ」
「ああ、だから数字がな、こんな感じだ」
ジャンはハンドサインをディエゴに示した
祝いの使者をただ送るほど、ディエゴはお坊ちゃんじゃない。
『なんか』 を作るには先立つ物が必要だ。
そして、この捕虜の仲介とは奴隷商との付き合いが必須なのだ。
堅物が多い僧侶には難しい仕事だ。もっとも、柔ら過ぎては腐ってしまう。
色々と確信犯のディエゴだが、彼なりの理由もある。
成り上がり者の彼の味方は少ない。
カレルの後継者レースの中ではディエゴは泡沫候補に等しいのだ。
☆
ナガマサはカレルの治療をしてから一週間が経った。
なのに、ナガマサの要求への返答はない。ナガマサが求めるナガモリ文書の閲覧が許されるか否かも分からない情況だ。
そのくせ、未だに奉仕活動を要求されていた。
それについてはイテルツも本当に困っている。それをナガマサも理解しているので我慢していたが、本来はもうこの街には用が無いのである。
クリスと娘の対面はイテルツがさり気なく終わらせてくれているので、もうお使いクエストも残っていない。というか、ナガマサはそのクエストを続ける気力を失くしていた。
それもあって、ナガマサはどうすべきか迷っていた。
若くても彼がリーダーで彼の為にナガマサ一行は動いている。
彼の得意魔法は周辺の気配は探知できても、未来は分からない。
どうしたら良いかなんて、ちっとも分からないのだ。
そんな時、ナガマサ一行を乗せフェーべの郊外を一台の牛車がゆっくり進んでいる。
「はあ~空が青い。久しぶりにノンビリした気分だわ」
「ホントっすよ。ナガマサ様ずっと働き詰めでしたもん。しかも、奉仕っすよ。ナガマサ様の治療代がタダって舐めてますよね」
ヤンスが荷台で寛ぐナガマサに答える。
ヤンスの発案でナガマサ一行はイテルツの要請を無視して遊びに出かけている。
つまり、サボりである。
もっとも、契約の期間は過ぎてるから出て行っても文句を言われる筋合いはない。ただ、イテルツには少し借りがあるので自主休暇というか無断欠勤のようなものだ。
「いっそこのまま、イエソドに戻ろうか? 宿舎には荷物なんてないしな」
「待ってくださいナガマサ様。私のファンからのプレゼントが宿舎に山積みになってますの。先に言って下されば牛車に乗せましたのに」
「冗談だ。クランツやアンヌさんも乗せてるだぞ。てか、いつの間にそんな物をもらったんだ?」
「あら、ナガマサ様はもらってませんの?」
イザベラはナガマサの知らぬ間に沢山のご贔屓さんを作っていた。医者への付け届けは日本でもよくある。お歳暮とか言う場合もある。
「さすが、イザベラさんすね。荷物多いならオイラも運ぶの手伝うっすよ」
「ありがとう。でも、ナガマサ様の方がもらってそうですのに」
「俺は断ってるよ!当然だろ?!」
「何故ですの? 患者さんからの贈り物は常識ですわ。断ったら向こうも困りますわよ?」
「マジでか?」
ナガマサはアンヌさんを見る。
「はい、貴人の方が多かったのでイテルツ様が贈り物を断るのに苦心されてます」
アンヌさんの答えに首を捻るナガマサ。
ナガマサは高校生だった彼の常識の範囲で、お医者さんや看護師さんが患者から贈り物を受け取らない規則にならないのを知っていた。
だが、世間知らずの彼が知らないだけで現代日本でも医師が患者から付け届けを受け取るのは別に珍しい事でもない。もちろん、堂々とやり取りはしないが。
なお、今日のアンヌさんはいつも通りの白衣を着用し、マスクとキャップ代わりの布を頭と顔に巻いている。
「ナガマサ様こそ、いつの間にアンヌちゃんと仲良くなったんですの? 私達は居てもお邪魔じゃありません?」
「何でだよ。俺がサボってアンヌさんだけ残ってたらまた、アンヌさんが怒られるんだよな? だから、無理に連れ出したんだよ。 な?」
「ナガマサ様の言う通りっす。オイラが進言したっすよ」
前回、ナガマサがぐずぐずと遅れた事でアンヌさんが叱責された事をヤンスは知っていたのだ。その為、今回の外出に強引にアンヌさんを連れ出している。
「あの、それで、なんで私まで連れて来られたんですか?」
金髪の少女がおずおずと話した。
クランツの隣に座る、彼の双子の妹マーセラである。
「・・・・・・さあ? なんでだ?」
それはナガマサも疑問に思っていた。
マーセラが誰であるかも知らない。というか、覚えていないかった。
「クランツにお願いして連れてきてもらったっす。マーセラはお料理上手なんすよ。お弁当を作ってもらってるッス」
「嫌ですわ。私が皆さんの食事は作りますのに」
イザベラが残念そうだ。
だからこそ だな。
ナガマサはヤンスの意図を理解した。
折角の休日に野菜責めは回避したかったのだろうと。
それにゾンビ牛のモロクは力持ちだ。少々人数が増えてもビクともしない。
牛車は軽快に進み、田園地帯を進む。そろそろフラクス川を越えるがナガマサ達が進んでいる道は来る時に来た道とは別の経路である。
川を越え、2日ほどの行程に小さな港町がある。そこから、田中商会があるベルカ国への航路があるので、そのまま進めばツェルブルクへ帰れるのだ。
「しかし、ずーっと畑だけど、誰もいないな」
この辺りは収穫は終わっており、畑は刈り残された草を食べる羊しかいない。
誰に言うともなく発言したナガマサだが、クランツ少年が喜んで答える。
「もう少し前なら収穫でお祭り騒ぎでしたよ、でも今は男は子供かお年寄りばっかです」
ナガマサは自分が診療した庶民に壮年の男子が少なかった事を思い出した。
「そういえば、フェーべって大人の男が少ない気がしてたけど、今仕事暇なんだろ? 何処にいるんだ?」
「今は西の方に出稼ぎに行ってる人が多いですよ。色々と仕事がありますから」
農閑期の出稼ぎも色々ある。
国によっても時代によっても違う。
まして、異世界なのでナガマサが想像もできない出稼ぎもあるのだ。




