80. 名声の代償
ナガマサがカレルの施術を終えてから3日後。
ナガマサはまだフェーべに在った。
そのナガマサを一人の男が訪ねてきた。
「いや~凄いね。大評判になってるよ」
細長い顔の30男がタレ目を緩ませてナガマサを褒める。
「すいません、オジスさん。約束してたのに顔を出せなくて」
「いやいや、この情況なら仕方ないよ。凄い人だかりだよ? 俺もラルバルさんに話を通さなかったら、こうやって面会もできなかったよ?」
ナガマサはクランツ少年からオジスの件を聞いてフィオニクス聖堂を抜け出してきていた。
ナガマサによるカレルの治療が成功した噂が瞬く間に広がり、患者が殺到しているのだ。その噂はフェーべの城外に住む健康そのもののオジスに伝わるほど広まっているのだ。
噂により集まった患者達が庶民ばかりならイテルツがなんとでも出来るのだが、イテルツ浄人が気遣うほどの身分の人が相次いで診察を求めてきていた。それも、本来ならナガマサが往診して当然の人たちが順番待ちしているので調整すら大変なのだ。
イテルツにも、どうする事ができず、ナガマサにフィオニクス聖堂での治療を依頼するしかなかった。
その上、その名医を一目見ようと違う地区の住人まで東地区の端にあるアマトリリア聖堂に押し寄せてきていた。
「んで、これな。一応、言われた通りに作っといた。ちょっと試してみてくれよ。まだ、此の街に滞在するみたいだし、調整もできるよ」
正直、ナガマサはクリスの仲間の息子さんであるルイ・オジスにアイテム作成を依頼した事自体を忘れていた。確か魔法の杖を依頼したはず。
だが、差し出したアイテムは60センチほどの棒状の物。
杖というには少し短い。まあ、ガチの杖は要らないからそれはいいとして、片方に細い縄が巻き付けてあり、もう片方は持ち手らしく革を巻いている。
どう見ても杖じゃない。
「これ、どうやって使うんだ? というか、コレは鞭?」
「鞭じゃねぇよ。まあ、鞭としても使えるかもだが、無茶な使い方はしないでくれ。あんたのご希望はマジックアイテムだろ?それも魔力に指向性を持たせるってやつ。俺なりに工夫してみたんだよ」
というと、オジスは柄の部分を持って自ら使ってみせた。
シイバの木を軸に作られたそのアイテムは少し魔力を込めると先端にある細い縄を自在に動かせるのだ。
「凄いな。でも、これ何処が杖なんだ? 縄で泥棒でも捕まえらるのか?」
「いやいや、だから縄にそって魔力の指向性を高めてるんだよ。あんたのご希望だったろ?まあ、ナキカズラの縄は丈夫だから鞭にも捕縛にも使えると思うよ。まあ、そういう使用法だとロープの長さが全然足らないと思うけどよ」
2章で出てきたクルツ城に植えられていたナキカズラという植物は古くからこの世界に人間に利用されてきた。魔力を込めると自在に動くという特性は、魔力の伝導性が高い為なので、魔道具の導線としても使われるのだ。
「本当だ。簡単に動かせるし、、、なにか、感覚が伸びていくな」
そのアイテムは杖でも鞭でもなく、ナガマサの魔力のアンテナなのだ。
ちなみに、伸ばしたロープは『戻れ』と念じるだけで最初の形で棒に巻きつく。このナキカズラの縄はオジスの作ではなく市販品である。
「ありがとう。これ良いよ。でもさ、ちょっと制作費が高くついたんじゃない?」
「いやいや、それは気にしないでくれ。ってか、それは全然いいんだけどよ。良かったらさ」
「うん?」
「俺のおふくろが最近具合悪くてな、、、忙しい所、悪いんだけどよ。診てくれないかな?」
「ああ、わかった。時間作って必ず行くよ」
ルイ・オジスの母親はクリスの知己でもある。断る理由はないナガマサだった。
ただ、また用事が増えた。
ナガマサがカレルを施術した事は知れ渡っており、それはかなり尾ひれが付いて広まっていた。
正確にはカレルの病状は寛解しただけだ。
だが誰もその寛解に導けなかったのだ。
その為、ナガマサの治療をいたく気に入ったカレルとカルデナルの要請により、フェーべ滞在が伸びているナガマサなのだ。
☆
アマトリリア聖堂では、連日医師達の無料診療を行っていた。
本来は月に数日行われるイベントなのだが、広まったナガマサの噂により沢山の人が集まってきている。それを自派拡大のチャンスと捉えるカレルはカルデナルにイテルツの支援を命じた。
こういった積極策は健康だった時のカレルの精力的な思考であり、癌になる前のカレルらしい行動である。その点を見てもナガマサの治療が功を奏したと見るべきだろう。
激務に耐えた医師達にはアマトリリア聖堂で豪華な食事が用意されていた。
この前とは違って、料理人を呼んでわざわざ作らせた物で関係者以外の信者は呼んでいない。医師たちに落ち着いて食事をしてもらう為のイテルツの気遣いだ。
「お疲れ様です。ナガマサ様」
「おう。なんか客が偉いさんばっかになって面倒くさいわ」
アマトリリア聖堂に戻ってきたナガマサを、目聡くヤンスが見つけて駆け寄ってくる。
「あれ? ナガマサ様それ、何すか?」
「あ!ヤンス動くなよ!!」
細いロープがヤンスを襲う。
が、咄嗟に飛び退ったヤンスを捉える事ができない。
「もう、動くなよ」
「動くっすよ! それ、何すか?」
「悪い。冗談だ」
ナキカズラの縄を上方に伸ばしレーダーの如く回転させながらナガマサは笑った。
ナガマサはオジスからもらったアイテムを使いながら歩いていたのだ。
ただ、このアイテムに付属しているナキカズラの縄は3メートルも無いので、今ナガマサが使ったような使用法をするには少し長さが足らない。
「新アイテムっすね? 具合どうっすか?」
「う、、、ん。なかなかだ」
今グルグルと上方で回ってるアンテナはナガマサに情報を伝える。
「イテルツの真眼ってこんな感じなのかな?」
「――なんすか?」
「ちょっと今日、偉いさんの診察で一悶着あってな」
ナガマサのアンテナは、彼の後ろをトボトボと歩くアンヌさんの感情を捉えていた。白衣に白いマスクとキャップ代わりに頭巾で頭髪を包んでいる彼女はアマトリリア聖堂の孤児院出身で現在もそこに住んでいるので、ナガマサの手伝いを終えれば同じ方向を歩いているのだ。
孤児というのは、どんな世界でも存在するが奴隷制度がある世界、つまり人身売買が公認される世界でが少し意味が違ってくる。厄介者から商品へと変化する。
貧しい家庭では、孤児院に子供を捨てるより親が子を売る方が一般的だ。その世界で孤児院に入る子というはかなりの訳有りか商品にならない子だ。そういう子は成人しても孤児院から出られない場合が多い。
「あ~何故か、人間の偉いさんて亜人嫌い多いっすよね」
ネルトウスのように人間中心の社会だとなおさらである。
「ヤンス。ちょっと頼みがあるんだ」
☆
「さあ、入るっすよ。なんで遠慮してるんすか!」
関系者だけの静かな食卓にヤンスの大声が響く。
小柄なヤンスが、看護人のアンヌさんとクランツ少年を引き連れて室内に入ってきた。
「ダメですよ。お医者さんばっかなのに」
クランツ少年が小声でヤンスに抵抗し、アンヌさんは無言でしり込みしている。
だが、ヤンスはそれを知った上での行動だ。彼の手はしっかりアンヌさんの手首を握って室内に招き入れている。
「ご馳走っすよ。関係者だけっすよ。二人共どうみてもナガマサ様のために仕事してるっす」
ナガマサ達が食事している場所は高級レストランなどではなく、アマトリリア聖堂の内の一室だ。カルデナルの差配で南地区から料理人を呼んで(ナガマサを外に出したくない為)食事を作らせている。つまり、アスラ教の施設内である。ガイアの地を照らすアスラの元、全ての民は平等である というのがアスラ教なのだが、やっぱり差別はある。
ネルトウスという地は人間が圧倒的に多い土地柄でもあり、亜人などへの差別もあり、異邦人である難民への蔑視もある。だからこそ、アスラ教フィオニクス聖堂がある東地区と壁の外に亜人や異邦人が多いのだ。
ただ、東地区であろうとアスラ教徒であろうと人間の心から差別が無くなるのを期待するのは難しい。故にクランツ少年やアンヌさんは遠慮して中に入ってこないのだ。
だが、今や此の場の力関係の変化をヤンスは嗅ぎ取っている。
「ナガマサ様、この二人も一緒に食事していいっすよね?」
「うん、いいよ」
脊髄反射の速さで答えるナガマサ。
それは、ヤンスが彼の命令により行動しているからだ。何故か、クランツ少年も増えているが、そこは別にどうでもいい。
ただ、理由はそれだけではない。
それは彼に差別心が全く無いからだ。
この異世界に来て以来、ゾンビだの死霊だのゴブリンだのとばかり付き合ってきた彼には、そんな差別心など有るはずもないのだ。
そして、もう一つ。ナガマサはあまり実感していないが彼の発言力は前回と違って極めて強くなっている。
カレルからガスパールを追い払ったのが、どれほどの功績であるかは医師達が誰よりも理解していたからだ。
此の場の主役である医師たちに異論が無ければ、南地区から来た一流の料理人や給仕たちがどれほど慇懃無礼な態度を示そうと関係ない。
なによりナガマサの意向が優先される場となっているのだ。
ナガマサの発言に彼の右手に座る薬師デレーユは無言で肯き賛意を示す。長身イケメンの彼はナガマサとイエソド流に強い興味を示し、多忙の中カルデナルの命に進んで参加している。
彼の専門である薬師は単独でも治療できるが、優秀な魔法医と組んだ方が力を発揮できるのだ。彼がナガマサと誼を持ちたいと行動するのは、彼の立場からすると必然ともいえる。
「ナガマサ先生の仰る通りだ。一緒に食べなさい。ワハハ、こんなご馳走は滅多に食べられないよ。ねえ、イレーヌ先生? ラエンネック先生?」
ほがらかに笑い、ヴァレリはナガマサの判断にすかさず賛成してみせた。彼は、前回も応援に来たラエンネックとイレーヌへも話しを振る。
もちろん二人共異論はない。
ラエンネックは端正な顔に同意を示し、イレーヌは穏やかな笑顔を見せる。
彼らからは、以前にナガマサに強く向けられた感情は見えない。少なくとも表面上は。
もともと、アマトリリア聖堂によく来ている彼らは亜人や異邦人への差別心は少ない。
また、イレーヌ以外は没落貴族の子弟であるという点も共通していた。
このフェーべのあるネルトウス地区ガイア平原はサリカ王家によりほぼ平定されている。
それは、領地や身分を失った大量の元貴族がいる事を意味する。
彼らは、イテルツと同じ境遇である。領地のほとんどを失くしたか完全に失くしたかの違いくらいで、貴族の身分だけ残った存在である。
負け組みとなった彼ら元知識階級の目指すべき職業は制限される。その有力な目標の一つが、医師なのだ。
「あら? アンヌちゃん。お顔が暗いですわね。ナガマサ様にセクハラでもされました?」
「するか!」
ナガマサは自身の左側に座るイザベラに突っ込んだ。
ちなみ、クリスはナガマサの後ろに無言で控えている。
「あら? じゃ、アンヌちゃんのお尻の一つも触ってませんの?」
「当たり前だ!」
「それはいけませんな。折角浄人様が美女をつけてくれているのに」
「は? ヴァレリ先生?」
「確かに、スタッフとのコミュニケーションは大切です。私達はチームだ」
無口なラエンネックもヴァレリに同調する。
「そうですね。ナガマサ先生の施術は素晴らしいのですが、個人戦の趣が少し」
と、薬師のデレーユ。
彼の言葉は少し足らない。
彼の思いは『だからナガマサには治療のリーダーシップを取って欲しい』 というのが、本音である。
若いナガマサは仕事仲間への指示を出しなれていない。やはり、歳上で経験も豊富な医師へ意見は口にはしにくい。
なので、すでに技術的に出色のナガマサは自分で不足分は何とかしてしまうし、できてしまうのだ。
だが、それだと周りが困る。薬師のデレーユや看護人のアンヌさんは仕事が無くなる。治療中手持ち無沙汰状態になる事が多く辛いのだ。
実際、看護人が暗い顔をしている施術室の雰囲気が良いわけが無い。
また、ナガマサには少し心当たりがある。
アマトリリア聖堂で患者を診始めた時はとにかく余裕がなかった。その為、同年代のアンヌさんに少しきつく当たってしまっていたのだ。
「そっか、わかった。わかったけど、セクハラは違う気がするな~」
「あら、それくらいは挨拶みたいなものですわよ?」
「・・・・・・」
現代日本に生まれたナガマサはイザベラの話を信用しない。
日本だと有り得ない話だからだ。
だが、
「ほほう。有名なベネト先生の所もですか。うちもよく前も後ろも触られましたよ。ワハハ、懐かしいですな」
ヴァレリは僚友のラエンネックを見ながら笑う。
「ああ、若い時は朝晩の挨拶だったな」
ヴァレリとラエンネック、それとイレーヌは同門なのだ。
アスラの治療僧にして名医のバンヴィルに仕えていた。多数の弟子を育てた人格者で魔法や呪いに依存せず、観察と臨床を重視した医師だ。薬師と交流を持ち彼らの経験と実績を重用した人物でもある。故人。
「えええ、そんな偉い先生がそんな事するのか? てか、二人とも?」
イザベラはともかく、ヴァレリとラエンネックは男である。ナガマサの理解を超えた話だ。
「しますわよ。私達のバルトロメオ先生だって偉い先生ですわ」
「そうですな。バンヴィル先生は女がお嫌いでしたから」
「ああ、女嫌いだったな。だが、挨拶くらいです。高潔な方だったので弟子に無理強いなどはなかったですよ」
「ええ~」
それって、高潔な人なのか?
ナガマサは思わず、イレーヌとデレーユを見る。
少し困った顔をしたデレーユは昔の話をする。
「私の先生はそんな挨拶はなかったですが、兄弟子のしごきと修行がきつかったですね。なんせ寝る間も無く兄弟子達の雑用や薬の加工をひたすらやってました」
弟子時代は理不尽が当たり前の生活なのだが、その相手は師匠とは限らない。デレーユの場合は知識と経験の対価として厳しい労働を課せられていたのだ。
薬師達は主に生薬を使っているのだが、薬の材料となる植物を取ってきてもそのまま使えるわけではない。ほとんどの物はそこから加工しなければならない。それは地道な労働そのものである。
私達の世界で言うと、よく時代劇でみる薬研(鉄製の円盤の中央に持ち手の棒が付いている道具)は植物の根などを砕いて薬にする道具です。お医者さんのお弟子は毎日あれで植物とかをひたすらゴリゴリして薬に加工してます。
「みなさん、頑張ってますわね。ナガマサ様?」
ナガマサの医学習得がどれだけズルイか。イザベラがかなりゴネたのは無理からぬ所なのだ。
「わかったよ。あ、イレーヌ先生も?」
ナガマサはイザベラの責める視線を避ける為、イレーヌに話を振った。
「私は、特に何も」
イレーヌはヴァレリとラエンネックの同門。少し後輩になるが彼らのような話は無い。それは彼女が女性だからではない。
彼女は地元の名家の出身で、裕福な家庭に生まれ育っているのだ。
イレーヌの両親は折にふれバンヴィルに多額の付け届けをしている。そうなると弟子といっても、当然変な挨拶は無くなるのだ。
「と、いうわけで、ナガマサ様は別にアンヌちゃんを嫌っているわけではありませんわ。少し、変わっているだけですの」
「・・・・・・」
いや、この件に関しては絶対俺が正しい とナガマサは思っている。
この世界の常識がどうであれ、弟子のお尻を触るのはダメだ、ダメすぎる。ナガマサは確信を持っているが、完全に少数派の彼は口にするのは止めた。
「心配しなくていいすよ。ナガマサ様がアンヌさんに手を出さないのは許婚がいるからっすから。少年好きじゃないっす」
ナガマサと離れた席で食事を始めたヤンスはクランツに小声で話しかけた。
彼らはナガマサ達の会話の邪魔にならないように端っこにいるのだ。
「いや、心配してないっすよ。だけど、許婚ってイザベラさんじゃないですよね?」
「当たり前す。ちゃんとしたお嬢さんすよ。デッカイお城に住んでるっすよ」
まあ、嘘ではない。ゾンビ屋とはいえお嬢様ではある。
「ナガマサ様凄い!」
ナガマサのモラルの高さに目をキラキラさせるクランツ。
自分が嫌われいるのかと落ち込んでいたアンヌも自尊心を回復させる。
「そういえば、さっき、変な事言ってたっすね?」
「え、何です?」
「聞いてたっすよ。おいら地獄耳っす。ラルバルさんにナガマサさんの事を報告してたっすよね?」
「――!」
情報が漏れたのは、クランツ少年の責任ではない。報告相手のラルバルの地声が少し大きかったからだ。
「あれ、本当なんすか? おいら達も気をつけたいっすよ」
「はい、、、2日前くらいからなんですけど、ナガマサ様を監視してる奴らがいるんすよ。そいつらを追跡しようとしたんですが、失敗してます。手がかり無いし足跡も上手く消してます」
「素人じゃないって事すか?」
「はい、オイラだって鼻は利ききます。でも、正体がつかめないです」
「怖いっすね」
ヤンスは現時点で此の事をナガマサに伝えるべきか迷う。
まだ、ナガマサはカレルから報酬をもらっていない。
ナガマサは直接、ナガモリの残した文書を要求しているが、その返事すらもらっていない。次のカレルの診療日までには返答があるはずだ。
ナガマサはその日まで動こうとしないから、伝えても意味が無い。
現時点では、相手の正体すらわかってないのだ。
それに、ナガマサの力が知れ渡った情況だとその力を狙う者が何処に居ても不思議ではないのだ。
「おいらも協力するっすよ。まず、相手を捕まえるっす」




