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魔王の指輪と壊れゆく世界  作者: 鶴見丈太郎
第3章 探索
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79. 指導者カレル


「おお!シャルルか。久しぶりだぎゃ!」

 ようやく気まずい控え室を出たナガマサ達はカレルの私室に入るなり大声で迎えられた。

「ちいと、揉んでやろうきゃあ?」

 大声の主はナガマサ達を立って出迎えている老人だが、声を掛けた相手は当然ナガマサではない。

 老人は長い棒を持つような手つきでイテルツを見て微笑を浮かべている。


「ご無沙汰しております、猊下」

 ナガマサの前に立っているイテルツが深々と頭を下げる。

 シャルル・ロタリンギアがイテルツの本名。イテルツは渾名。ただ、現在彼をシャルルと呼ぶのは親族以外ではカレルしかいない。


 気が付くと、ナガマサ以外の人間は全て同じ動作をしている。良く見ると全員軽く合掌した上で頭を下げているのだ。

 その中でナガマサだけがぼーっと立っている。

 反抗しているのではなく、周りの反応に付いていけなかっただけだ。

 なので、すぐさまイテルツに頭を抑えられて敬礼をさせられる。


「猊下、槍術の地稽古もよろしいですが、これは何をなさっているのですか?」

 もちろん槍の稽古などとんでもない。身体に障りまくる。だが、カルデナルは正面から諌めるのではなく、別の話題に転換した。

 これは、長年の付き合いだからできる呼吸だ。


 ナガマサは最初に挨拶する暇だった。ただ、たって待たされているだけなのだ。彼は手持ち無沙汰でぼーっとエライさん達の会話聞きながら待っている。おかげで周囲を観察する余裕ができた。

 ナガマサは周囲をそっと観察した。近眼なので大体と感じしか分からない。

 初めて入った広い部屋だが、寝室は奥だろう。ここは来客をもてなす場所だ。 そして、カレルが立ってナガマサ達を出迎えてくれている後方の机の上には酒瓶がずらりと並んでいる。ついでに、よく見ると気配を消しているおじさんが一人ひっそりと座っていた。

 イテルツ同様の服装した50がらみの長い銀髪のおじさんで、かなりの美中年なのだが、カレルに怒られていたのか元気が無い。

 なお、ナガマサは全く気が付いていないが、カレルの応接室は身分と権力の高さに比して華美な装飾品が極端に少ない。普通は自身の権勢を示す為に高価で珍しい品を並べる場合が多い。

 その点、この部屋にある装飾品は、霊長フィオニクスをモチーフにした宗教画だけだ。ただ、何故か使い込まれた鎧兜が鎮座しており、数本の槍が立てられている。およそ高僧の私室には似つかわしく無い物だ。


「シエイシス。お前は何しとる?」


「猊下に此処に残るように言われております」

 シエイシスが悄然とカルデナルに答える。

 カレルの先客は彼だったのだ。普通なら彼は帰されるはずなのだが。


「お説教だぎゃあ。ちいと、飲み比べだで、お前らを呼んだんだわ」

 そう言うとカレルはシエイシスに視線を送る。

 彼は、すぐさま、数種類の酒をズラリと並べてあるグラスに注いだ。


「さあ!飲んでみい!」

 カレルの言葉にカルデナル、シエイシス、イテルツの3名が杯に口をつけ飲み比べる。

 ナガマサとブロカ氏たちは飲まない。仕事前だからではなく、カレルの言う『お前ら』に医師たちは入ってないからだ。生まれ付き他人に傅かれている高い身分の人は使用人を無意識に扱う事が珍しくないのだ。


「これは、スキュイラですかな? 香りが高くて芳醇。そして、口当たりがまろやかです」


「正解にゃ。よおけ飲んでちょ」

 カレルはカルデナルに回答して、他のものにも酒を勧める。

 イテルツとシエイシスも口をつける。だが、イテルツは元々無口の上、本当に杯に口をつけるだけでコメントしないし、シエイシスはカルデナルほど酒には詳しくないらしく、もごもごとしか話せない。


「えっと、コラルの蒸留酒ですか?」


「何を言うとるんじゃ、シエイシス? スキュイラもロウハリアもネルトウスもここの酒は蒸留酒じゃぞ?」

 もちろん、この世界にも醸造酒はあるしアスラ教でも酒は祭祀で使う。ただ、カレルの趣味が蒸留酒なのだ。それを知っているカルデナルと知らないシエイシス。それはそのままカレルの信頼度の差でもある。


「あ、いや」


「まあ、知識はええにゃ。いっちゃん戯けた味はどれきゃあ?」


「「・・・・・・」」

 寸刻、カレルの前で悪口となる言葉を躊躇うカルデナルとシエイシス。


「ネルトウスの酒です。若くて荒いです」

 だが、イテルツは静かにハッキリと答える。彼はカレルの命令を果たすのに逡巡などしない。


「そうですな。それが売りな所はありますが、比べると差はでますな」

「・・・・・・」

 遅れてカルデナルも答えるがシエイシスは押し黙ってしまう。 


「異論はにゃあか?」

 カレルの言葉はシエイシスに向けられている。

「これで、わかろう。だちかんなのはどっちきゃあ?」

 カレルがシエイシスに命じた役割はフィオニクス派を支持する商工業者の支援とサリカ王家の介入を和らげる為の調整役なのだ。

 だが、シエイシスは王家からの圧力に弱っている。王家の後押しをしているのはフェーべを拠点とする商工業者だからだ。

 カレルに見込まれているシエイシスは本来芯の入った人物で王家の圧力にも負けないだけの器量を持つ人物なのだ。彼は理想主義者でアスラ神の公平性を愛する僧侶だ。それだけに、地元の商工業者からの悲鳴に近い訴えには耐え切れなくなりそうだったのだ。 

 つまり、フィオニクス派の保護する商工業者の製品で市場が侵されている。それは無課税な業者との戦いを強いられているからだ と叩き続けられているのだ。

 だが、カレルが示した酒という一例はネルトウスの地元産とフィオニクス派の業者が作る製品の品質の差を示していた。


「その地元の業者の話ですと、技術力の差では無いと、、、」


「ほうきゃあ?」


「はい、彼らが言うにはネルトウスの酒税が秋毎に大樽の数にかかるのだそうです。それで熟成という技法を使い難いのだそうです」


「おみゃあ、むちゃんこ言うぎゃあ?」

 カレルはシエイシスに言い含める。

「膝元の民草もかんこうするにゃあ」

 カレルはシエイシスに方向性を指示しているのである。

 ネルトウスの酒造りが遅れている理由は、税法が大きく関わっている。酒と税は私達の世界でも深い関係がある。

 そもそも、酒の原料は食料になる農作物だ。

 それを、酒という嗜好品に大量に使う事に為政者が難癖をつけたり、課税したり、禁止したりというのは、よくある話だ。

 ネルトウスの場合、一部の富裕層を除き酒といえば素朴な醸造酒、つまり、どぶろくが長らくメインだったのだが、魔王禍で急に大量の外国人がやってきて、急速にお酒のレベルが上がったのだ。

 ガイア平原の人たちも酒造りを学び出して蒸留酒などを造り出しているが、そんな急激に美味い酒は作れない。


 今、フェーべの商工業者が進む道は二つ。

 難民といって外国人を馬鹿にせず、長所を学ぶ事だ。

 実は不満を王家に訴える人たちだけではなく、真摯に勉強する人たちも沢山いる。彼らは学ぶのに懸命で役人への根回しなどやっていないのがほとんどだ。そして、彼らは既に結果を出している者も多い。その多くがアスラ教フィオニクス派に献金をしていて無税で商売したりする。そしてそれは増加傾向にあるが、そこはカレルは言わない。


 だから訴えたい地元業者が相当数いるのは事実で、その事実が清廉なシエイシスを苦しめるのだ。

 シエイシスには彼らの気持ちも分かるからだ。何故なら訴えるというのは、主権在民の現在と違ってものすごく大変。かなりのコネが必要になるからだ。もちろん、それにはお金も必須だ。

 だったら、シエイシスの取るべき道は?

 カレルの意図は、少なくともフィオニクス派の信者を圧迫するのは違わないか?と問うているのだ。その証左をカレルの示す品質の差は示している。


 そして、もう一つの進むべき道は、税制の改革。

 これは、もっと難しい。難しいが、その権力は無くても発言力と根回しができる人脈と権威がある存在はある。

 その存在は言うまでも無くアスラ教フィオニクス派であり、それがカレルがシエイシスに期待している仕事である。

 この現状は信者拡大の、それも有力な商工業者の信者の獲得機会である。そうなれば、当然フィオニクス派の勢力も拡大を意味する。派閥の指導者たるもの大局的に考えなけれならない。

 それはアマトリリア聖堂の庇護に繋がる。カレルがイテルツを贔屓するように見えているのは、イテルツがお気に入りというだけでないのだ。


 だが、カレルは全てをシエイシスに指示していない。

 自分で考えさせているのだ。

 それは、指導者の仕事で、シエイシスにそれを自覚させなくてはならない。


 カレルは複数いる後継者を育てている。

 自身の死期を悟っているカレルの仕事である。

 その為、カルデナルやイテルツも混ぜての利き酒だったのだ。



 そして、身分の高いおじさん、お爺さんがごちゃごちゃやっているのをナガマサはずっと黙って見ていた。

 

 そのカレルを見て、ナガマサは一つの事を考えていた。

 何故、このカレルとかいう偉いさんは訛りがキツイのか? と。


 アレクシス・カレル・サリカが生まれたのはタイタニア暦901年。

 魔王禍が本格化しだした頃だが、まだネルトウスはタイタニアの行政区の一つとして機能していた時期である。

 そのまま魔王禍が消滅し、平和なタイタニア帝国が再建されれば、カレルは高い教養を身につけた王族として成長し、場合よってはタイタニアの首府へ留学などという事もあったのだろう。

 だが、彼の幼年期・少年期は魔王禍が拡大しつづけ大混乱が生まれた。

 その結果、タイタニアの支配力が弱まりネルトウスに反タイタニアの風が吹き荒れたる事になったのだ。彼の面倒をよく見てくれた母方の祖父(もちろん貴族)はその急先鋒だった。

 カレルはタイタニアの学問から遠ざけられた。

 代わりに、優秀で生粋のガイア人の家庭教師に囲まれて教育を受けた。

 それは勇猛果敢なガイア戦士としてのだ。

 生来豪胆なカレルは猛将になる事期待されていたが、御家の事情で彼の人生は大きく変わることになってしまった。

 10歳でアスラ教に入山してからは、よく学問もしたがガイア語の強い癖は生涯残ってしまったのだ。




 シエイシスが退場し、目の前のごたごたが終わるとナガマサ達はカレルの寝室へ招かれた。施術を始める為である。

 誰もがカルデナルの指示に大人しく従っている。長い間立ったまま待たされた事など無かったかような空気だ。

 

「どの辺がガスパールなんだよ? 元気じゃないか」

 その為か、ナガマサが当然の疑問を口する。

「げふっ!」

 刹那、ナガマサは衝撃を感じた。

 鳩尾に打撃を受けた事を理解したのは、数歩離れた位置に居たはずのイテルツが隣に立っていたからだ。


「言葉遣いに気をつけろ」

 特に激するでもない静かな口調でイテルツがナガマサに注意をする。

 まるで、 靴紐がほどけてますよ と、注意する如くだ。


「おみゃあが新しい医者ぎゃあ? カルデナルの推薦だで、きばらんとあかんて」

 カレルはナガマサに近寄り気さくに話しかけてくる。

 きさくではあるが、彼が完全に上から目線なのは、彼の身分が高いからだ。此の世界では高い身分の人間が上から話すのは普遍的な事で、それが社会の基盤となっているのだ。彼ら貴人にとって身分は絶対。彼らの存在意義のようなものだ。

 カレルのような貴人は尊大な態度で当然。カレルは少し甘いくらいなのである。


 また、ナガマサは知らない事だが、彼を延命させる為にカルデナルは数々の名医をカレルの許に送り込んでいる。

 カレルから見ると、ナガマサはしょっちゅう入れ替わって来る外来の医師の一人に過ぎないのだ。ナガマサは山ほどやってくる医師達の一人に過ぎない。


 カレルの言葉に返事もしないナガマサだが、今度はイテルツの鉄拳は飛んでこなかった。

 今、周辺探知の魔法を止めているナガマサにも、間近に接近したカレルの様子が分かり、その様子を観察している。それをイテルツが察しているからだ。


 ナガマサの近眼にも、間近のカレルの死相が見て取れた。

 カレルの引き締まった顔はよく見ると明らかに痩せ落ち窪んでいる。

 カレルの口臭は酒の匂いとは違う、異臭がある。それは体調の変化を示す兆候であり、死が迫っているサインだ。

 さらに、よく見れば舌や爪などにその情報が出ているだろう。


 そんな状態でこれほど快活に動けるのは、中世の日本や西洋では奇跡そのものである。例え癌で死ぬにしても、寝たきりを免れ、死ぬ間際まで元気で過ごせるならそれは幸福な死と言えるだろう。この世界でもお金持ちはとても有利な環境で暮らしているのだ。


 そして、ナガマサはネルトウスの医学の技術の高さを理解した。

 患者の恒常性を図り健康の維持を実現する効果の確かさをである。

 目に見えない微小な精霊を操り患者の体調と環境の補完を行う医療召喚師のリュエルと医薬に自らの魔力を乗せ精気の陰陽を補完し長時間の恒常性を安定させる魔法技術を駆使する薬師のデレーユ。

 共に魔力としては弱く、おそらく魔力総量も少ない両氏だが、その技術は確かな理論と積み重ねた訓練によって成り立っている。

 それがもたらしている身体の恒常性はカレルの中に潜む悪性腫瘍を浮き彫りしているはずだ。それをモミアゲがトレードマークのブロカ氏ら魔法医達が治療しつづけているのだろう。

 まさにチームとして機能している。


 ナガマサが行う施術はブロカ氏と同じ立ち位置だ。

 恒常性が安定している現状はイエソド流からみると、とても仕事がしやすい情況になる。昨日まではアマトリリアでその安定まで持って行く為に診断する事が難しかったのだ。

 新米医師のナガマサにとって、診断に必死に頭を使う必要が無くなったのは大きい。彼の本気を治療魔法に注ぎ込めばいいのだ。


「なんだ? この音はどうした?」

 珍しく狼狽が混じった声でイテルツがナガマサに尋ねる。


「マジか? この段階でこの音が聞こえるとは、イテルツは本当に凄いんだな」

 音とは本気になったナガマサが久しぶりに本気の魔力を纏った音だ。

 魔力を纏う状態とは、自身の魔法を何時でも稼動可能にする状態の事だ。

 つまり、自分の体内の魔力が外界と循環を開始している状態だ。

 当然、魔力総量が大きいほど循環する量は大きい。だが、ナガマサほどの大魔力の持ち主でも魔力循環くらいでは音まではしないし、常人はその魔力の流れを感知できないのが普通だ。

 感覚が優れた人でも、魔力の音を感じるのは魔法を行使した時くらいである。

 例えば、ナガマサはクリスと魔法契約した時に初めて魔力の対流を音として感知している。

 それに比して、イテルツはナガマサが本気の魔力を纏っただけで、その魔力の音を感じ取っているのだ。

 それは彼の超感覚の優秀さを示している。


「この音は後で説明するよ。本気で施術するから、少し黙っててくれ」

 

 癌と分かっている患者。

 整えられた恒常性。

 施術のみに全力を振るえる情況だ。


 今、ナガマサはヤンスのアイディアなど完全に忘れていた。

 久しぶりにナガマサは両目を瞑る。


 治療の為に自身の能力を全開にするナガマサである。




 

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