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魔王の指輪と壊れゆく世界  作者: 鶴見丈太郎
第3章 探索
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73. アマトリリア聖堂


「確かに娘の帯剣です。この剣の仕掛けをよく覚えています」

 老婆はショートソードを握り締めナガマサに何度も頭を下げた。

 此処はフェーべの東地区、庶民向けのアパートの2階、彼女の部屋である。

「ありがとう、、、ありがとう、、、」

 何度も言うお礼の言葉は震え、かすれて消えた。

 老婆は声を出さずに泣いていたからだ。


 クリスの仲間であった水眼のラファエラこと、ラファエラ・ドリスのただ一人の遺族、母親である。

 そのラファエラが行方不明になったのは、もう20年も前だ。

 でも、この母親は娘の遺品を見て滂沱の涙を流す。

 

 ナガマサは老婦人のきちんと結われた後ろ髪を見つめるしかなかった。娘の前に息子も亡くし、夫も4年前に先立たれている。消息不明の娘への想いがどれほどのものかナガマサには分からない。ただ、クリスが用意していた彼女の遺品である指輪を握り締めて待っていた。

 老婆が握り締めているのは、異世界に来た初日にクリスから勧められた剣なのだ。クリスとその仲間が大広間と呼称していた地底湖跡での話だ。

 その持ち主のラファエラは二つ名の通り水属性に優れた魔法使いだったが、戦闘よりも探索を得意とする女性であった。

 空気中の水分子を使い広範囲に任意の場所を捜索する事を得意としてた。マキナ山の地下の様に地下水が多く遮蔽物だらけの場所だとナガマサの周辺探知などより遥かに有効に活用できる。

 ラファエラは未踏の地の構造を把握するのは得意だったが、剣は不得手だった。その為、剣は飾りである。実はその柄頭に仕掛けがあり、それを取り外すと内部から黒白2本の管が出る。黒い管の先端を水溜りなどの泥水に漬けると、白い管から真水が出るのだ。つまり、浄水器の魔道具なのだ。野営を常とする職業の人には定番の商品でカスタマイズする人も多い。剣の苦手なドリスは帯剣を浄水器に改造していたのだ。

 つまり、ラファエラは水属性が得意なのに真水の精製は苦手という少し個性的な魔法使いだった。

 ちなみに、異世界に来て初日のナガマサは、それを剣だと信じ込んでいた。もし、あの場で戦闘があったなら彼は浄水器で戦う羽目になっていた。もっとも、あの時点のナガマサには剣は扱えないので剣型の浄水器でもあまり変わらないが。


「あのドリスさん、、、そろそろ戻らないとマズイんだ」

 老婦人の嘆きを黙ってみているナガマサとクリス。口を挟んだのは彼らに道案内してきたクランツ少年だ。猫婆の隣にいた金髪の少年である。彼はボスである猫婆からナガマサの世話を命じられているのだ。もちろん、ナガマサの監視も仕事の中である。


「あのさ、しばらくナガマサ先生はアマトリリア聖堂で診察してくれてるからさ、良かったらドリスさんも来てよ」


「・・・・・・ありがとうよ、ブラン坊や」


「坊やはやめてよ」

 クランツはドリス婦人に笑顔を見せてナガマサを急かす。

「さ、行きましょう。先生」

 ナガマサは慌てて指輪を彼女に握らせて立ち上がった。

 ナガマサとクリスが丁寧に老婦人と接していた為、本当に時間が無いのだ。

 ヤンスが懸念したほどではないが、ナガマサはかなり多忙だ。


「ドリスさんと知り合いだったのか? ブラン坊や」


「そりゃガキの頃から猫婆の世話になってるんだ。 いや、なってるです。この辺の人は大体顔見知りだよ。それに、ドリスさんは堂舎やギルドで読み書きを教えてくれる先生なんだ。 いや、です。 それと坊やはやめてよ」


 ネルトウスは教育にも力を入れているが、それぞれの身分・階級に準じての物で高い教育を受けられるのは知識階級だけだ。その為、庶民で学びたければ自力で学ぶか宗教の力を借りるしかない。

 このフェーべにおいては、宗教とはアスラ教フィオニクス派にほかならず、ドリス婦人のような高い知識を持つ難民は積極的に起用されている。前任の浄人ルキウス師の仕事である。


「それより、ナガマサ先生。ホントに医者だったんだな。 て、ですね。俺絶対嘘だって思ってましたよ」


「キラキラした目で俺を見るなよ、クランツ。ホントに大変なんだよ」


「そう言わないでよ、先生! 俺たちの堂舎にまともな医者が来るなんて久しぶりなんだよ。みんな凄い喜んでる。仕事休んで家で寝込んでる爺様を担いで来てる人もいるんだ。きっともう並んでるよ」


「キャラ、変わりすぎだよ。君」

 一昨日は噛み付きそうな顔で猫婆の前でナガマサを睨んでいたクランツは、すっかりナガマサに懐いていた。

 まともじゃない医者とか拝み屋なら貧民街にも沢山いるのだが、腕の良い医者はまずいない。何故なら彼らは高い治療代を払ってくれるお金持ちの為に仕事をするからである。

 ちなみにイザベラさんの専門は腎。それはイエソドのお金持ちである一級市民に多い病気に関連しており、その為、その分野を専攻していた。貧しい少女期を送った彼女には当然の選択である。


「俺の専門て腎なんだよ。でも、山ほどくる患者達は症状バラバラだろ? 本当に診断が難しくてさ、疲れるんだよな。もう、今日はイザベラに任せて遊びに行かないか? 俺が奢るぜ?」


「何言ってるんですか! 先生のが凄いって、一日で評判立ったじゃないですか。それにイザベラ先生も、ナガマサ先生が凄いって言ってましたよ」


「ふう、、、それ、意味が違う所があると思うよ」

 これがヤンスなら、自分からサボる事を提案してナガマサを喜ばせる所だが根が真面目なクランツ少年は自分が人の役に立てるのが嬉しくて仕方が無い。

 だから、彼はナガマサのため息など気にせずアスラ教の本山である大寺院に入っていく。東門から中央への街道沿いに堂々と聳えるフィオニクス大聖堂の脇を通り、奥に進んでいくナガマサ達。その広大な敷地の端に、イテルツが仕切る堂舎がある。それは即ち、冒険者ギルドという口入屋が人材を供給する難民達の拠点であった。

  


 アマトリリア聖堂と地元民が口にする時は、普通聖堂を中心とした数々の堂舎、坊舎を含めた広い範囲を意味する。アスラ教の本山の東部から北部に亘る場所で面積は広いが日当たりはあまり良くない。フェーべを守る高い壁が太陽光を遮るからである。

 本来、この堂舎は僧兵達の吹き溜まり。アスラ教徒の中の非主流派が羽を休める場所であった。

 そこは誰でも受け入れてもらえる場所。全てを見渡し暖かい光を当ててくれる太陽の如く。アスラ教の教義を体現する施設である。

 その為、貧民や孤児、働き場の無い僧兵、国を追われた難民などの世話を担当している。それがアマトリリア聖堂を仕切る浄人の仕事なのだ。その為、与えられた敷地だけはそこそこ広いが、予算と権限は少なくアスラ教の出世の階段の中では行き止まりのポスト。つまり、ここの浄人も非主流派の窓際族なのだ。

 だが、一人の浄人の働きにより、その立場は大きく変わる事になる。

 前任のルキウスである。

 彼は、魔王禍で困窮する難民に手を差し伸べ積極的に関与した。ルキウスは権限は無くても位は高い。それを利用してアスラ教の看板を使って難民達の生活の支援をしたのだ。

 かっては僧兵が武芸の鍛錬をしたり、酒を飲んで暴れていただけのアマトリリア聖堂は、彼の長年の尽力が実り現在では、沢山の工房が立ち並ぶ一大工場となっていた。そして、彼の人徳を慕った各国からの多彩な難民は壁の中に入りきらず、城外の町で活動するようになる。

 難民達の技術を生かし、それを活用できるようにルキウスが心を砕いた結果、城の外は雑多なスラムから次第に秩序ある町へと発展した。

 そして、発展する町は次第に富を生み出す。富を産む町は価値がある。それが壁の外で無防備な状態の町であれば略奪の対象となるし、賊を招く事になる。内戦の続くガイア平野においては、なおさらである。

 その為、ルキウスは壁の外の町の整備にも尽力している。フェーべとリュナスで城外の様子が違うのは首府と地方都市の違いではないのだ。

 何故、一時期アスラ派の冒険者ギルドが人員を求めていたのか?

 それは、町を守る戦力が必要だったのだ。

 もちろんネルトウスの王家は王城であるフェーべを守る戦力は保持しているが、どうしても城外の人々の保護は優先順位が低い。

 だが、難民が過度に武装するとアスラ教の上層部だけでなく、王城にいるサリカ王家にまで睨まれてしまう。

 その為、ルキウスが取った策が冒険者ギルドの新設だ。彼らを自警団代わりとして問題が起きれば派遣していたのだ。

 彼が配下の僧兵を使えば問題になる所でも、冒険者が仕事をする分には問題とはならない。そして、その頃のルキウスは長年の努力のおかげで建前を事実と言い張れるだけの実力を有していた。彼が支えた人達は彼を支持し、ルキウス師と呼ばれる実力者となったのだ。

 簡単に言うとベルム・ホムでラルンダがやった事を数十倍の規模で行ったのがルキウスである。難民達は魔力の少ないガイア平原において、重要なマンパワーなのである。そして、その人口を支えられるほどガイア平原は豊かな土地でもあった。


 ナガマサがアマトリリア聖堂の区域に入ると寺院の内部と思えないほど活況を呈している。

 まるでアールセンの産のような魔道具を作る工房から聞こえる槌音。

 今年の実りをスキュティア風の銘酒に醸す香り。

 リエルの繊細なガラス細工を作る熱気などが溢れている。

 ちなみに、アマトリリア聖堂での商工業はアスラ様への奉仕という体裁なので税金はかからない。ただ、自主的な献金は必須ではあるが。


「あ、ナガマサ様、お疲れっす」

「ナガマサ先生。お帰りなさい!」

 ヤンスがナガマサを目聡く見つけて挨拶すると、彼が世話している子供達もすぐに大声でナガマサに挨拶してくる。

 今、ヤンスは子守中なのだ。

 

 ヤンスは此処ではイテルツにより最初からゴブリンとして入っているので、バレないように大人しくする必要が無く、本領を発揮して走り回っている。

 ゴブリンを初めて見る人々に最初は驚かれたヤンスだが持ち前のコミュニケーション能力を生かして、子供達の人気者となっていた。

 ヤンスは、孤児院の子供だけでなく、この堂舎で働く人々の子供の面倒も見ているのである。

 ネルトウスは人間が大多数を占める社会で亜人にはそれなりに差別もある。

 だが、アスラ教の寺院ではそんな差別の心配は無い。神の前の平等が原則だからだ。まあ、本当の所全然平等では無いのではあるが、原則はそうなのだ。

 だからこそ、アスラ教の内部でもルキウスの事業に表立った反対は出来なかったし、難民の中には猫婆のような人々や亜人も多いが安心して過ごす事ができるのだ。そんな環境だから、ゴブリンのヤンスも直に馴染んだのだ。もちろん外面が良いヤンス個人の性格も好影響をあたえていた。


「ナガマサ様、帯剣はどうしたんすか? あれ仕掛けが面白いって気に入ってたっすよね?」

 ヤンスがナガマサに話しかけると、周囲の子供達も口を開く。

「ナガマサ先生、お土産は?」

「先生、何処行ってたの?」

「先生も遊ぼうよ」

 ヤンスが面倒みているのは、男女年齢人間亜人様々だ。こうやって並んでいるのを見ると亜人というのも人間の個性の一つにも見える。 


「ああ、あれな。お母さんに進呈してきたよ。 っていかん、子供達に引っ張られてしまう」

 全然引っ張られては居なかったが、両手を伸ばしたナガマサに子供達が飛びつき引っ張る。

「いこー。ナガマサ魔法見せて!」

「遊ぼうー遊ぶー」

 ヤンスのおかげでナガマサも中々の人気者なのである。

 

「うわー手を捕まれちゃったよ。仕方ない。今日は診察を止めて皆と遊ぶか!」

 子供を理由にサボろうとするナガマサ。だが、そんな事をクランツは許さない。


「ダメだよ先生。沢山人が待ってるから」

 クランツはそう言いながら子供達を追い払い、彼がナガマサの手を取って患者の待つ聖堂へと引っ張る。


「クランツ、俺は子供達に癒されたいんだけどな」

「先生を待っている患者さんで癒されてください。さあ、あと少しですよ!」

 基本患者とは爺婆ばかりだ。決して癒されはしない。

 いや、例え、美女でも診断の難しい患者とは医師にプレッシャーをかけるものなのだ。だが、医療関係者の気持ちなどクランツ少年に分かるわけもない。


「ナガマサ様、大丈夫っすよ」


「何が?」


「おいらに名案があるんすよ。だから、今日だけ頑張ってください」


 名案?

 ヤンスの名案。

 それはナガマサに妙な期待と不安を抱かせる。

 おかげで、ナガマサは少しプレッシャーを忘れられた。





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